詩について最近思うこと

 詩集をさいきんよく目にする。あえて、「読んでいる」とは書かないでおく。

 例えば『活発な暗闇』という、小説家の江國香織さんが編んだ詩集をぱらぱらとめくっていて、どの詩もおもしろくて、感動している。

 詩だ、とおもう。

 でも、それだけでしかない。

 

 私は短歌や俳句や小説やブログを書いたりする。でも、詩を書きたいとおもったことがあまりない。詩をみて、感動することは多い。でも、そのような「感動」を自分もまた詩によって創造したい、とおもうことがあまりない。

 詩の感動、それを表現すること。

 

 すばらしい詩はたくさんある。詩の感動と呼ばれるものは、あるだろう。

 でも、それを新しく、「再生産」することに、果たしてどのような意味があるのだろう。

 

 詩を書くひとは多い。詩を書く人はなにを考えているのだろう。詩を書こうとしているならば、つまり、すでにある詩と同様の感動を再生産しようとしているならば、それはほとんど不要な(自己満足な)行為なのではないだろうか。

 詩を読んで感動した、その感動を、自分もまた書いてみたい……?

 それよりも、自分が感動したというその詩を、ひとに教えたほうが、効率的なのではないだろうか?

 

 詩はだから、閉じているのではないかという気がする。「詩的」なものが先にあり、現代の詩人を志すひとたちは、そのパターンをいたずらに増やしているだけなのではないか。「詩的」なものの繰り返しになっていないか。確かに、そのようにして生み出される作品は「詩的」であり、感動するのだ。技術的に優れていて、ひとに容易に真似できるものではない。でも、それが新しく作られる必要はまったくない。だって、似たものはすでにある。先人の作品をあえて忘れて、新しいまったく同じ「詩的」作品を読む、そんなの、先に生まれた作品が悲しいじゃないか。

 「詩的」なものを作ろうとするのはだから、私にはかなしいことにおもえる。

 しかしでは、なにを作ればいいのだろう?

 

 現在ある「詩的」のパターンを抜けだして、新しい、まったくなにもない空白に「詩的」なものを創りだしてみる。

 新しい詩。登場してすぐには、誰にも「詩」であると気付かれない。でも、後世になってこれは詩だと評価される。そういう詩をだれかが書いていることに、まだ、誰も気付いていない。

 そして、それだってすぐに新しさを失ってしまう。

 

 人間の感情、つまり、脳内の状態は有限のパターンにわけられる。詩でひとを感動させるよりも、化学物質でひとを感動させるほうが、効率的だ。

 しかし、詩はひとに向かう。ひとに触れることのない詩に意味はない。詩の目的はつねにひとにある。だから、詩の効果を化学物質の効果と区別することは決してできない。

 詩の結果、つまり人間の反応に、詩の特異性、意義を見出すことはできない。

 

 詩は未来に向けての記憶なのではないか。

 歴史資料になる詩。(ここにいる私のことではなく)「我々」というひとつの記憶がいま・ここにあったという、それだけを記録すること。詩に普遍性を求めてはいけなくて、ただひたすらに、陳腐であること。ベタに、現在に結びつくこと。現在に言葉という楔を打ち込むこと。

 それが目的か。

 いや、それも違う気がする。

 

 なぜ詩は書かれるのか。その理由は簡単だ。詩を書くことによって快楽を覚えるひとがいるから。

 なぜ詩は読まれるのか。それもまた、読者の快楽によって結論付けられる。

 そして、だから、すべて無意味だ。流れ去る。死ぬ。消える。それでいい。

 

 でも、詩という行為はなくならない。それでいいのかもしれない。いや、それだからいいのかもしれない。

 人間は詩を作り続け、詩を忘れ続ける。ときどき思い出して、楽しくなる。

 声を出して名前を呼ぶ、振り向いてもらって、嬉しくなる。そういう無意味さを愛してみる。詩を書くことと何も変わらない。

 

 やはり、私は詩を書く理由を持たない。短歌も、俳句も、小説も同じく。あえて言うならば、暇だから。ひょっとして、歴史資料になる。それだけ。それでいいのだと、いまはおもう。

 

 終わり。

戦国コレクションについて書くことなど

 戦国コレクションというアニメをちょっと前まですごくわくわくしながら観ていたのだけれども、視聴時の感動を、どんどんと忘れている私がいる。もう、あまり覚えていないのかもしれない。あれだけわくわくしていたはずなのに、全部、いつの日か忘れてしまう。

 感動を記憶することに、どれだけの「強度」があるのだろう。忘れられていく感動に、はたしてなんの意味があったのだろう。私はわからない。それでも、わくわくすることを求めて生活している、ことを否定出来ない。

 戦国コレクションについて思い出しながら書いてみたい。

 

 戦国コレクションを観た理由。ツイッターで誰かが言及していたんだった。確か、@dot_aiaさんだったとおもう(.あいあさんが戦国コレクションに関するツイートをリツイートしたのだったかもしれない)。戦国コレクション3話『Pure Angel』が地上波で放送していたころだったとおもう。

 動画配信サイトではちょうど初回の1話と、少し遅れての(配信サイトでの)最新話2話が配信していて、それを順番に観たのだった、とおもうけれども、記憶が曖昧でひょっとして違うかもしれない。1話だけを観たのだったかもしれない。まあなんにせよ、少し遅れて、後から追う形で、私は戦国コレクションの視聴を始めたんだ。

