永訣の一行

 眠れないので嘘を書こう。

 気のむくまま。

 

 

 最近はランボオの『地獄の季節』を読んでいる。岩波文庫の赤で、訳者は小林秀雄。他に私は新潮文庫の『ランボー詩集』も持っていて、そちらには『地獄の季節』からは一編、『うわごと(その二)』(岩波文庫版では『錯乱Ⅱ』と題されている)のみ収録されている。

 まずは岩波文庫版、『地獄の季節』、その中の『錯乱Ⅱ』から引く。

 

  また見つかった、

  何が、永遠が、

  海と溶け合う太陽が。

   (地獄の季節,小林秀雄訳,岩波文庫,p.44)

 

 流し読んでいる、つまり、「精読」(詩句ひとつひとつの関連情報をたどり(文献で徹底的に調べ)、過去・現在・未来の連関をあばきだし、その時空間的背景を可能な限り理解しようとつとめること)をしていないから、この一節について私は、なにも言及することができない。

 でも、おもしろいと、子供のようにおもっている。

 興味を惹かれた。

 次に、新潮文庫版からも引く。

 

  もう一度探し出したぞ。

  何を? 永遠を。

  それは、太陽と番った

    海だ。

   (ランボー詩集,堀口大学訳,新潮文庫,p.137)

 

 この二つを比較する意図は私にはなく、ただ、おもしろがっている。そう、おもしろい。子どもたちがバッタ採りにたわむれるように、とびはねる詩句にたわむれている。流し読んでばかりいるのだけれども、にやにやとした笑みが常に絶えない。子どものようなしまらない笑みである。

 『また見つかった、何が、永遠が、』、あるいは『もう一度探し出したぞ。何を? 永遠を。』。元となる文章は同じなのに、翻訳を経て、私に理解されるものは全く違う風景だった。それぞれが固有におもしろく、それぞれの違いもまたおもしろい。詩句は、それをつかまえようとする子どもたちの野蛮を逃れ続ける。そして子どもたちは詩句がつかまらないからこそげらげらと笑い駆けまわる。笑いの理由はなぜかって? 説明をすることはできないけれど。

 

 詩を説明することはそもそもできないのではないかとすらおもう。その中身を、あるいはその効果を。説明によってあばきだされるはずの、合理的、一般的な解釈などあるのだろうか。詩を前にしたとき可能になるのは、科学的な「相関関係」ではなく、私とあなたの「つながり」なのではないか。詩の前にしてたたずむ「私」と、詩という根源的な「他者」とのあいだで。他者について語ろうと/画定しようとする言葉は、私には野蛮にしかおもえない。

 私はランボオを読み、笑っている。なぜか? そんなことはわからないし、どうでもいいとすらおもう。子どもが楽しそうに遊んでいて、なぜ遊ぶのかとは考えない。ただ、遊べばいいだろう。もちろん、分析が無意味とはおもわない。子どもの遊びを科学すること、たとえば、発達心理学は無意味ではないだろう。それは社会に寄与するはずだし、豊かな実りをもたらすだろう。しかし、それは結局遊びを理解(解体)などしない。だから私は、心理学よりも、詩を、遊びをいまはもとめる。

 詩とは何か。それはたんなるテクストではないだろう。とびはねるテクスト/昆虫のみが、詩であるはずがないと信じたい。昆虫を追いかける子どもたちのたわむれ、それが無くて何になるだろうか。

 ランボオの詩のみがあるのではなく、「私」の反応をも含めてが、詩という現象なのではないか。

 テクストのみならず、現象としての 詩。

 

 

 さてこそ、導入が長くなってしまったが、「永訣の一行」とこの記事を題した。永訣とは調べてみたところ、「永遠に別れること。死別すること」という意味らしい。この言葉を聞いた/読んだことは、宮沢賢治の『永訣の朝』に関連してのみなのだけれども、その一瞬が、ずっと頭から離れない。

 

  けふのうちに

  とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

  みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

    (あめゆじゆとてちてけんじや)

   (春と修羅,永訣の朝,宮沢賢治,http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html

 

 永訣の一行。不眠の夜、突然にこの言葉が浮かんで、なんとかこれを説明しようと理路の行く先を探している。永訣、永遠の別れ、その一行とははたしてなにか。

 いやそもそも、根本的なところから考えなければならないのかもしれない。詩とは何か。詩にとって、一行とはなにか。

 考えよう。

 

 個別な実体としての「詩」なるものは、存在しないと私はおもう。個別なテクストはあるだろう。しかしテクストはそれだけでは詩にはなりえない。詩とは、関係のなかになりたつ現象ではないか。読者とテクストの、つまり「私」と「あなた」の関係。

 「私」と「あなた」。「私」とは読者だ。では「あなた」とは誰か。それは決して作者のことではない。すくなくとも、私はそうはおもわない。読者が作者の意図を読み取ることが、詩という現象のすべてなのか。そんなはずはないと私は信じる。そんなつまらないものであって欲しくない。「あなた」とはあくまでもテクストのことだ。読者という個別な存在が、テクストという個別な存在と、出会い、関係をとりむすぶこと。私にとって、詩とはそのような「現象」として理解される。テクストと読者との、「情」の交換(感情、情報、情動……)。きらめく閃光? あるいは、一方的な破局。

 だから「作者」もまた「読者」である。純粋な作者など私は信じない。すくなくとも今、この文章を書くにあたって、私は読者としてここにある。自分の考えを読んでいる、読みながら書いている、書きながら読んでいる。おそらく、「テクスト論」なるものを専門的に勉強すれば、ここで「作者の死」という専門用語を用いることができるのだろうが、私には残念ながらその素養がない。最近は電気工学を勉強している。文学理論はほとんど知らない。

 作者は読者であるとしよう。では、作者にとって詩とは何か。作者はなぜ、詩を作るのか。

 

 谷川俊太郎穂村弘の対談を読んだことがあって、『文藝 2009年 夏号』に掲載されているのだけれども、そこでの谷川俊太郎の言葉が強く印象に残っている。

 なぜ、詩を作るのか。なぜ、詩によって自分の言葉を伝え、人を動かしてもよいと言えるのか。人を動かすこと。それは言ってみれば、ある種の暴力である。詩とは、他者への介入であるから。ではなぜ、それをしてもよいと言えるのか。

 なぜ暴力は許されるのか。

 谷川俊太郎はこう答える。

 

 『食うために必要だからです』

 

 この言葉を雑誌で読んだとき、私はとてもうれしくおもった。今でも覚えている。当時使っていたメモ帳には、ボールペンで大きくこの言葉が書き残されていた。

 詩を書くこと。つまり、テクストを産み出すこと。それはある意味では、テクストという他者を「誕生」させることである。そしてテクストは作者を超え出て、読者に、さまざまな他者に干渉していく。よい影響を与えることも、悪い影響を与えることも、ひとしくありうるはずだろう。そしてそのどちらも暴力である。「私」が産んだものが人を変えていく。

 暴力である。それなのになぜ詩人は書くのか。

 

 詩とは普通、メッセージを「伝える」ものと考えられているに違いない。メッセージとはなにか。例えばそれは、「私」=「作者」自身の感情だろう。私の思い出、私の恋愛、私の苦悩、私の絶望、私、私、私。インターネットで詩を探せば、「私の展覧会」がいつ、どこにでもある。そのような「私」意識を突き動かすものはなにか。おそらく、それは欲望だろう。

 誰かとつながりたいということ。誰かに認めてもらいたいということ。何かを「したい」と望むこと。決して満たされることない、~したい。そのようなものはすべて「欲望」である。人は欲望に囚われている。欲望の奴隷であると言っていいかもしれない。欲望はときに享楽を求める。そして欲望はときに、詩を書かせるのだろう。

