- 石井僚一さん主催の歌会が札幌であり、たまたま都合をつけることができたので、参加しました。一年ぶりくらいの歌会参加だったかとおもいます。
- それで日記を書きたいなとおもいました。
- まず、石井さんが元気そうでなによりとおもいました。
- ふりかえって、ふだん歌会で気にかけていることについてあらためてかんがえてみた。
- 見落とされているあらたな読みの可能性をさぐること、批評により「歌の可能性」をひろげること(30%)
- 自分がよいとおもう歌のよいとおもうところを過不足なく語ること(20%)
- 全体の議論のながれをみて、よいとされている歌の欠点や、わるいとされている歌の美点をあえて述べること(20%)
- とはいえ、過度に褒めないこと。無から有を生み出さないこと(10%)
- 意味内容ではなく、形式、特に韻律と助詞を注視すること(10%)
- その他(10%)
- こんな感じかな。短歌の話をするのはたのしいねとおもいました。
- 一方、自分が話すことに集中していて、ほかのひとの短歌の話をあまり聞いていない、聞けていない、という感じもあったのが、反省点ともおもいます。
ゆいいつ、伊舎堂さんの批評というか、短歌に対する「面白がり方」は、わたしにまったくない発想で、すごく印象にのこりました。
しばらく短歌を離れていたブランクをかんじました。
- ジュンク堂で『構造の世界』『オランジェット』『コンテキストエンジニアリング』などを買いました。読むのがたのしみ。
- 一次会のビアガーデンで、短歌をはなれていて大丈夫かどうか、みたいな話を石井さんにふられたとき、「短歌はゆるがないから大丈夫」「いまわたしの人生においてたまたま短歌の場面が来ていないだけで、短歌それ自体はかわらないから、必要なときにはいつでも短歌にかえることができる」、みたいなことをすらすらこたえていて、話しながら自分で勝手におどろいていました。本当なのだろうか、というおもいと、本当だろう、というおもいが半々くらいです。
- 体力が限界だったのと、懇親会が苦手なので、2次会には行かずにかえりました。みなさまありがとうございました。
言語化はたいせつなので、ブログで、いろいろな歌集などの感想を書けたら書きたいとおもいました。また、わたしの評論集とか、歌集を期待する声がきけてうれしかったです。
歌会には、暗い北海道っぽい歌を出したいとおもって、きせつはずれの雪の歌をつくりました。「光あれ、そして光があった」という聖書の言葉は、命令として書かれているけれど、「光があってほしい」という、こいねがうこころの発露にもきこえる。