 第1話『Sweet Little Devil』を観る。変なアニメだとおもった。というか、「面白くはない」とおもっていたはずだ。でも、気になった。それからのち、少しして2話『Peaceful Empress』を観た。やはり、変なアニメだとおもった。変なアニメ、それ以上の強い関心は抱かなかったとおもう。

 でも、そのころ私の好きな作品に、映画『ローマの休日』が、またテレビアニメ『THE IDOLM@STER』があって、そんな風な別角度からの印象は残った。それぞれ戦国コレクション1話、2話と、内容がゆるく関連していたりしていなかったりする。

 

 札幌の深夜テレビ、地上波で初めて観たのは4話『One-eyed Dragon』からだったとおもう。あの「スタイリッシュ成敗」の回。ますます、私は変なアニメだとおもった。

 アニメについて、自分の感想をうまく言語化する言葉を私は持っていない。だから、「変なアニメ」以外の言葉は出てこない。はじめそうだったし、4話を観たこのころもそうおもったし、そして現在も、戦国コレクションは「変なアニメ」だとおもっている。でも、その表現の意図は変わっている。

 「変なアニメ」という表現の中に、いまの私は度数のかなり高い「好意」を含ませて使っている。その違いをひとにうまく伝えることができない、伝えるための言葉を私は持たない。だから表現は「変なアニメ」のまま固定される。でも、違う。違いを伝えられるとはおもえないからこのことについてはもう繰り返さない。

 それから、配信で3話『Pure Angel』を観た。

 「変なアニメ」だとまたおもった。思いは確信犯的になっていった。

 

 テレビアニメを観るとき、興味関心が盛り上がっていくときと、盛り下がっていくときがある。最近は盛り下がっていくことの方が多くて、最終話までたどり着けるアニメが少ない。作品が悪いのではなく、飽きっぽい私が悪いだけ。

 なのだけれども、戦国コレクションは珍しく、後半に行けば行くほど関心が盛り上がっていくアニメだった。次の話が楽しみで仕方がない。そして、毎回「変なアニメ」だということを確信して終わる。同じことの繰り返しといえばそうなのかもしれない。私は毎週、戦国コレクションが「変なアニメ」であることを確認しようとしていただけなのかもしれない。

 だけれども、次の話をとても楽しみにする、私は確かに存在した。何が出てくるか分からない戦国コレクションに、謎の誘惑を感じていた。

 

 戦国コレクションへの興味関心が、「変なもの」への知的好奇心から、おそらくは尊敬に類する純度の高いものになったのは、まず第8話『Regent Girl』、そして何よりも第18話『Four Leaves』の影響である。

 画面を観て、信じられない思いがする。テレビアニメでこんなことが可能なのかと、私は驚かされた。テレビ画面から目が離せなくなった。中では輝いていた。何が? そこにあったのは優れた「構造」やよくできた「エンターテインメント」などではなくて、突出した「偶然」、溢れだしてしまった「混沌」なのではないか。

 本来制御・調整されるはずの塊が、そのままに流出してしまった事故。

 やはり、うまく表現することができない。

 けれども、確かに「輝き」を感じていたんだ。

 

 しかしおそらく、戦国コレクションは決して「特異的」なアニメではないとおもう。まず、個々の作品は「どこかで観たような」話を意図的に作っている(ときにあやふやに、ときに露骨なパロディとして)。プロの仕事だけれども、決してプロのなかでも特出した「歴史に残る」ほどの傑作が描かれているわけではないとおもう。そして全体の構成についても、私はテレビアニメには詳しくないけど、似たような作品がどこかにあるはずだ。

 毎回別用の作品を放出する正体不明のびっくり箱のような、そんな作品は、おそらくは他にもいくつかあるはずだろう。

 私が戦国コレクションに囚われたのは、他の作品を知らないからに違いない。

 

 だから、何がそんなにすごかったのだろう、いまいち、よく分からない。毎回毎回「変なもの」が出てくる、見世物小屋のような楽しみ方をしていたのかもしれないし、この説明が、もっとも人に伝わりやすいような気がする。決して戦国コレクションから深淵な思想を受け取っていたのではないはずだ。唯一無二の出会いをしていたのではないはずだ。所詮は娯楽、つまり、よくできた暇つぶし、なのだろう。

 しかし、本当にそう言い切ってしまっていいのだろうか。

 戦国コレクションは暇つぶしであり、テレビを前に私が過ごした時間は例えばもやしの根切りの時間とまるまる置き換えてしまって、私のその後の人生に全く影響を与えない。そう考えてみる。考えることはできる。しかし、はたして本当にそうなのだろうか。

 ……おそらく、そうなのだろう。

 私はやがて戦国コレクションを見たことを忘れるし、このブログを書いていたことも忘れてしまうに違いない。そういえば、中学生のころ、日記を書いて、一ヶ月ほどでやめたことがあった。すべては忘れられていく。そして、何も影響を残さない。

 そういうことなのだろう。

 そうだろう。

 

 ……でも。

 書くことは何も思い浮かんでいないのに、でも、「でも」とここに書き足してしまう自分がいて、その理由が私にはよくわからない。あの時間は、ただの暇つぶしだったのだろうか、と書いて、そうだ、の一言で文章を終わらせることができない。