 そしてそれは、結局のところ暴力だ。欲望は対象を所有しようとするから。欲望によって書かれる詩が、ふくれあがっていく「私」がある。

 

 しかし一方で、谷川俊太郎の動機は違うとおもう。「食うため」。これは欲望だろうか。いや、それは欲望ですらなく、前人間的な、欲求なのだろう。欲望は際限なく膨れ上がる。欲求は違う。食べること、それは根本的な生理的欲求である。つまりは生きるために必要なこと。欲求は自らの限界を知る。

 食うためとは、生きるためである。谷川俊太郎は生きるために詩を書いているのだろう。それも「生きるため」といっても、「詩のなかで私は生き続けたい」とか不透明な神秘論には依拠していない。ただ詩によって金を稼ぐ、そしてそれによって生活の糧を得るために彼は詩を書いているのだろう。

 だから谷川俊太郎の詩はおそらく、欲望に基づく「暴力」ではないのだとおもう。ではそれはなにか。それはある種の「自然現象」だと私はおもう。天災と呼び変えてもいいだろう。天災は多くの人を殺しうる。圧倒的な破壊力を持つことがある。しかしそれは人間による「暴力」とは根本的に異なっている。天災には意図が存在しない。だからこそそれは詩になりうるのではないか。

 欲望によって書かれる詩があるだろう。それは意図にまみれてしまった、ある種の暴力としてのみ存在する。しかしそれとは全く異なった詩があるのではないか。欲求によって産み出されてしまった詩。意図を持たない、だから倫理を持たない詩。

 詩とは、このような自然現象としても書かれるものなのではないか。そして私は、「優れた詩」なるものがもしあるとするならばだが、それはこのような詩だとおもっている。だから私は谷川俊太郎という自然現象をとても尊いものにおもっている。

 

 ここまでの、とりあえずの結論をまとめる。

 詩人はなぜ詩を書くのか。特に、「優れた詩人」について。

 それは、そのような自然現象であるから。作者などもはやそこにはいない。意図などない。私などいない。

 

 

 さて、「永訣の一行」という言葉であった。詩を書くことが自然現象であるなら、はたしてこの言葉はどのように展開できるのか。

 一行。詩。自然現象。詩は自然現象であるならば、そのなかにおける「一瞬の光景」が、詩における一行なのだろう。

 天災の一瞬。報道写真を思い浮かべるのが一番早いだろうけれども、写真は瞬間の比喩として、どこか不適当であるとおもう。報道写真には「私」がいない。だが、「私」の天災の一瞬には、どうしようもなく「私」がとらわれている。私は世界の内においてのみ、天災を経験することができるのだから。

 「私」の一瞬を想わなければならない。

 テクストを読者が読むという現象がある。ここで私が述べているところの詩なるもの、そのような詩は自然現象であり、そこにおいて生じる一瞬一瞬がすべて詩における「一行」なのだろう。

 

 ではこの「自然現象の一瞬」としての「一行」に、「永訣」という概念を接木しよう。

 そもそも、私はなぜ「永訣の一行」などという言葉をおもいついたのか。詩を作ること、作者のことを考えていた。そして、詩のことを考えていた。ランボーのことを。宮沢賢治のことを。あるいは、谷川俊太郎のことを。

 岩波文庫の表表紙には作品紹介が書かれていることが多い。手元の『地獄の季節』から、その紹介文を引用したい。

 

 『16歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人ランボオ(1854-91)。ヴェルレーヌが「非凡な心理的自伝」と評した散文詩「地獄の季節」は彼が文学にたたきつけた絶縁状であり、若き天才の圧縮された文学的生涯のすべてがここに結晶している。』

   (地獄の季節,小林秀雄訳,岩波文庫

 

 ランボーは「文学的燃焼」をなしとげ、「彗星」のごとく消え去ったという。はたして、なぜか。詩を書くことが自然現象であるのならば、そこから離脱するということなどはたして可能なのだろうか。

 『地獄の季節』を読みながら私はこのようにおもっていた。おもわざるを得なかった。私はランボーのことなどまったく知らない。作品も流し読みしかしていない。彼の生涯も、文庫解説程度でしか読んでいない。

 だからこそ、なのだろうか。詩をやめることが頭から離れない。

 ここから、「永訣」についての想像がはじまる。

 永遠の別れ。あるいは死別。

 詩から、永遠に別れること。

 

 

  わたくしといふ現象は

  仮定された有機交流電燈の

  ひとつの青い照明です

  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

   (春と修羅,序,宮沢賢治,http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html

 

 詩を考えるとき、私はいつも、宮沢賢治の『春と修羅』の『序』を思い出す。

 あるいは次の一行を。

 

   おれはひとりの修羅なのだ

   (春と修羅,(mental sketch modified))

 

 宮沢賢治を媒介にして、永訣という言葉と、詩という概念は、私の中で結びつく。詩とは宮沢賢治なのではないかとすらおもう(もちろんこれは妄言である)。

 ランボーを想い、詩を想った。詩を想い、宮沢賢治を想った。そこで概念が結晶し、「永訣の一行」という言葉に至ったのだ。

 私には、いま、「永訣の一行」という仮説がある。どういうことか。端的に述べよう。

 

 詩人が詩人をやめるのは、自分のための「一行」に、出会ってしまったときなのではないか。

 

 

 仮説を検討する。

 再びさきほどの『文藝』に戻ると、谷川俊太郎穂村弘の対談の中で、谷川はこんなことを言う。

 『吉本隆明の有名な言葉があるじゃないですか、「世界を凍りつかせる一行」だっけ。あれを読んだときは「おっ、これは!」と思ったけど、今はまったく思わない(笑)。』

 谷川は、自分の言葉が、永遠に残ることを夢見ないという。谷川のこの言葉に対し、穂村は、すくなくとも言葉の上で、驚愕する。『ショックを受ける』、と彼は言う。普通は自分の書いたものが一行なりとも残って欲しいと望むのではないか、それが根深い欲求なのではないか。穂村がこのように問いかけたとき、谷川は答える。

 『もう、全部流れ去っていくものでいい。』

 

 いま、『文藝』を書棚から掘り出して文章を引用しはじめたのだけれども、偶然、このくだりに目がとまった。「永訣の一行」を布団のなかで想いついたとき、「世界を凍りつかせる一行」という言葉は、まったく、私のなかにはなかったのだが。読んではいたはずだ。だから、忘れていたのだろう。

 そして、思い出したのかもしれない。続けよう。

 

 谷川はなぜ、詩人で有り続けられるのか。その理由はここにある気がする。つまり、彼は「一行」を信じていないから。吉本隆明の著作は読んだことがないから「世界凍りつかせる一行」という言葉がなにを示すのか私はわからない。だけどそれは、私のおもった「永訣の一行」と、ほとんど変わらないものなのではないか。

 世界を凍りつかせてしまったとき、もはや、詩人が生きるべき世界はなくなる。詩人が向かい合うべきものはなくなる。だとすれば、彼は、彼女は、もはや詩をつくる理由をもたない。凍りついてしまった? いや、終わってしまったというべきかもしれない。凍結もまた自然現象であるのだから、比喩としてはまだ不十分だろう。それに対して終わった世界には、自然現象がもはや必要とされない。すべての自然現象の消失が、すなわち世界の終わりであるのだから。そしてそこには当然詩もない。詩という自然現象もまた消滅する。だからこそ世界を終わらせる一行によって、詩人は詩人でいられなくなる。

 「永訣の一行」とはつまり、これではないのか。

 世界を終わらせる一行のことではないのか。

 ランボーは世界を終わらせたのではないか。いまの私は、そう信じる。

 

