# 歌034

  • 石井僚一さん主催の歌会が札幌であり、たまたま都合をつけることができたので、参加しました。一年ぶりくらいの歌会参加だったかとおもいます。
  • それで日記を書きたいなとおもいました。
  • まず、石井さんが元気そうでなによりとおもいました。
  • ふりかえって、ふだん歌会で気にかけていることについてあらためてかんがえてみた。
  1. 見落とされているあらたな読みの可能性をさぐること、批評により「歌の可能性」をひろげること(30%)
  2. 自分がよいとおもう歌のよいとおもうところを過不足なく語ること(20%)
  3. 全体の議論のながれをみて、よいとされている歌の欠点や、わるいとされている歌の美点をあえて述べること(20%)
  4. とはいえ、過度に褒めないこと。無から有を生み出さないこと(10%)
  5. 意味内容ではなく、形式、特に韻律と助詞を注視すること(10%)
  6. その他(10%)
  • こんな感じかな。短歌の話をするのはたのしいねとおもいました。
  • 一方、自分が話すことに集中していて、ほかのひとの短歌の話をあまり聞いていない、聞けていない、という感じもあったのが、反省点ともおもいます。
  • ゆいいつ、伊舎堂さんの批評というか、短歌に対する「面白がり方」は、わたしにまったくない発想で、すごく印象にのこりました。

  • しばらく短歌を離れていたブランクをかんじました。

  • ジュンク堂で『構造の世界』『オランジェット』『コンテキストエンジニアリング』などを買いました。読むのがたのしみ。
  • 一次会のビアガーデンで、短歌をはなれていて大丈夫かどうか、みたいな話を石井さんにふられたとき、「短歌はゆるがないから大丈夫」「いまわたしの人生においてたまたま短歌の場面が来ていないだけで、短歌それ自体はかわらないから、必要なときにはいつでも短歌にかえることができる」、みたいなことをすらすらこたえていて、話しながら自分で勝手におどろいていました。本当なのだろうか、というおもいと、本当だろう、というおもいが半々くらいです。
  • 体力が限界だったのと、懇親会が苦手なので、2次会には行かずにかえりました。みなさまありがとうございました。
  • 言語化はたいせつなので、ブログで、いろいろな歌集などの感想を書けたら書きたいとおもいました。また、わたしの評論集とか、歌集を期待する声がきけてうれしかったです。

  • 歌会には、暗い北海道っぽい歌を出したいとおもって、きせつはずれの雪の歌をつくりました。「光あれ、そして光があった」という聖書の言葉は、命令として書かれているけれど、「光があってほしい」という、こいねがうこころの発露にもきこえる。

(かつて、光はなかった。) 雪の霜月の十六歳の進路相談

# 一首評006「湯屋いでし少年のほそきうつしみは夜の白き靄ひらきつつ来る」(高野公彦)

湯屋いでし少年のほそきうつしみは夜の白き靄ひらきつつ来る

 高野公彦『汽水の光』(初版1976;引用2013、現代短歌社〈第一歌集文庫〉p.41)*1

ここまで書いた一首評(001~005)は、歌会で無記名の短歌一首に向き合う場面を想定して、書かれていることのみからその意味を解釈する、ことを基本方針としていました。
今後もしばらくはこのような方針で一首評を書いていきたいとおもいます。

*1:連作「虹の脚」より

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# 一首評004「秋の夜はねむるものにも冴えているものにも掛かる手品師の布」(山階基)

秋の夜はねむるものにも冴えているものにも掛かる手品師の布

 山階基『風にあたる拾遺 2010-2019』(私家版、2019)p.44*1

*1:引用は2019/11/24発行の初版より。章題「2015-2016」

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# 一首評003「遠眼鏡さかさにのぞくとつくにの象の挿頭も見し夕月夜」(山尾悠子)

遠眼鏡さかさにのぞくとつくにの象の挿頭かざしも見し夕月夜

 山尾悠子『角砂糖の日』(LIBRAIRIE6、2016)p.67*1

*1:引用は新装版より。初版は(深夜叢書社、1982)

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# 一首評002「知らない場所に痣がいくつもできてゐる夢より覚めて目覚めてもなほ」(睦月都)

知らない場所に痣がいくつもできてゐる夢より覚めて目覚めてもなほ

 睦月都『Dance with the invisibles』(KADOKAWA、2023)p.79

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# 一首評001「夏のよるの長い家路のなかにあるほそい銅線みたいな覚悟」(川村有史)

夏のよるの長い家路のなかにあるほそい銅線みたいな覚悟

 川村有史『ブンバップ』(書肆侃侃房、2024)p.73

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