 例えば。ひょっとして、ただの暇つぶしではない時間であったということに、これからすることができるのかもしれない。私の生活によって、努力によって。わからないし、そうするべきかも知らない。でも考えている。いや、考えてしまっている。戦国コレクションとはなんだったのか、そして、これからはどうなるのか。私は考えている。これもまた、戦国コレクションを観てしまった影響だろう。

 何を書きたいのか分からない、でも、書かなければいけないような気がする。いつか忘れてしまわないように。いつでも思い出せるように。

 

 戦国世界をはじき出されて、現代という別の世界にやってきた武将たち(歴史人物たち)。そして始まるそれぞれの生活。歴史上の人物と同じ名前で、どこかの作品のパロディ的な世界を生きること。そこには普遍流通する記号のみがあり、唯一無二の独自性がない。

 もし、これが私たちの本当の姿であるならば。

 「私は何になるべきか」ではなく、「私独自の生き方」などは考えず、そして、私としてすら生きないということ。真なる独自性、実存、そういった虚像に惑わされず、そこにある記号としてのみ生きるということ。固有名詞によって「位置」だけを固定されて、あとは何も持たないものたち。あること、そしてそれに徹すること。私たちはそもそも、こういった生命体だったのではないか。膜によって外界から区切られた、たったひとつ存在する有機体。代替可能な点。そこから、すべては始まるのではないか。

 知識によって捏造されてしまった私たちの社会の「あるべき生き方」を、つまりは私たちの社会的価値を、実存を、自己実現という名前の神話を、ラディカルに否定するキャラクターたち。そんなアニメーション。

 ……知らないけど。

 そんなことを例えば考えてみて、やはり、決定的に違うだろう。もっと別のことがどこかにある気がして、私にはよくわからないけど。

 

 また、戦国コレクションを観たいとおもう。今はそれだけ。

どうせぼくらはリリカルでポエティックでどうしようもなくセンチメンタル

 lyrical 抒情的な,抒情詩の,熱情的な

 poetic 詩的な,詩の,ロマンチックな

 sentimental 感情的な,感じやすい

 

 さてと。

 最近俳句と麻雀の勉強を始めた。煙草を吸ってみた。だからどうした、といえばどうしたこともない。しばらくは小説を書いていた。短歌を書いていた。私は同人誌を作ろうとしている。

 私は創作をしている。

 

 表現なり創作なりは、はたして生命にとって必要不可欠なものなのだろうか、と考えてみて、毎回、不要だと考えるにいたる。だが、表現を行わない生命体は存在しないのではないかともおもう。小鳥のさえずりを、言語の起源と考えた思想家がいるらしい。コミュニケーションはおそらく表現に含まれる。フェロモンという表現、感情という表現、仕草という表現、……。そこに自由意志はないかもしれないが、自由意志はなくとも表現はあるだろう。

 生命体は表現と切り離されない。

 

 そして、表現と自由意志は、分けて考えられるべきだろう、とおもう。

 自由意志があり、自由意志の発露として、表現なり創作なりがあると、私たちには考えられがちな気がするけれど、それは時代(?)が生み出した錯覚なのではないか、とおもう。自由意志を持たない(と私たちの現代的な常識が判断するタイプの)生物であっても、表現を行なうことはできる。心がなくても表現はできるだろう(と、いうよりも心など本当にあるのか怪しい)。

 自由意志は表現をすることができる。だが、自由意志がなくても表現は行われる。

 

 表現とは、何かに対して何かを開くことだろう。つまり、対なるもの(他者)に開かれることだ。他者に対して、何が開かれるのか。それは、表現を行なう自由意志(内面)である場合がある。だが、そうではない場合ももちろんある。他者に向かって事実(外面)を切り開くこと、とは、どのような表現なのだろう。例えば科学か。そのような表現ももちろんありうる。

 他者に向かって自らの内面を切り開こうとすること、このような行為はリリカルでポエティックでセンチメンタルな行為と区分され、ときにひとから揶揄されるにいたる。「ポエム」は罵倒語と化していないか。しかし、では、私たちはそのような揶揄される行為から離れられるのか。そして、離れるべきなのか。

 他者に向かって自由意志を開かない表現はある。生理学的な反応として。端的な科学的事実として。

 しかし、そのような表現行為を自発的に選択することは可能なのか。

 

 私たちは表現を行なうことができる。表現は常に他者に向かう。他者を願う。他者の姿を追い求める。このようにして「他者に向かっていこう」とする、欲望を、リリカルでポエティックでセンチメンタルなものではないと、私たちは判断することができないのではないか。

 自由意志のもと表現をしようとすることは、他者を求めることから切り離されない。

 そしてすべての表現は、このようなある種の「弱さ,儚さ,女々しさ」(と野蛮なひとびとから呼ばれうるもの)から逃れられない。

 (決して到達できない)他者を追い求めて表現をする私たち。リリカルでポエティックでなんとセンチメンタルなのだろう、と私たちは考えざるをえない。だって、他者を追い求めることはリリカルでポエティックでセンチメンタルなのだろう? そして、それはすべての自由意志に突きつけられた運命なのではないか、とも私は考える。

 誰かに会いたい。という言葉は表現であり、リリカルでポエティックでセンチメンタル。

 殺したい。奪いたい。美味しい物が食べたい。遊びたい。死にたい。アニメが見たい。お金が欲しい。欲しい。欲しい。

 みんなみんなリリカルでポエティックでどうしようもなくセンチメンタル。

 