 「永訣の一行」とは「世界を終わらせる一行」である。このように結論とすることもできる。 

 しかし、これを結論とはしたくない。

 世界などはたして終わるのだろうかと、ここに問おう。決まっている。終わるはずがない。

 

 宇宙は終わると言われている。しかし宇宙の消失は決して世界の終わりではない。宇宙が消えて、すべてが無に還ったとしよう。しかしそれでも、全くの無から、新しい宇宙が生まれることがあるのかもしれない。宇宙の誕生はまだ謎に包まれている。私は宇宙論には詳しくないから、これ以上の言及は避けようとおもう。ただひとつ言えることとして、無は、世界の終わりではないはずだ。

 だからこそ世界は終わらない。

 だとすれば世界を終わらせる一行など不可能なのではないか。それではランボーははたして何を終わらせたのか。

 

 世界の複数化。

 世界がいくつあるのか、私にはわからない。物理学にとって世界はひとつだろうけれども、詩人にとって、はたしてどうであるのか。そもそも「世界」など存在するのか。

 あるのは、「私にとっての世界」ではないのか? これが私の疑いである。

 物理学が前提とするたったひとつの均一な物質的世界、そのような概念が、おそらくはもっとも一般的だろう。しかしそれを「信仰」してよいのか、私にはまだよくわからない。そのような世界ははたして「誰にとっての世界」なのか。誰がそれを保証するのか。誰がそれを観察するのか。私にはよくわからないのだ。

 物理学的な物質世界は、それを保証するものを持たない気がする。かつては神が保証したのかもしれない。だが、いまや、浮かんでいる。主観性によって基礎づけられない浮遊した「対象そのもの」を、私は、うまく信じられない。すべての対象物は、「誰かにとっての-何か」という形でしか、基礎づけられないのではないかとおもっている。すくなくとも、現段階ではそのように信じている。

 だからこそ、一般的な言葉でイメージされる、存在物の総体としての「世界」、そのようなものにはあまり私は近づけない。世界は、「誰かにとっての世界」という形でしか、可能にならないのではないか。

 私はこのように考えている。そしてこう考えると、「永訣の一行」についてうまく理解できる。

 

 ランボーはたしかに世界を終わらせたのだ。しかしそれは、複数化している世界のうちのひとつ、「ランボーにとっての世界」でしかないのだろう。それでも彼にとっては世界だった。彼の世界は終わったのだ。そして私たちにとっては、まったくの無意味でしかない。

 あるいは、谷川俊太郎は「世界の終わり」を信じないのだろう。彼にとっては世界とはきっと、驚嘆すべき永遠性であるに違いない。だからこそ、彼はいつまでも詩人であり続けているのではないか。「谷川俊太郎にとっての世界」は、いつまでも自然現象に満ち溢れる。

 世界を終わらせる一行とはあくまでも「私にとっての世界」を終わらせる一行でしかない。他者からすれば、とるに足らない一行かもしれない。「誰かにとっての世界」が終わったことなど、決して知覚することができないのだ。

 しかしそれでも、それはやはり、世界を終わらせる「永訣の一行」なのだ。

 

 第二の結論をまとめよう。 

 「永訣の一行」に至ったとき、つまり、「私にとっての世界」を言葉によって終わらせてしまったとき、詩人は詩人でいられなくなる。

 長かった。これで、ほとんど終わりだ。

 

 最後に、「世界の複数化」についての批判をおもってみる。このような考えは、安易な相対主義なのではないかと、きっと批判があるだろう。いや、そうではないのだ。

 「誰かにとっての世界」は、「誰か」の数だけ存在する。たとえばその「誰か」とは人間だけではないだろう。動物も含まれる。植物も含まれる。あるいは機械も。あるいは無機物も。あるいは神も含まれるだろう。「誰かにとっての世界」は、文字通り無数にあるだろう。しかしそのすべて、共通する構造をもっている。すなわち、「誰か」が「世界」を「把握」するというという構造だ。そして、世界が誰かに現れ出る、という現象がある。

 私がおもうに、このような「現象」を可能にする、共通の「地平」があるのではないか。それこそが相対主義を否定するものなのではないかとおもう。ここでいう「地平」は、物理学の前提する物質的世界とはまったく異なった存在である。いや、「地平」はそもそも存在ですらないだろう。決して対象とされることがないもの。存在するとは別のかたち、としかいいようのない仕方で「ある」われわれの「地平」。すべての現象を可能にする「場」。そのような「共同性の場」としての「地平」があるのではないか。

 「共同性の場」においては相対主義は成り立たない。だからこそ、世界の複数化は決して相対主義ではない。

 

 

 さて。もういいだろう。ここまで書いて理路が尽きた。そろそろこの記事も終わりにしよう。まったくの書き溜めなしに流れにまかせて書き始めたのだけれども、そして非常に、あまりにも長くなってしまったのだけれども、それだけの価値はあったとおもう。予期せずして最近考えていたことをまとめることができた気がする。

 最近考えていたこと、ひとつは詩について。「私」に寄らずに書くということ。そして、詩人はなぜ書きはじめるのか。なぜ書くことをやめるのか。

 もうひとつは思想についてである。共同性と個別性について。こちらは、もうすこし掘り下げて、というよりも厳密に、どこかで書くべきかもしれない。いまはまだアイデアスケッチにとどまっている。でも、書くべき方向性は見失っていない。

 

 記事を書き終えた。まとめは終えた。これから私のするべきことを考えている。理論は十分にあるのだけれども、残念ながら私には、実践がまったく伴っていない。私は詩をおもっている。だが私はまだ詩を書くための十分な技術を身につけていない。

 私は実践をするべきなのだ。

 しかし詩を書こうと、特に意識する必要はないのだろう。私が詩を書くとき、必要性ではなくて、必然性が訪れるだろうから。自然現象としての詩が私を貫流するのではないか。なんとなくだが、そのような予感がある。詩を書こうと意識せずとも、詩を書いてしまうような気がする。流れに任せて、もうしばらくは、詩を書き続けてみたい。すくなくとも詩を書けるうちは。書きたいと私がおもえるうちは。

 言葉とたわむれていられるうちは。

 そしていつしか、私は私だけの、永訣の一行にたどり着くのかもしれない。わからないけれど。

 

 その時を待っている。

言葉の記憶を書くということ、詩について

 青春18切符が余っているので、住んでいるところ、つまり札幌を起点にして北海道各地を日帰りで移動・通過しようと計画していて、昨日、その第一日目を終えた。詳しい経路等についてはノートに手書きで書きためているものがあって、いわゆる旅行記なのだけど、後日、それをブログに別の形であげるかもしれないし、あるいはあげないかもしれないが、とにかく、今回の記事では省略したい。

 北海道に私は住んでいて、住み始めて二年が経とうとしている。

 

 旅のおともに『アイヌ語地名で旅する北海道』(北道邦彦,朝日新書,2008)という本と、あといくつかのアイヌ関連書を持っていき、電車の中で読んでいた。別件で買った北海道の道路地図と、JRの時刻表と、その本とを見比べて、地名(山、川、駅、など)の由来を考えながら、在来線に揺られ続けた。

 昨日は深川、旭川、美瑛、富良野、芦別などに行った。

 

 言葉には、記憶が宿っているのだとおもう。

 たとえばそれは、「文化」とも呼ばれる、「共同体の記憶」だろう。

 一例。「札幌」は、『アイヌ語地名で旅する北海道』によるとアイヌ語の「Sat poro pet」(乾いた 大きい 川)が由来である、という説が有力であるらしい。他には「Sari poro pet」(葦原 大きい 川)とする説もあるそうだ。ここで示されている「Sat poro pet」あるいは「Sari poro pet」とは、札幌を流れる豊平川の名前であるらしく、「川」を意味する「pet」が省略されて、現在のサッポロになったと、推定されているらしい。

