# 一首評001「夏のよるの長い家路のなかにあるほそい銅線みたいな覚悟」(川村有史)

夏のよるの長い家路のなかにあるほそい銅線みたいな覚悟

 川村有史『ブンバップ』(書肆侃侃房、2024)p.73


すきな歌です。
頭から順番に読んでいきます。

初句「夏のよるの」

ひらがなの「よるの」がとても気になります。「夜の」だろうけれど、「寄る」のイメージもすこしだけふくんでいて、この時点で、ちょっと寄り道をするふんいき、どこかをあるいている感じがする。6音の字余りが、すこしゆるんだ、「ちょっと歩いている感じ」をひきよせているようにかんじます。

第二+第三句「長い家路のなかにある」

初句の「夏のよるの」から引き続いて「漢字のブロック+ひらがなのブロック」がここで繰り返されるかたちになります。頭がおもたくてからだがかるい。
「長い家路のなか」までの部分で、さきに予感されていた「ちょっと歩いている感じ」が回収されて、「家路」をあるいているわたし、という情感が想像されるのがたのしかったです。

すこしおもしろいのが、「家路」といわれると、わたしたちは「歩いているひと」を想像しがちな気がします。「家路」ということばには、家々のあいだを、それよりちいさいものが動いている、というニュアンスがふくまれるのかもしれない。これが「家路」ではなくて「帰路」だったら、自転車や、バイクや、自動車や、電車での移動も容易に想像できるのだけれども。「家」という具体物が言葉の上で示されることで、「家にむかう私」を、より具体的なかたちで読者が想像する結果なのかもしれない。

第四句+第五句「ほそい銅線みたいな覚悟」

ここでは「ひらがなのブロック+漢字のブロック」が2回繰り返されて、上句とは、構造が逆になっていることに気づきます。文字面のリズムが鏡合わせになっていて、気持ちがよいとおもいました。
上句では「歩いているわたし」をなんとなく想像していたのに対し、「ほそい銅線」で「銅線」が出てきて、読者はいちど銅線をおもう。さらにそれが「みたいな覚悟」によって、さいごは「覚悟」という、かたちのないものに焦点をむすぶ。最初あいまいに提示された景色が、どんどん別のものになり、かたちをうしない、消えてゆく。
いったいどんな覚悟なんだろう、という疑問をいだいて、読者はもう一度歌をよみなおすことになります。

どんな覚悟なのか?

①(夏のよるの長い家路のなかにあるほそい銅線)みたいな覚悟
②夏のよるの長い家路のなかにある(わたしたちの)ほそい銅線みたいな覚悟

というふたつの解釈がとりあえずかんがえられるとおもいます。
両者が並列することで、歌の読みかたが多重化され、意味の世界がふくらみます。

①長い家路のなかにあるほそい銅線?

①は、「みたいな覚悟」の前にある部分がすべて「覚悟」に対する比喩、「覚悟」の説明である、という解釈。
この立場をとると、「長い家路のなかにあるほそい銅線」というふしぎなものが、歌のなかで提示されることになります。わからないフレーズ、ふしぎなもの。ふつうの文章ではなかなか成立しない存在を、リズムがささえてくれ、読者をひきよせてくれるのが、短歌のおもしろい性質だとおもいます。
具体的にかんがえると、電線のようなもの? とおもうけれど、具体物をおもうより、よりあいまいに、イメージでとらえたくなるフレーズだとおもいました。
「銅線」と「家路」の共通点として、たとえば、ほそくながいもの、という部分をかんがえてみる。「家路」を行き交いするわたしたちは、「銅線」をながれる電流のようなものかもしれない。逆に、そこを行き交いするわたしたちのあゆみこそが、GoogleMapsにのこされたログのように、ほそい銅線なのかもしれない。

②ほそい銅線みたいな覚悟?

②は、上句と下句に「切れ」があって、長い家路をかえっているわたし(たち?)が「ほそい銅線みたいな覚悟」をもっている、とよむ解釈。
こちらでも、「ほそい銅線みたいな覚悟」ってなに? という疑問がやはり生じます。金属製の、でもニッパーなどをつかえばすぐにも切れてしまいそうな細い覚悟。けれども、たとえば電流を流し、電灯を灯している覚悟。よわいけれどもつよい、つよいけれどもよわい。そんな「覚悟」をいだきながら、わたしたちは日々の家路をあるいているのかもしれない。

夏のよるの長い家路をゆく覚悟

こんなふうに「覚悟ってなに?」とおもいつつ、ふたたび歌のあたまにもどると、「覚悟」という結句できえていったわたしのすがたが、「夏のよるの長い家路」をひたあるくわたしのすがたが、ふたたび具体的に想像されてきます。

夏のよるの長い家路のなかにある覚悟

さまざまな家があり、さまざまな夏の夜があり、さまざまな苦しみや、さまざまな喜びがあるなか、わたしたちは家に帰らなければならない。そのときにわたしたちがいだいている感情を、この歌は、このひとは「覚悟」ととらえている。それは「覚悟」だと言い切りつつも、「ほそい銅線みたいな」、という留保をおいている。けっしてつよい覚悟ではない。けれどもそれは覚悟である。ほそい銅線のような覚悟である。
このバランス感覚がかっこういい歌だとおもいました。

ブンバップ

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