 もし、リリカルでポエティックでセンチメンタルではない表現が私たちにも可能なのだとすれば、それは「表現をしよう」という意志=欲望には基づかない表現なのだろう。「表現になってしまう」ということ。それのみが、揶揄から逃れることができる行為に違いない。

 欲望から離別するということ。そして、他者の姿を追い求めないこと。表現なんてしようとしないということ。そのようなひとのみが、リリカルでポエティックでセンチメンタルな行為に、石を投げつけて許されるのだ。

 

 どちらが正しいのか、私にはわからない。

幻想と創作

 『酒と幻想』と題した前回の記事を書いた記憶が覚えてはいるのだけれどもややぼんやりとしていて、いつもとは違うスイッチが入っていた。でもまあ(だからこそ?)面白いとはおもっている。

 その方向が妥当か否かはさておいて、考えを少しだけ突きすすめてみたい。

 ただ、『共同幻想論』は相変わらず100ページくらいしか読んでいなくて、だからこれから書くことは、私の妄想みたいなものでしかない。おそらくはオリジナリティなどないし(どこかで誰かが似たようなことを書いているだろう)、私自身の楽しみのためにしか書かれない。

 

 さてこそ。

 「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」という三つの「幻想」があるらしい。「幻想」とはそもそも何なのか、私にはまったく定義できないけれど、それでも無理矢理に考えてみたい。

 自己も、対なる他者も、あるいは共同性も、それ自体は観念であり幻想であり、つまり言葉の産物でしかないのではないか、ということをまずは前提にする。この前提から、話をすすめる。

 仮説:創作一般とは、このような幻想を「物質化」する営みなのではないか。

 

 物質とは何か。それはここでは「媒介」と同義だ。つまりは「メディア」である。絵だったり、音声だったり、文字だったり、振る舞いだったり、まあなんでもいい。

 人と人との間で、情報を伝達する媒介。それは人によって「創作」される。このような意味での「創作」を、幻想の物質化として考えることはできないだろうか。

 例えば「自己幻想」を物質化しようとすれば、「私」の内面(という幻想)を描写し物質化しようとする、私小説的≒純文学的な創作になるのではないか。

 例えば「対幻想」を物質化しようとすれば、「他者」(という幻想)を描写し物質化しようとする、つまりはひとびとのコミュニケーションを描写しようとする、恋愛小説だったり、あるいは『女の子の可愛さをお楽しみ頂くため邪魔にならない程度の差し障りのない会話をお楽しみいただく』漫画・アニメのような、ひとびとの「関係性」をめぐる創作になるのではないか。

 また例えば「共同幻想」を物質化しようとすれば、「歴史」、「風景」、「社会」、「神」、「セカイ」、「運命」、なんでもいいけれども、そのようなある種の「理念」≒「一般性」(という幻想)を描き出し物質化しようとする創作になるのではないか。

 

 まあ、仮説にすぎない。

 でも、このような前提のもと、「自分はいまなにをしようとしているのか」を考えながら創作をするのは、ある程度は有用である気もする。それに、このようなことを考えながら『共同幻想論』を流し読むのはとても楽しい。

 追って考えたい。

酒と幻想

 最近酒を飲む機会が連続してあってうんざりしているわけではないのだけれどもまあ多少はあきあきしていて、そして考えることが多いかもしれない。

 

 酒は生命に必要か? 不要だ。それは間違いない。酒は娯楽であり、余剰であり、生命維持に必要不可欠なものではない。

 しかし酒は、同時に「文化」でもあるということを考える。例えば最近『絶対貧困』という本を読んでいて、著者はたとえば貧困地域、スラム街などを取材する際、現地住人の手製の酒を振舞わされることが多いという。うまいものではなくただ酔うための酒である。しかし、それを飲むことが現地の人びとと交流するために不可欠なのだとか。酒を飲むことではじめて仲間として認められる。そんな形のある種の「文化」が人類史ではめんめんと続いている。国境をいくつ超えても実態はあまり変わらんだろうし、過去も、現在も、ひょっとして未来もそうかもしれない。

 「私たちは仲間である」という言葉がある。言い換えれば「私たちには共通点がある」。酒はこのような共同性を可能にするものとしての、酒宴という「場」を作り出すのだろうか。私たちは一緒に飲んでいる=私たちは共にある=私たちは仲間である、ということ。

 

 さてこそ共同性。酒の場合は「場」ということを述べたけれど、例えばそれは「趣味」の共通性であったり、あるいは「出身地」の共通性であったりもする。同じ趣味のひとには親近感を覚える、同じ出身地のひとには親近感を覚える、など。だからオリンピックは日本人を応援しよう、とかいろいろうるさいあれがある。

 しかしてそこにおいて「共同性」はコミュニケーションのための手段となる。手段でしかないのだとおもう。大切な物はコミュニケーションであり、その結論としての「私たちは仲間である」であって、共同性そのものは目的ではない。「私たちは仲間である」の大合唱として人間活動のほとんどは考えられるのではないか、とかおもう。

 だから「趣味」を軸とするサークルにおいて、趣味は手段になってしまうとおもう。ん? 部活動? 「趣味」としてのスポーツとは違い、勝つこと、全国優勝、戦いそれ自体が目的となっている? そうだろうか。「勝つこと」とはなんだろうか。それは序列化だろう。ひととひととの序列化であり、差異化である。つまり、「私」と「あなた」の区別である。だとして、それはコミュニケーションといったい何が違うのだろう? 動物たちの順位付け。勝利とはつまり、「私(たち)はあなた(たち)より優れている」というメッセージの発信でしかないのではないか。