 もう一例。昨日、函館本線で旭川方向に向かっていたときのことだ。車窓から、進行方向左手側に、横に長く続く山をみた。多分、「隈根尻山」だとおもう。「Kuma(横棒) ne(のような) sir(山)」という意味らしい。調べてすぐ、なるほど、と私はおもった。たしかに横棒のように見えたから。教師に教えられるように、言葉に「教えられた」ようにおもった。

 これら言葉の「意味」は、かつて「北海道」に生きていたひとびとの、記憶なのではないか。記憶が言葉に宿り、いまの私たちにも残った。

 あるいは、札幌地下鉄の南北線に、「自衛隊前駅」という駅がある。この言葉の意味は、あるいは由来は、いまを生きている私たちにとってはあまりにも明白であるだろう。しかしたとえば1000年後の、あるいは10000年後の、もはや「日本人」ではなくなったのかもしれない、可能的な存在としての私たちにとって、その駅名はどのようにみえるのだろうか。まったくわからない。だが、自衛隊という組織が、おそらく、なくなったときがあるのかもしれない。それ以後の未来を生きる私たちにとって、「自衛隊前駅」という言葉は、記憶なのだろう。つまり、「自衛隊前駅」という名前には、いまの私たちの、共同体の記憶が宿っているのではないか。

 

 言葉の意味には記憶が宿る。だからこのように考えられる。

 言葉は、いまを生きている私たちに、かつて生きていた私たちの、共同体の記憶を与えるのだろう。

 それは地名に限らないに違いない。ほとんどの言葉には、きっと、由来があるのだろうから。

 

 だが、結論ではなく、さらに文章を続けたい。記憶について、そして共同体について、もう少し理解を深めたい。

 言葉の意味には共同体の記憶が宿る。だが、言葉に宿される記憶はきっとそれだけではなくて、個人の記憶もまた、言葉に宿されるのだろう。

 水。

 一般人にとって、水泳に人生を費やしたひとにとって、化学を専攻する研究者にとって、水彩画家にとって、そして餓死者にとって、溺死者にとって、この言葉の意味は全く異なるだろう。

 個人の記憶は、その個人の中で、言葉に塗り込められていく。だから言葉の「意味」はひとによって少しずつ異なっていくだろう。

 

 このような「個人の記憶」は、個人の数だけ存在する。そのなかで、より大きいもの、つまりより多数に同意されるものが、「共同体の記憶」として、言葉として引き継がれていくのではないか。

 「横棒のような山」というのは、最初は、個人の感想だったに違いない。誰かが「横棒のように見える」と言った。誰かもそれに、「私もそう考えていた」と同意した。同意は広まる。個人の感想が、多数に共有されたからこそ、それは言葉として生き残ったのではないだろうか。個人の記憶は、共同体の記憶に変わりうるのだ。

 

 さらに、詩について考えたい。

 「放課後」という言葉には叙情がある。だがそれを、たったひとつの「一般的=共同的」なイメージに還元することはできないだろう。青春主義者にとっての放課後と、孤独主義者にとっての放課後と、学校に通えなかった人にとっての放課後とは、完全に途絶してしまっているのだから。

 このような途絶の中でそれでも、言葉に記憶を宿そうとする、全く無謀な営み、新しい意味の創造、その結果として現れてくるものが、いわゆる「詩」なのではないだろうか。

 詩とは、つまり、記憶と向きあう作業なのではないか。

 

 詩人に書けることはほとんど記憶だろう。現在の身ぶりそのものを詩にすることは難しい。記録されたとき、それは死ぬのだから。書かれたものはすべて、記憶になってしまうとおもう。

 では、詩人はどのような記憶を書くのか。

 「私の記憶」を書く詩があるだろう。伝統的な短歌はほとんどこれなのではないかとおもう。

 次に、私たちの共同体の、「典型的な記憶」を書く詩があるだろう。「夕暮れ=物悲しい」のような、すでにありふれたものを再動させる詩だ。このような詩は、生きている私たちの「共感」をさそうものなのではないか。

 そのような「典型的な記憶」を自覚した上で、それに抗して、「典型的でない記憶」を書く詩もあるに違いない。私たち「ではない」共同体の記憶を書くこと。「夕暮れ=走り高跳び」、なんでもいいけど。奪われた言葉? 忘れられようと、あるいは、そもそも記憶すらされないものを、明るみにだそうとする営み。または、言葉の新しい解釈。とにかく、このような詩は生きている私たちに、知らないもの=「驚異」を感じさせるのではないか。

 ほとんどの詩の構成要素は、これらのどれかに分類できる気がする。

 

 だがこれらはどれも、「生者の記憶を書く」という一点で、同じ水準にまだあるように私はおもう。まだ、詩にはなにかある気がする。言葉の可能性はまだあるのではないか。

 つまり、この他に、「言葉の記憶」を書くという詩も、またありうるのではないかとおもう。どういうことか。

 

 「言葉の記憶を書く」ということ。それは決して、言葉の由来を掘り起こす、だけの考古学的作業ではない。そうではなくて、過去の共同体、いまの共同体、あるいは未来の共同体、さらには各共同体とりこまれなかったものたちの共同体、それらの顕在化していない記憶を言葉の中に発見しようとする試みになるだろう。

 実感することのできない過去の共同体の、あるいは、まだ実現していない未来の共同体の、それらのいわば「透明な記憶」を、言葉の中に見出して、言葉によってそれを表現するということ。そのような詩もまたありうるのではないか。言葉にはそのような「見えないもの」にせまる能力が、そもそも、備わっているのではないか。

 それが「具体的に」どのような詩なのか、私には全く見当がつかない。だが、すでにそれはあるのではないか。あったのではないか。だから、いままで「わからない」と遠ざけていた詩であっても、このような目から再び読めば、「わかる」ようになるのかもしれない。言葉を、その能力を、私はいままで誤解していた気がする。

 興味は尽きない。

 

 『存在論的、郵便的』という本をいま、流し読みしていて、この本に書かれていることは、上の文章につながる気がする。

 あるいは小川洋子先生の『寡黙な死骸 みだらな弔い』の「文庫版のためのあとがき」では、次のように書かれていた。

 

 『自分が過去に味わった読書体験のうち、最も幸福だったものは、ああ、いま読んでいるこのお話は、遠い昔、顔も名前も知らない誰かが秘密の洞窟に刻み付けておいたのを、ポール・オースターが、川端康成が、ガルシア・マルケスが、私に語って聞かせてくれているのだ、と感じる一瞬だった。』

 『小説を書くとは、洞窟に言葉を刻むことではなく、洞窟に刻まれた言葉を読むことではないか、と最近考える。』

 [p.240]

 

 いま生きている者たちの、いま生きている共同体の、つまり「生者の記憶」ではなくて、言葉に宿されている生者以外の、「透明な者たちの記憶」を、読み取り、そして、書きあげた詩。

 そのような詩が、あるのだろうか。あるのならば、私はよみたい。

共同性と個別性についてのメモ、あるいは永遠について

 『読んだことのない本について堂々と語る方法』という本を読み終えた。

 

 最近さまざまな本を流し読みしながらずっと考えていることがあって、だけれどもそれをひとに説明できるかたちで、まだ言葉に置き換えることができない。そのような私ではあるけれど、せめて「自分だけ」には伝わる形で、なにか「メモ」を残しておこうと思った。そしてキーボードに向かっている。

 『他でもない私自身のために』、この文章は書かれている。

 不要になったら消すかもしれない。

 

