# 一首評002「知らない場所に痣がいくつもできてゐる夢より覚めて目覚めてもなほ」(睦月都)

知らない場所に痣がいくつもできてゐる夢より覚めて目覚めてもなほ

 睦月都『Dance with the invisibles』(KADOKAWA、2023)p.79


 ふしぎな歌だとおもいます。
 上から読んでいきます。

第一句「知らない場所に」

初句が7音になっていて、かなりおもためのふんいきで歌がはじまります。
ここだけを読むと「知らない場所に」つれていかれる可能性なんかも考える。「知らない場所」というのはそもそもこわいものです。*1

第二+第三句「痣がいくつもできてゐる」

ここまで読んで「知らない場所」とは自分のからだのことだったとわかります。 *2
でも、それがわかったはずなのに、「知らない場所」の初句でうまれた不穏な雰囲気は、ここでさらにふえていく。
不穏な雰囲気を増やすポイントはたくさんあって、

1. 「知らない場所」という言葉の選択
2. 「痣」という漢字の字面のこわさ
3. 「いくつも」の群集性
4. 「できてゐる」の動きうごめく感じ
など。

「痣がいくつもできてゐる」には、毒蟲のようないきものが、わたしのからだに知らないうちに発生してきたようなこわさが、ちょっとだけあります。「痣」という漢字に「てん(丶)」がおおいことも気になってきました。
「知らない場所に」では、わたしのからだの表面を端的に「場所」ととらえていて、その離人的な感覚も不穏な雰囲気を生んでいます。意味としては、たとえば「知らないうちに痣がいくつもできてゐる」でもいいのに、作者はそうは書かなかった。

そもそもこのひとは、どうして自分のからだに痣がいくつもできていることがわかったのでしょうか?
こんな疑問もいだきつつ、下句の解釈にうつっていきます。

第四+第五句「夢より覚めて目覚めてもなほ」

ここは言葉がちょっと複雑な修飾のしかたをしていています。「できてゐる」を「夢」にかかる連体形ととるか(①)、終止形ととるか(②)。

①(知らない場所に痣がいくつもできてゐる夢)より覚めて目覚めてもなほ
②(知らない場所に痣がいくつもできてゐる)夢より覚めて目覚めてもなほ

実際上はこのふたつを組み合わせたような解釈におちつくとおもいます。

①痣がいくつもできてゐる夢

①のように読むと、夢のなかでからだにいくつも痣ができたのだ、ということになる。夢のなかなので自分のからだのことはよくわかる。見えない場所も見える。目視しなくても痣ができたことがわかる。知らない場所のことも夢だからわかる。けっこうな悪夢です。
このように読むと、先に述べた「どうして自分のからだに痣がいくつもできていることがわかったのでしょうか」に対して、「夢だから」と答えられるようになります。

②夢から覚めても痣がある

一方、②のように終止形と考えると、たとえば、昨日引っ越しなんかをしてどこかにぶつけてできた痣が、目が覚めて今日もまだある、という解釈になる。この場合、夢の内容のことは歌では述べていないことになる。
意味としては①よりややよわいですが、上句と下句に切れをみようとする短歌の生理は、この②の読み方をささえようとします。

ここまで①と②の読み方を紹介しましたが、短歌を読むうえで、このふたつをわけてかんがえる必要はない、とわたしはおもいます。
①と②をあわせたような、ふつうに日本語を読むよりもすこし複雑な読み方を解釈としてわたしは採用したいです。書き下せば、

「夢の中で知らない場所に痣がいくつもできていた。夢から覚めて目覚めてもなお、その痣はわたしの体に残っていた」

という感じでしょうか。

夢より覚めて目覚めてもなほ?

ここまで解釈をくりのべにしてきましたが、「夢より覚めて目覚めてもなほ」は、ちょっと尋常じゃない把握の仕方で、わたしには書けない、すごいフレーズだとおもいました。
このひとは朝起きることを2段階の「覚める」プロセスととらえているようです。まずは「夢から覚める」こと。そのうえでさらに「目覚める」こと。ふつうは「夢から覚める」といえば「目覚めること」を意味する、とかんがえるのですが、このひとにとってはそうではない。実際、夢から覚めたけれどまだねむっている、ということはあるわけですし、逆に、起きているけど夢をみている、ということだってある。この両方からちゃんと覚醒したのだ、ということを、このひとはわざわざ述べている。ひじょうに入念です。
そして、そのように入念に覚醒してもなお、わたしのからだにはまだ痣がのこっている。このおそろしさ、いやな感じが、「夢より覚めて目覚めてもなほ」の2重の念押しによって、だめおしのように、この歌ではさらに強調されているとおもいます。

目覚めてもなほ……?

さらに言えば、「目覚めてもなほ」は言いさしの表現となっていて、目覚めてもなお痣があった、とはこの歌には実は書かれていません。言いさしの先は、読者の想像にゆだねられている。
だからたとえば、「夢より覚めて目覚めてもなお私は夢の中にいた」、というイメージを喚起する余地もこの言いさし表現にはのこされています。
どんなに覚醒しても悪夢からは覚めることができない、いや逆に、覚醒すればするほどわたしたちは悪夢におちいってしまう、そんなことをのべているような、くるしくうつくしい、ふしぎな歌だとおもいました。

*1:短歌は、詩は、読者を「知らない場所」につれていくことを目論むものではありますが

*2:他人のからだの可能性もあるけれど、わざわざそう言わないかぎりは、主語が省略されていて「わたし」の話をしている、とかんがえるのが負荷がすくないです。