 

 このようにして、共同性それ自体は目的化することはないのではないか、と考えてみる。結局、「趣味」も「文化」も「故郷」も言葉の産物であり、それ自体は手にとって触れる実在物ではないのだろう。すべてはコミュニケーションに飲まれていく。

 あるいは最近『共同幻想論』という本をだらだらと流し読んでいて、共同性は「共同幻想」だが、コミュニケーションの相手はすべておそらくは「対幻想」であるし、また、コミュニケーションの片棒としての自意識は「自己幻想」であるという。それを考えれば、何もかも本来は目的化できない、目的化したとおもったら幻想としてすり抜けていく、と考えることもできるかもしれない。コミュニケーションは幻想である、とか。

 んで、まあそれはどうでもいい。結局は「酒」の提供する「場」とか、あるいは「趣味」とか、オリンピックを駆動する「ナショナリティ」とか、そういった手段としての「幻想」=「余剰」が私たちの行動をある程度方向づけていて、それを意識することはあっても、意識したうえで変えようとおもってもどうしようもないということ、だから人類はいつまでも酒を飲み続けるだろう、「酒」=「ある種の合法ドラッグ」の幻想に飲まれ遊び余剰にからめとられ続けるだろう、みたいなことがだらだら書きながら考えたことであるわけだ。

 まとまらん。

 

 つまり、一言で言えば私はいま酔っている。

ラジオ体操をしたことがないひとのために書くことができるものはあるだろうか

 朝、外は曇っていた。急いでいたけど、外階段をおりるとき近隣のマンションのベランダが目にとまった。誰ともわからない誰かの部屋で、カーテンは閉ざされていた。その誰かのベランダには男物の洗濯物がほんのすこしだけ干されていて、一人暮らしだろう、という推測がぼんやりと起こった。

 私は気づいたら立ち止まっていた。

 そしてすぐ、私は生活のいうなれば実在に打ちのめされた。「実在」、大層な言葉遣いではあるけれど、それを実在だと私は感じていた。私がひとりで生活をしているように、世界ではひとびとが絶えず生きていて、そしてすべてはやるせなく過ぎ去っていくという端的な事実が私をとらえた。

 私は私が生きてあることを「宇宙的」にとても嬉しくおもい、またそれと同じくらい「地上的」に疎ましくもおもってみた。すべてがこのまま停止してしまえばあとはもうなにもいらないとおもってみたが、思いは単なる気分にとどまる。そのような気分はある意味、いつものことでもあった。

 淡い気分は一瞬で消え去って、私はまた階段をおりはじめた。

 

 ラジオ体操をしたことがないひとのために書くことができるものはあるだろうか、ということをその朝のうちに考えてみたが、なにひとつおもいうかばなかったことをおもいだす。ラジオ体操は放送され続けていて、確認はしていないけれど、きっと明日も放送されるだろう。しばらく私は聴いたことがない。

 なぜひとはラジオ体操をしなければいけなかったのだろうか、と言葉にすることに価値はあるだろうか。少なくとも、小学生はラジオ体操を楽しんだり楽しまなかったりして、それはあのひとたちの生活を部分的にでも、構成していたはずだけれども。ラジオ体操という言葉の現実感はいつからのものだろう、そしていつまでだっただろう。私にはもうおもいだせない。

 それが私の生活だったこと。そして、無関係である、あるいはあったひともきっと多いこと。

 ラジオ体操をしたことがないひとのために書くことができるものはあるだろうか、と繰りかえしここに書いてみて、やはりその先がうかばない。

 

 最近、整理整頓がおっくうになってきて、なんだかめんどうだなー、という気分でいる。そんなだからこの文章はまとまらないし、短歌もだらだらとしてしまう。

 

  人工雪から 抽出されたじんこうをふりかけてすぐ美味しいごはん

 

  ナミビアの首都もわすれてしまうから検索をするだけどむなしい

 

  新聞が新聞紙から産まれてもいいはずなのに廃品にだす

 

  モーニングセットを昼は頼めないことに怒って消費者である

 

  枕なげして枕からいも虫がぶちぶちとでるように口づけ

 

  にっぽんのなかでいちばんうつくしいカレーライスを作ってまたね

 

 ツイッターで今日詠んだものを、表現を改めてここに打ち込みなおして、でもこれが完成版でも無い気がした。そも、完成版がどれかということにあまり興味がわかない。

 これが私の作品である、とかそういうことにもいまは興味がなくて、誰かが自分のものとして発表したとしてどうでもいいとおもっている。怒るとしたらあとで怒る。

 執着がめんどうになってしまった。

 

 そして、あるいはだけれども、「生活がないことがない」ということに気づくたびおなかのあたりをとても重く感じる。重く感じるのは心かもしれないし、精神、気分、そんななにかかもしれないけれど。

 私は生活をしていて、それがなんか不思議で、でもみんな不思議とはおもっていないみたいで、居心地の悪さを「重さ」として感じている。

 今日は、ツイッターにちゃんとした投稿をしているひとたちがまぶしくおもえた。そこには生活が感じられるから。どうしてそこまで生活に忠実でいられるのだろう、という素朴な疑惑がうかんできて、でもそれは一時的なものだからツイッターに書こうとはおもえなくて、いまここに私は書いている。