 共同性。

 リンギスの『何も共有していない者たちの共同体』あるいは『信頼』という本を読んだのは高校生のときであるけれど、そのときからずっとこの問題が気にかかっている。

 私がここにメモする「共同性」とは、「共同体」のことではなく、つまり固有の実体を意味しない。共同体の本性、とでも定義すればよいのだろうか。同様にして、固有の実体としては存在しない、個体の「個別性」を考えている。

 共同性と個別性は関係している。

 それは決して、どちらが先にあるというものでもないだろう。共同性があって個別性があるわけではなければ、個別性があってから共同性があるわけでもない。両者はおそらく、関係の中にしか成り立たないのだ。熱さがあるから冷たさがあるように、個別性がなければ共同性もないのではないか。

 しかし、すこし考えを深めてみたい。「共同性」と「個別性」を「自己」と「自我」に置き換えると、明らかに「自己」の方が先立つ。「自己」とは他者の他者としての私であり、「自我」とは単なる〈私〉である。「自己」は共同性であり、「自我」は個別性であるが、〈私〉という自我が成立する前に、まず私はひとびとに自己として出会うのだ。「自己は自我に先立つ」とは、鷲田清一の「自分」についてのエッセイでたびたび触れられていたことでもある。

 共同性という概念と個別性という概念とでは、はやさに違いは存在しない。しかし個体は共同体に遅れる。このような関係がここにはあるだろう。

 

 共同性を宿す実体と、個別性を宿す実体がある。

 共同性を宿すものを「それ」と、個別性を宿すものを「これ」と、以降はかっこつきで指し示したい。

 個別性が複数存在することで、共同性という単一なものは成立する。

 だから、真に純粋なものとしての「それ」は、たったひとつしか存在しないものだ。「それら」はけっしてあり得ない。そして定義上、「それ」があるということは、「これ」が「これら」としてあるということと不可分である。「それ」がある以上、「これ」はたったひとつではあり得ない。

 すべての「これら」があわさったところに、「それ」というたったひとつの実体が成立する。

 共同性と個別性はこのような関係にあるのだと思う。

 それでは、「それ」と「これら」の関係とはなにか。

 先程述べたように、どちらが先にあるというわけではないだろう。だが「これ」にたいしては「それ」が先立つ。

 

 針山につきささった複数のまち針を考えている。「それ」と「これら」の関係を、この針山にたとえて考えてみたい。

 このとき、基盤にある針山が「それ」であり、まち針の先端にある持ち手の球が「これら」である。「それ」がなければ「これら」は倒れてしまう。だが、「これら」がなければ、「それ」の意味は消滅する。針山ではないただの綿塊になってしまうから。

 このようにして「それ」があり、「これら」があるのではないか。

 

 「それ」と「これら」の関係は、針によって担われている。では、針とは何か。

 おそらくそれは、「言葉」あるいは「直観」であると私は思う。たったひとつの針が、ある角度からみると「言葉」に見え、ある角度から見ると「直観」に見えるのかもしれない。「言葉」について究明しようとするものが「言語哲学」であり、「直観」について究明しようとするものが「現象学」、なのだろうか。メルロ=ポンティの哲学は「両義性」あるいは「可逆性」の哲学であると、鷲田清一の本で読んだが、このふたつが互いに不可分であるということに彼は言及しているのかもしれない。

 互いに不可分の針であるということ。

 そして、言語哲学と現象学、ふたつの哲学は共に、針を分析することで「それ」と「これら」の関係を究明する学問に、私には思える。

 

 ライプニッツの『単子論』という本を流し読みしていて、彼のいう「モナド」は、まち針の先端の球ではないか。『モナドは窓を持たない』というなぞめいた言葉があるけれど、「これ」同士はたがいに「言葉」や「直観」でつながりあうことはできないのだと思う。「これ」は針によって「それ」に接続するしかない。「これ」同士がであうためには必ず、「言葉」や「直観」は「それ」を経由しなければならない。綿のなかで意図はゆがめられるだろう。

 だからこそ「これ」は『窓を持たない』のだろうか。

 

 あるいは木村敏の『あいだ』という本も以前流し読みしたことがあって、そこでは「あいだ」とか、「生命の根拠」という言葉が使われていた。「これら」が存在するための「生命の根拠」としての「あいだ」。『あいだ』がそのように述べた本なのかはわからないが、「生命の根拠」とはまさに、上でたとえたところの針山、つまり「それ」なのではないだろうか。

 北村透谷の『内部生命論』を同じ頃青空文庫でざっと読んだけれど、生命とはなんだろうと、ただただ不思議におもっている。

 

 あるいは中沢新一。彼の『宗教入門』という本で、「スープランド」という表現を読んだことがある。いわく、私たちふつうのひとびとは、世界というスープの表面にただよう具材のようなものであるという。世界の表面にただよう、たとえばたまねぎであるところの私たちは、同じように表面に浮かぶものだけをながめていて、それが世界のすべてだと考えている。

 しかし世界はそのような表面だけではない。ある日突然スプーンがさしこまれる。スプーンの侵入に気づいた人は、世界にはまだ「深さ」があるということを知る。たしか彼によれば、宗教とは、そのような「深さ」に気づいたひと、たとえばイエスであり、たとえば釈迦、から始まったという。表面に浮かぶものだけではなく、まだ、この世界には何かがある。私たちの奥にはなにかがある。そのような気づきが宗教の始まりなのだろうか。

 さきほどの共同性と個別性の問題として考えれば、スープの表面とは「これら」であり、スープの奥とは「それ」であると、たとえることができるかもしれない。

 

 あるいは佐々木中の『夜戦と永遠』という本を同じようにいま流し読みしていて、そこでは絶対に到達できない「死」の領域として、ラカンの「現実界」が触れられていた。あるいは似たような(?)ものとして、「外」と呼ばれる時空があるという。西谷修の『不死のワンダーランド』でも、同じように「外」という言葉が使われていて、ともにブランショからこの言葉を引いているらしい。

 『夜戦と永遠』は第一章のラカンの部分で、すでに私は足踏みをしてしまっているため、「現実界」と「外」の関係についてまで、まだ読み進められていないのだけれども、そのうえで考えていることがある。

 だからこれは、再度念を押すけれども、単なるメモである。

 想像界象徴界現実界という三つの世界は、たがいに不可分であり、その関係はボロメオの輪によって喩えられている。隠喩とは、あるいは意味とは、その三界のうち想像界象徴界のまじわるところにあり、そして、現実界には関わっていないものだという。想像界とは直感的な世界であり、象徴界とは言語的な世界であると、私は読みながらなんとなく捉えていた。

 もしかりに、現実界を、あるいは「外」を、先のたとえでいう針山であると、あるいは「それ」であると考えるならば。想像的かつ象徴的であるもの、直感的でありかつ言語的であるもの、つまり針もまたこの場合は「意味」であるとして、位置づけられるのかもしれない。

 「それ」=「あいだ」=「生命の根拠」があって、生命の根拠とはそれ自体生命ではないものだから、つまりは、「非生命」=「死」、として考えることもできるだろう。そして「それ」の側から見た場合、意味の向こう側には、「これら」がいる。「これら」とはたとえばあなたであり、私だろう。

 意味によって、つまり隠喩によって、現実界という針山に触れられるのか、その「外」の時空に到達できるのか。現実界は染み出すという。詩によって? 詩の力? わからないけれど。

 やはりまた、「それ」と「これら」の関係の本として、『夜戦と永遠』を読むことが可能なのではないかと、私は、いま、考えている。この読み方が正しいのかはわからないけれど、すくなくとも、このように読むことは楽しくはある。

 