 生活を愛するひとたちがかぎかっこつきの「自分たち」の生活を守るためにいろいろな画策をしているようで、それが文明だったり歴史だったりを確定してきたのかもしれない。法に憤ったり、アイドルに投票してみたり、サッカーを楽しく視聴したり、世界を研究したり、愛を言葉にしてみたり、いろいろとみんな生活をしている。

 みんながんばれ、と私はおもうのだけれども、そのみんなのなかに私はいない気がする。それでまあいいかな、と言ってられなくて、私も生活をしているけれど。

 

 生活をしなければいけないのだけれども、生活をするための原動力としての、執着や欲望が、不思議さに阻まれてなかなかうまく機能していないのだろう。

 この気づきをちゃんと言葉にしてまとめるのはやはりめんどうくさいので、以上の一文を結論として、この記事はここで終わりにする。このブログは自分のためのメモだから、これでいいのだと私はおもう。

 とりあえず、日々はとても楽しい、という実感を最後に付記しておく。

2012年5月6日前後について

 過去を振りかえりながら日記的な文章を書こうとおもう。例によって、他でもない私自身のために。

 

 2012年5月6日、私は文学フリマというイベントに参加するために東京にいた。正しくは第十四回文学フリマという。早朝、夜行バスを降りる。5:40に新橋駅についた。せまくるしい密室の暑さにやられ、よくねむれなかったことをおぼえている。夜行バスをこころから嫌いだとおもった。となりに見知らぬひとが座る暗闇のなかで、私はひとりきりであるということ。暗闇で視線のないまったくの他人に出会うことは、私たちの想像力を、絶えず試しつづけるのではないか。

 そのような顔のない無名の、だが身体のある他者との出会いが他にいくつ数えられるか。

 

 だから、私は疲弊していた。ねむれなかったし息苦しかった。だるかった。だが、生理学的な身体のけだるさは心のはたらきによって忘却される。はじめて参加するいわゆる「同人誌即売会」。しかも一般参加者としてではなく、サークルとして参加する。私は高揚していた。多くのひとに、つまりは意志に出会うことになる。さらにそのほとんどは、つまり私の出会う意志は、例外なく私に向けられるのだ。それは、私の数少ない経験を凌駕していて、予想がまったくつかなかった。困惑する。優れない気分など忘却される。

 あるいは、意志は「私たち」に向けられる。

 はじめてのサークル参加はひとりではなかった。@suzuchiu、@dot_aiaのふたりが同じサークルだった。@suzuchiuさんと出会うのはたしか二度目、@dot_aiaさんと出会うのははじめてだった。インターネット通話で声を聞いたことは何度もあった。だからこそ不思議だ。他人なのか、他人ではないのか。声は身体なのだろうか。顔のない他人は匿名であるが、声は顔か。あるいは、言葉は顔か。

 はじめて出会う、とはどういうことだろう。

 

 10:00、サークル入場。ブースにさまざまを準備した。搬入されていたダンボールをひらくと、白い紙にまかれた、水色の表紙が目に入った。私たちの歌集。手に取ると物質感があった。言葉は物か、私は知らないが、手のなかの重みは感動を生じた。他のふたりはどうおもったのだろう。

 11:00、なにもかもよくわからないまま、あっという間に開場となった。そこからはよく覚えていない。次々と、言葉があらわれた。言葉でしか知らないはずのTwitter上の知人たちが、身体としてつぎつぎと、現前しては消えていく。言葉が肉になり、肉は思い出という名の言葉に還っていく。偶然、私たちの歌集を手にとったかたはいたのだろうか? ほとんどはTwitter経由で来た、すでに私たちを知っているひとだった気がする。文学フリマという場所にはたしてどれだけの必然性があるのだろう。それは、電脳上ですでに計算、予告されていた私たちの出会いを、実現するための媒介なのではないかともおもった。偶然性の舞台が自然であるならば、あそこは限りなく人工的な場所だったにちがいない。あの場所でなくてもよかったのだ。たまたま都合がよかっただけのこと。だがもちろん、まったくの人工でもなかっただろう。偶然性の介入は薄いかも知れないが、まったくの無ではなかったはずだから。

 最終的な歌集の頒布率は、悪くはなく、だが当初の予想にはわずかにおよばないといったところであった。現在、委託販売を計画している。それが実現すればオンライン上での通販が可能になるだろうから、頒布率はもうすこし向上するだろう。だが次回に向けて、さらなる頒布率の向上のためには、偶然性を引き寄せるある種の「センス」が必要になるのかもしれない。それはデザインであったり、広告であったりするのだろう。たんに内容に限らないなにか、か。私にはよくわからない。

 

 ほぼすべてのサークル参加者は言葉を売っていて、またほぼすべての来場者は言葉を買うことを目的としていた。ひじょうに奇妙な状況におもえた。そして金を媒介に言葉を取引するというのは、なんとも、人工的でよろしいともおもった。どのような理念があったとして、このような現実を否定することはできないだろう。

 言葉は欲望にまみれていく。

 言葉の意味は必ずしも必要とされていなかったはずだ。意味を、つまりは頒布物の中身を熟慮したうえで購入を決定したひとなどごくごくわずかだっただろうから。重要なのは意味ではなく、その現れ方だったのだろう。記号としてどのように現出するか、そしてそれが来場者をどのように欲望させたかが、購入までの条件だったはずだ。記号内容よりも記号表現、シニフィエよりもシニフィアン

 おそらく、あの会場で行われていたのは欲望の交換だったのだろう。

 「売りたい」という欲望と「買いたい」という欲望。あるいは「伝えたい」という欲望と「感じたい」という欲望。前者の媒介は金であり、後者の媒介は言葉だろうが、欲望の中身がなんであったとして結局、欲望の交換であることにかわりはない。

 欲望を駆流させるものは、残念ながら本の中身ではない。「買いたい」「感じたい」を生じさせたものはなにか。なぜ、ひとは言葉を欲望するのか。すくなくとも中身、意味ではないはずだ。知らない言葉をひとは買うのだから。

 予感、なのだろうか。ひとは未来の意味を予感し、現在の言葉を欲望するのか。だとしたら予感を可能とさせるものは過去の経験なのだろう。Twitterでかつて私たちが放流した言葉が、彼(女)らに経験を生じさせ、予感を形作ったのか。それが欲望として、場において、実現したか。

 わからないが。私が会場でみたものは欲望の交換でしかなかったという事実はたしかだろう。金、あるいは言葉によって実現される欲望の交換。舞台はそのように作られていて、それでいい、と私はおもった。

 私は現状を肯定する。

 

 16:00に閉場した。そのころには疲労が頂点に達していて、帰りのモノレールは、ただひたすらにねむかった。浜松町駅にて@johnetsuに出会い、彼の腹部を軽くなぐった。彼はメガネをかけていて、背が低かった。その他個人情報については割愛したい。その後、彼含め、Twitter上で交流のあるかたがた何人かと喫茶店に立ち寄ってしばらく話をした。彼を中心に話はすすみ、私は基本的に聞き役だった気がするが、なんにせよねむくてよくおぼえていない。

 今回、文学フリマの会場は空調設備が動かせなかったらしく、ひじょうに暑苦しかった。14:00ころに私は軽く熱中症のようになってしまい、会場の外で涼んだりしていた。朝の疲労、睡眠不足のせいでもあっただろう。そして朝、昼、それぞれの疲労が相合わさって夕方の私を襲っていた。ほんとうに、よくおぼえていないのだ。

 各位には、失礼をしていないかが気になる。特に@johnetsuには、彼の期待する立派な腹パンをできなかった気がしてならないのだが。

 

 18:00ころには解散した。その日の夜、@suzuchiuさんの家に、@dot_aiaさんと私の二人はおじゃまさせていただいて、鍋をした。「次の文学フリマへの参加どうしますか」、などと話をしながら鍋をつついた。火にかけられた土鍋のなかで、白菜は縮減していった。2lのペットボトルのお茶はどこまでもペットボトルのお茶でしかなかった。そして、私はうれしさを感じていた。2012年5月6日はあとすこしで終わろうとしていて、すべては取り戻せなくなっていく。

 私が東京にくることはあと何度あるのだろうとおもった。

 

 何時かわすれたが、@dot_aiaさんをバス停まで見送った。その日私は、@suzuchiuさんの家に泊めていただくことになっていた。帰って、シャワーを借りた。床に布団を敷いた。

 睡眠とは何か。考察するまでもなく、私は疲労から、ふかく、ふかくねむりに落ちた。前日の夜行バスとはうってかわって、快適な睡眠を得ることができた。感謝が尽きない。

 振り返ってのちに、睡眠という行動をおもった。おもったことをすこしだけここに書く。

 知っているひとの家で寝ること。だけれども、深く知っているわけではなく、出会うのはまだ二度目であるひと。睡眠とは極めておそろしい行為だとおもう。殺そうとおもえば殺せるし、殺されようとおもえば殺された。彼の無防備な寝返りをTwitterで私は実況しながら、死について、ようやく考えはじめた。すべてを自然に、つまり自分の意志以外にゆだねるということ、それが睡眠の前提だろう。ねむるとき、私は運命にさらされていた。運命のなかで私は生き延び続けてきた。かつてそうだったし、その日もそうであり、そしてそれから現在までもそうである。私は目覚めることをやめていない。

 私は生きている。死ななかった。

 ありがとうございました。

 

 それからのことについては特記することがない。2012年5月7日、私は東京を走る電車にのった。東京の路上をてくてくと歩いた。そして飛行機で札幌に帰っていった。それだけのことしかなかった。

 帰りついた札幌は肌寒く、スーツケースからコートを取り出して着た。東京にあった汗ばむ陽気は、札幌にはまだ先のことだろうとおもった。埋めようのない距離を実感した。

 

 あの日、私は東京にいた。東京は中心なのだろうか、とうたがっていた。だとすると東京以外は中心以外、つまりは辺境になってしまう。決して、そうではないと私は信じたい。地理においてあるのは差異であり、序列ではないのだと私はねがう。序列をうむのは常に歴史なのではないか。地理において東京は日本の一地方であり、決してそれ以上でも以下でもないのではないか。