 最後に、永遠について。「何も終わらない、何も」と佐々木中は書いていたけれど。『切り取れ、ある祈る手を』という彼の語り下ろしの本ではこのことが強く主張されていた。

 永遠とは。つまり、不死とはなんだろう。

 まず考えたいこととして、「これ」が生きているとはどういうことだろうか。あるいは、「これ」にとって死とはなんだろう。

 「私の死は存在しない」とは『不死のワンダーランド』に書かれていたことであるけれども、要するに、私の死の瞬間には、死を経験する私はすでにいないのだから、私にとって死は経験されない、ということであるらしい。

 死は常に、誰かの死としてしか現れない。少なくとも、経験はされない。

 死を「それ」と「これら」で、つまり針山の比喩で考えてみたい。「これ」のことを、いままで針のさきについた持ち手の球体として考えてきたけれど、それを電球のようなものとして、考えてみたいと私は思う。オンの状態がありオフの状態があるもの。

 

 死とは、この電球の光が消滅するようなことではないだろうか。

 誰かの電球が切れたことはわかる。私からそれは確認することができる。しかし、私の電球が切れたことは、私自身は確認できないだろう。そのときすでに私の視界は失われてしまっているのだから。

 宮沢賢治の『春と修羅』は、その「序」は、『わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です』という印象的な一文で始まるけれども、このような「電球」の解釈をした場合私には、この一文がすんなりと飲み込めてしまう。

 

 そして『春と修羅』、先程引用した文の次には、このような一文が来る。

 『(あらゆる透明な幽霊の複合体)』

 針山にまち針が突き刺さっていて、まち針の先では電球がついたりきえたりとせわしない。電球は「これ」である。私であり、あなたである。電球は、おそらく、点灯しているものだけではないだろう。消えているもののほうが圧倒的に多いに違いない。その中にはきっと、「すでに消えてしまった」電球があるだろう、「これから点く」電球があるだろう、だが、「過去においても未来においても、絶対に点灯しない」電球もあるだろう。

 それら過去の、未来の、ありとあらゆる可能な電球を、ありとあらゆる可能な「これら」を、そしてそれらをすべて自らにつなげる共通の基盤としての「それ」を、以上をあわせて考えたひとつの複合体が、『あらゆる透明な幽霊の複合体』、なのだろうか。

 あるいは、『輪るピングドラム』というTVアニメでは、シリーズの後半、「透明」という言葉が繰り返し使われていた。

 きっと何者にもなれないお前たち。

 かつて点灯せず、そしてこれからも絶対に点灯しない、「これ」。絶対に何者にもなれない存在。

 そのようなものははたしてあるのだろうか。

 

 「それ」と「これら」の複合体は、私は時間を持たないと思う。

 「これら」にとっては時間があるだろう。X時間前に、どこどこの電球が消灯した、そのような事実の端的な記述がきっと時間を表すに違いない。このような時間は関係の記述、その順序として表現されるだろう。だが、そのような時間は、「これら」のうちでしか意味を持たないのではないか。時間は「これら」の関係でしかない。

 そのような、「これら」の関係としての時間は、「それ」にとってはなんの意味も持たない。

 だから、複合体は時間を持たないのではないか。

 再び佐々木中に戻ると、「永遠の夜戦」と呼ばれるものがあり、それは「外」において行われうるという。「外」、つまりは、「それ」であった。「それ」は時間を持たないのだから、きっと、永遠なのだと思う。

 

   すべてこれらの命題は

   心象や時間やそれ自身の性質として

   第四次延長のなかで主張されます

 

 再び『春と修羅』の序から引用したけれども、いわゆる物理学的な三次元の空間というのは、どこまでも「これら」の関係でしかないだろうか、と私は考えている。心象も時間も命題それ自身の性質も。しかし詩は、意味は、あるいは「針」はどうなのだろう。

 それらは、もしも、『夜戦と永遠』を私が徹底的に読み違えているのでなければ、「これら」を抜け出て、「それ」につながっているものなのではないか。そのように書かれているのではないか。

 ならば第四次延長とはなにか。

 詩が主張される、「それ」のある場所、なのだろうか。

 

 『われわれには出来事の連鎖と見えるところに、彼はただ一つの破局を見る。』

 ベンヤミンの『歴史の概念について』という文章があって、私はベンヤミンの書いたものをこれしか読んだことがない。上の文章はその第九テーゼからの引用である(河出書房文庫,ベンヤミンアンソロジー,p.367)。彼とは、ベンヤミンのいう「新しい天使」である。

 歴史においてはさまざまな「もの」が存在するが、それらは緊張関係のなかでひとつの布置(コンステラツィオーン)を描いているという。それは星座によって喩えられていた。布置とはつまり、「これら」の関係であるのかもしれない。

 「それ」のうえで「これら」が描く星座。

 破局とは、電燈の消灯だろうか。多数の電球が一斉に、他の電球の作用によって一斉に「消灯させられる」ことがある。大量死とはそのようなものだろう。打ち砕かれてしまった電球があるだろう。

 そして残される無数の破片。そのような破片をも、「これら」の全体の関係のなかには含まれる。けっして複合体のなかからは消滅しない。なぜなら、電球が砕かれたとしても、その根は、針は、まだ「それ」に根付いているのだから。

 だからベンヤミンの言う「いまこのとき」の中には、過去にあった「これ」も、未来に実現する「これ」も、あるいは過去にも未来にも実現しなかった「これ」も、同時に併置されているのではないか。

 

 『この「いまこのとき」のうちに、メシア的時間の破片がちりばめられているのだ。』[同p.378 補遺A]

 

 メシアは何をするのだろう。救済とは何だろう。

 「それ」を経由して私という「これ」がそれとは別の「これ」につながるためには、果たして何をすればいいのだろう。

 ……書くこと?

 

 なんにせよ、永遠はあるのだろう。生と死を、あるいはそれ以外をも含みこんだ関係の複合体として。

 

 

 メモしたいことはとりあえず、以上で尽きた。観念論に過ぎないと思う。誰にも説明できていない。

 少なくとも、私自身は飲み込めていない。

 「書くこと」にどのような意味があるのか。メシア? 少なくとも、いまだ、そのような「書くこと」には誰も到達できていないのではないか。

 

 ここに書かれたことはなにひとつ、私の独創などではない。すでに存在している文章を個人的に整理したものにすぎないからだ。私ではなくても、誰かが書けただろう。あるいは、誰もが書けただろう。

 独創など、ありえないのではないかとすら思う。(言葉も現象も、私の所有物ではない)

 そしてこれは、私にとっての本の読み方を、あるいは本の関係づけ方を、整理した文章でもまたあるだろう。『読んでいない本について堂々と語る方法』では、本の関係を「図書館」にたとえ、「内面の図書館」という言葉が使われていた。このメモは私の「内面の図書館」でもあるのかもしれない。「それ」と「これら」の関係を軸にして、私の内面の図書館は整理されている。それ以外の読み方がいまはできない。

 

 私は私の読みたいものを文章から読みとっているに過ぎないのだから、ここに書かれたものは、私の読みたいという欲望を、整理したもの、でしかないのだろう。

 かなしいかな。

 ならば私は、私の読みたくないものを読んでみたい。だがそれは決して不可能なのだ。

 

 せめて書ければいいと思う。だから私はきっと詩を、短歌を、書いている。

卒業について、終わりについて

 「映画けいおん!」を観た。久しぶりに観る映画だった。

 けいおんのアニメシリーズは断続的に数話を観た程度、一応原作は人から借りて高校編の終わりまで読んだのだが、作品に対し特別強い感情を抱いているわけではない。ファンと呼ばれる立場にはないと思う。そんな私ではあるが、今週中に札幌での上映が終わるということで、もったいないかと思い観ることにした。