 私は信じたい。

 そしてまた、ここまでふりかざした「東京」という言葉を再考しておもう。ここまで無批判に前提した「東京」なる単一な実体、そんなもの決して存在しないだろう。言論は東京という概念について必要以上に語りたがってしまう。その結果、土地や生活は置き去りにされ、「東京」という概念のみが流通する。批評のなかで、また作品のなかで。新潟に住んでいた私にとって、東京とはこのような言論上の概念でしかなかった。中心的なもの、として東京はあった。だから私はいまも、「東京の郊外」という言葉がなにをさすのか実感をもてないでいる。

 しかして、実態は異なっている。

 東京と言葉にするとき失われていくものを、私はたぶん知らなかったのだ。いまも私は知らないはずだ。東京の生活を私は知らない。

 同様に、「北海道」や「新潟」と言葉にすることで失われるもの、生活もまたあるのだろう。いや、「生活」と表現すること自体がある種の疎外作用にちがいない。言葉はざらついた手袋のようで、すくいとられる現実は絶えず傷つけられてしまう。言葉は野蛮だ。現実は決して汲みつくされないからこのような野蛮はわすれられがちだが、しかし、わすれていいものでもない気がする。

 言葉は暴力であり、詩は現実を傷つける。

 

 同様に、私は2012年5月6日にたしかにあった現実を、いま現在絶えず言葉によって傷つけている。

 5月6日その日をおもう。言葉からはるか隔てられている現実がある。そこには決してもう到達できないし、そもそも、私たちがかつてそこに存在していたのかも実はあやしい。時間の連続をどこまで信じられるだろうか。しかしそれはたしかにあったのだ。そして確かに言えることとして、私の言葉は、そしてそこから生じる想像は、その現実からはあまりにも遠くなってしまった。もはやその日は想像すらもされない。想像に現れうるものは、ゆがんだまやかしでしかないのだから。

 すべては失われてしまった。かつてあった現実たちは、言葉によって、異なったかたちで、ただ一方的に汲まれるだけでしかない。

 悲しみを感じることができる。

 

 もっとも、この悲しみをどこまで強調するべきかわからない。失われたものはなにも言わないし言いたいとすらおもわないだろう。だから、傷つけられる現実のために、言葉を自粛すべきなどとはおもえない。破壊への後悔、悲しみ、それに類するひとびとの感情は生理学的な反応でしかないだろう。廃墟はただの物質であり、それ自体はなにも所有しない。野蛮も後悔も、なにかを所有するのはつねに人間の側のみである。だから、壊滅を悔やむひとびとの嘆きは破壊行為となにひとつ変わらない。悲しみは破壊と変わらない。

 だから、現実に共感しようとしてはならないのだろう。どのような共感も、過ちにしかならないのだから。現実に感情などない。

 

 私の言葉は続く。続けたい。

 奪い去られる現実を前にして私たちにできることはなんだろう、つまり、倫理はいかにして可能かと考えている。言葉に食い荒らされ続ける、かつ、決して汲みつくされない現実がある。現実が言葉に蹂躙されていることははたしてよいことか、わるいことか。あるいは、現実を自然、言葉を人為とおきかえてみる。自然に対して人為はなにをなすべきか。なにが善でなにが悪か。

 なぜ野蛮は悪として排除されるか。なぜ環境を保つことが善なのか。それを、ひとの悔恨という生理的反応に、また人類の持続可能性に、科学者は還元することが可能だろう。人類の目的意識のため、野蛮は抑えられねばならない、抑えるほうが経済的であるから、などと。つまり、経済的であることは善いことだと一般的な科学者はいう。功利主義としてこれを整理することができる。

 しかし、倫理はこのような功利主義とは別の水準に位置づけられるのではないかと、私はどうしようもなくねがってしまう。野蛮を忌避するもっともな理由として、倫理を、効率性以外に基礎付けることはできないか。

 そしてそこから、私たちの言葉をみなおすことはできないのか。私はおろかだから考え続けてしまう。

 功利性、経済性ではないものから詩を詠み直せないか、読み直せないか。強烈な倫理によって方向づけられた、野蛮を絶えず忌避する詩が欲しい。それが私の欲望である。野蛮を回避する強烈な倫理、それをもっとも喚起するのは「敬虔」という言葉の感触だろう。神秘家のように詩をつくること。祈ること。言葉を祈りにかえること。そのような詩が可能だろうか。

 さてこそ、そのような詩は「自然現象」なのだろうかとおもっている。自然現象は意志をもたない。すべてを産出する。そしてなんの意図もなくすべてを殺す。大災害として、死はわかりやすいかたちで顕現するだろう。なぜ死ななければならなかったのか? 問いかけても問いかけてもすべてはむなしい。そのうちにまた死んでいく、問いかけすらも。自然現象は不条理である。だからこそ、それは経済性も人為も関与しない圧倒的な「善さ」にふれうるのではないか。死すらも乗り越えてゆく原理があるのではないか。

 

 詩。わからないけれど、そのような詩は確実に、私がここまで書いた残念な散文とは、まったく異なったものであるはずだろう。私の現在の振る舞いは、単なる暴力主義者とかわらないのだ。

 私はなにをしていたのだろう。しているのだろう。日記などと言い繕って私は。

 

 だから私は、もうこれ以上の乱暴をやめ、ここでキーボードをうつのを止める。

 

 文学フリマへの「私たち」の参加は私個人の経験ではけっしてなく、ある程度の公共性を持った出来事であり、いちおうこの記事はそれへのまとめを計画していた。だからこの記事は削除はせず、公開にしておく。言い訳にしかならないけれど。