 感想、面白かった。前半少し退屈したが、ロンドンへ渡って以降、彼女たちの「わくわく」を同様にわくわくする私がいた。何を論じる必要があるだろう。わくわく、それだけでいいじゃないか。語ろうとする言葉はかえって野蛮であるようにも思える。であるが、機会があれば、別のブログにしっかりとした文章を書こうかとも思っている。

 今は別のことを書きたい。

 

 「終わりなき日常」とか、「終わりなき日常の終わり」とか、あるいはこれに似た言葉を去年はたくさん耳にした。なんだかな、と思っていた。終わらないものなど何もないのではないだろうかと、私は考えている。日本はいずれ終わる。生命はいずれ終わる。宇宙は終わる。終わらないものなど何もないだろう。これが私の基本的な立場である。格好つけて私の「ドグマ」であると、呼んでもいいかもしれない。

 「終わりなき日常」などありうるのだろうか。

 「けいおん!」に限らず、物語は必ず終わる。終わりなき物語などないだろう。なぜなら、作者は永遠の存在ではないのだから。永遠の存在は神だけである。

 「日常」とは物語の一種ではないだろうか。日常なる事物が存在するわけではないだろう。日常とは、語りの中にのみ存在するものだと私は思う。「日常」という言葉は状態に対する評価であり、つまりは状態の記述ではないだろうか。特別なことがない状態を評して私たちは日常と記述する。「日常」とはそのようにして語られる「物語」ではないか。

 物語は必ず終わるのだ。だからこそ、終わりなき日常など存在しない。

 

 しかし、終わった物語は再開することができる。このことは強調されるべきだろう。

 作者は途切れる。しかし途切れた作者を誰かが引き継ぐことはできる。『Project Itoh goes on.』というフレーズを思い出している。

 だからこそ、終わりは決して断絶ではない。『幸せは途切れながらも 続くのです』と歌うスピッツの歌があったが、すべては途切れながらも続く、いや、「続きうる」のではないだろうか。

 宇宙は終わる。だが終わったのち、それとは別の宇宙が再誕するかもしれない。その可能性は否定出来ないだろう。

 完璧な終わりなど存在しない。

 

 さてこそ、話を次に転じたい。

 卒業は終わりなのだろうか。

 卒業は終わりである。それは間違いない。卒業によって学校生活は終わる。しかし同時に卒業は終わりではないだろう。卒業しても生活は続くのだから。

 だからこそ、卒業は終わりであって終わりではないと言えるのではないだろうか。

 

 卒業は終わりじゃない、フィクションにおいてはしばしば言われる。そう言いながらフィクションは終わってしまう。学校を舞台にするさまざまなフィクションに慣れ親しんだ人であるならば、何度も同様の経験をしたことがあるはずだ。卒業は終わりじゃないと言いながら、卒業によってフィクションは終わってしまう。

 一方で、卒業は終わりだと私たちは言う。それは学校生活の終わりを指している。「終わりだから」、そう言いながら卒業アルバムに寄せ書きをしたり、あるいは記念写真を撮ったりするだろう。しかし卒業は部分的なものしか終わらせない。学校を卒業しても生活は続くのだから。あれほど離れ離れになると思っていた誰かと、他愛もなく再会してしまうかもしれない。卒業は終わりだと言いながら、卒業によって生活は終わらない。

 終わるのか、終わらないのか。フィクションと実生活との間で、「卒業」の扱いが鏡写しになっている気がする。終わらないと言いながら終わってしまう。終わると言いながら終わらない。

 卒業によって終わるもの、卒業によっては終わらないもの。つまりは「世界」のことだろう。

 終わる世界=フィクションにおいては「卒業は終わりじゃない」と言われ、終わらない世界=実生活においては「卒業は終わりだ」と言われる。なぜだろう。どちらも、「祈り」の言葉なのだろうか。ありえないものを希求する「心」が産み出した言葉なのか。

 そう言うのは、少し行き過ぎかもしれないが。

 

 全ては終わる。だけれども続く、続きうる。それは希望でも絶望でもあるだろう。希望が終わるのは絶望であり、絶望が終わるのは希望であるのだから。

 卒業を引き継ぐものは誰なのだろう。それからの私の生活か、学校に残る後輩たちか。よくわからない。答えなどあるのだろうか。

 ともあれ、既に2月も半ばを過ぎた。卒業の季節が近づいている。

雪に踊る、アイドル、主役とは

 先日、かの「さっぽろ雪まつり」が開かれている大通公園を訪れた。

 行こうと思って行ったのではなかった。地下鉄を利用して市内をぶらぶら巡っていたときに時間が余ったので、なんとなく立ち寄ったのだ。偶然その日は雪まつりの最終日だったので、私は存外うれしくなった。

 既に日は暮れていた。風の強い日であり、雪も大量に降っていた。つまりひどい吹雪だった。時によっては視界のほとんどが奪われるようなひどい天気で、通りの電光掲示板にはマイナス六・五度と表示されていた。

 そんな日であっても会場にはひとがたくさん集まっていた。出店も繁盛しているようだった。多くのひとがめいめい何かを食べながら、笑っている。イベントであるから、祭りであるからだろう。「祭り」という行事の求心力を私は思った。祭りを「祭典」といいかえると儀礼めいてしまうが、そのときは確かに儀礼めいたものが公園内には満ちていたのだと思う。

 札幌の夜には冷たさと暖かさが混濁していた。

 思いながら公園を散策した。

 

 情景描写で足踏みしていても仕方がない。さっそく本題に入りたい。

 書きたいことはそこで観たアイドルのひとたちのことである。

 雪まつりを観るのは今年が二回目のことだった。雪まつりの見所は主にふたつあって、ひとつは常設されている雪像たち、もうひとつは時間指定で行われる様々なイベントだと思う。

 夜の中で照らされる雪の像は奇妙だった。光の色に染まっているはずだった、しかし雪像は確かな白色に感じられて、色の不思議を私は思った。しかしそれについてはここに書いても仕方がない。いつかの機会にとっておこうと思う。

 特に何を注視することもなく歩き回っていたとき、音楽が聞こえてきた。最初はただのBGMに聞こえた。近づいて違うことを知った。それは生音、生きている音だった。

 やがて視界が開ける。氷でできたステージの上で、アイドルと思われる少女たちが歌い、踊っていた。

 

 

 大通公園は碁盤目状の街を横切るように細く長く広がっている。丁目ごとに会場名がつけられていて、私がたどり着いたのは「氷の広場」と呼ばれる会場だった。

 氷のステージの上で、アイドルの少女たちが踊っていた。曲は多分、私は詳しくないので確信は持てないが、AKB48の曲だったと思う。カバーだったのだろうか。ステージの前には黒山の、それなりの人だかりができていた。決して多くはなかったが、少なくもない。通行人の多くはそこで足を一度止めた。私もそれに従った。

 氷点下だった。雪もひどく降っていた。

 だからそれはまるで非現実的な光景に思えた。

 私は雪像を見てまわるため、一目見やってからすぐにそこを立ち去った。しばらく、二十分ほど経ったあとだろうか、もう一度そこを訪れた。まだパフォーマンスをやっていた。別のアイドルグループに交代していたようだが、人だかりの大きさは変わっていなかった。しばらく見学をすることにした。

 

 テレビやインターネットではなく、現実にアイドルを観るのはそれが初めてのことであり、少し興奮した。「リアルアイドルだ」、と私は思った。おそらく全国的に有名なアイドルではなかったのだと思う。人だかりを占めるのは私と同じく、興味本位の人ばかりのようだった。

 だが最前列には、サイリュームを持って踊る熱心なファンのひとたちもいた。野太い声が響く、そこだけが別空間だった。「これがそれか」、と私は思った。アイドルオタクと呼んでいいのだと思う。いわゆる「アイドルオタク」のひとたちを観るのもまた、私には初めてのことだった。

 モニターの向こうにしか存在しないはずの、「非現実」がそこにはあった。おかしさに、頬がゆるみそうになった。面白いという意味ではなく、奇妙だった。ただおかしかった。だって夜で、気温は氷点下で、風が強く吹いていた。アイドルの少女たちは暖かそうなコートを着ていたが、それでもステージの上は寒そうに思えた。

 なんなのだろうと思った。不思議だった。

 ステージ上のグループがまた交代した。次に現れたアイドルのひとたちはコートではなく、制服様の衣装を着ていた。一目で寒そうに見えた。震えていた。しかし、彼女たちは楽しそうでもあった。明らかに、私よりも年下だった。「北の宝石箱」と自分たちを紹介した。

 調べたところ、「Jewel kiss」というアイドルグループであるらしい。

 

 去年、私は「THE IDOL M@STER」というアニメシリーズに心を奪われた。

 アニメで観たそのままの光景ではない。しかしアニメに感じたある種の「情熱」が、その舞台には広がっていた。初めて見るアイドルに私は感動していた。

 アイドル。TVアニメでは、彼女たちは主役だった。全く人気のないところから始まった。街頭でCDを手売りする。オーディションには受からない。それでも彼女たちは主役だった。彼女たちはアイドルなのだから。

 ステージの上で踊る彼女たちもまた、そのとき確かに主役だったと思う。輝いていた。それはまず第一に、物理的な意味でである。スポットライトは雪に舞う彼女たちを照らしていた。でも、それだけではないだろう。

 彼女たちはうれしそうに踊っていた。笑っていた。アイドルとしての演技なのだろうか? そうかもしれない。違うかもしれない。

 雪の舞う中での彼女たち笑顔は、幻想的であり非現実的だった。情熱的であり、輝いていた。

 

 しかし主役はそれだけではなかった。ある意味でアイドオタクの、ファンのひとたちもまたそうだと思った。

 彼らは吠えていた。乱舞していた。彼らこそ情熱の主体のようにも思えた。

 観客に最も近いのは誰か。アイドルではない。彼らである。

 彼らには熱がこもっていた。鬼気迫っていたと言っていい。氷点下の中で、半袖のTシャツのひともいた。半裸になったひともいたらしい。荷物を放って、サイリュームを振る。

 周囲の「一般人」の視線は彼らをもまた、「非現実」の一部と捉えていたのではないか。

 彼らは決して傍観者ではなかった。彼らはステージに参加していた。彼らこそ、非現実を、ステージを作り上げていたのではないか。

 

 打ち込みの重低音は私の体を揺らした。熱さと冷たさの境界で揺れた。

 主役の居場所はどこにあるのだろう、と思った。

 私はそのとき、どこまでも傍観者でしかなかった。アイドルの少女たちが踊っていた。彼女たちは間違いなく主役だっただろう。ステージにおける主体だっただろう。きっとでも、それだけではない。

 ファンの彼らもまた主役だったのではないか。彼らは彼らの世界を作っていた。アイドルという主役を彼らが観るのか、彼らという主役が少女たちをアイドルにするのか、どちらが正しいのか私にはわからなかった。どちらも正しいのではないだろうか。主体が相互にねじれ合って、ひとつの「場」として共鳴していた気がする。

 ひとつの主体が、ステージの中で、情熱を燃やす、輝いている。その「主体」とは誰のことだろう。アイドルであり、ファンであるのではないか。それらの相互作用こそがひとつの「主体」になるのではないか。

 ライブとは「みんなでつくる」ものである。前述のTVアニメではそのように言っていた。

 ここに展開されている非現実は、まさにそれではないのだろうか。

 震えた。

 

 そして、ひどく危ういものにも思えた。

 誰が観るのだろう。誰が観客なのだろう。観客などそこにはいないのではないか。彼女たちがいて、彼らがいて、どちらも舞台の主体なのだから。

 非現実と現実との間には通路があって、それは自由に行き来可能である。その気になれば、私はファンの彼らに混ざり合うことができた。私もまた主体の一部になることができたに違いない。しかし私はそれをしなかった。ただ、観た。いわゆる現実の側から、観ることしかできなかった。

 現実に足をつけたまま非現実に参加することはできないのだろう。私は舞台に参加していなかった。

 彼らの、彼女たちの世界は完結していた。

 

 彼らは主役だった。彼女たちも主役だった。誰が誰を観ているのか、私にはまったくわからなかった。

 

 非現実の世界はどこに行くのだろう。

 彼女たちも彼らも主役である。それを疑うことはできないと思った。しかし非現実は終わってしまう。主役であり続けることはできないのだ。終わった後の世界には、もはや何者も住めないのだから。

 彼女たちはアイドルとして成功するのだろうか。それともいつか、アイドルをやめてしまうのだろうか。彼らはいつまでファンでいるのだろう。永遠につづくものなど何もないのだろう。誰もがやがては年老いる。あるいは死ぬ。

 いつまでも主役でいることはできない。

 終わってしまうことを私は思った。ステージで、誰もが笑っていた。笑顔に包まれていた。非現実感。奇妙さ。「楽しさ」がそこには存在した。だからこそ私は怖くなった。泣きそうになった。余計な心配でしかないだろう。現状、すべてはうまくいっているのだ。しかし、それでもと思ってしまう。今が頂点であるかはわからない。アイドルとして彼女たちはまだこれから、さらに成長をするのかもしれない。まだ彼女たちは登っていくのかもしれない。しかし。「しかし」が拭えない。

 悲しみを思った。

 予感、なのだろうか。

 観続けることが苦しくなった。

 

 途中、MCの時間になったところで私は会場を後にした。体が芯から冷えていた。震えていた。そもそも雪まつりに来ることが目的ではなかったため、防寒が十分ではなかったのだ。このままそこに留まったら、風邪をひいてしまう気がした。

 熱さと冷たさが混ざり合っている、札幌の夜。少なくとも、私の居場所はなかった。

 頑張れ、と思った。思いは誰にも宛てられていない。誰にも届かないだろう。誰を励ますわけでもない。つげ義春先生のとある短編漫画を思い出す。タイトルは忘れてしまったが。ただ、「頑張れ」という思いだけがあった。

 「楽しさ」が長く続くように。「笑い」が長く続くように。

 

 地下鉄の駅に向かって歩き出した。

「本を読み終える」という思想について、読書メーター、感想文

 岩波文庫の「宮柊二歌集」を読んでいる。

 拾い読んでいる。

 

 適当に気になったページを開き、そのページから何ページか読み進め、そして疲れたら本を閉じる、ということを何度も繰り返している。であるから、いつまで経っても読み終わらない。読み終わるはずがないだろう。

 同じ歌を繰り返し読んでいるに違いない。読んでいて、それに気づくときがある。だが気づかない時もあるだろう。僕は読んだことを忘れてしまう。既に読んだ歌を、初めて読む歌として読んでいた可能性も大いにある。

 だから僕は、宮柊二歌集をいつまでも読み終えることがない。

 

 「読み終える」とはどのようなことなのだろうか。

 読んだ歌にひとつひとつ印を付けていくとしよう。だんだんと文庫には印が増えていく。初め、印をつけることは楽しいだろう。開いたページはどのページも無印であり、印がつけられることを待っているのだから。

 だが時が経つうち、印がついていないページを探すことが難しくなっていく。開けば、どのページにも印が付いている。だがすべての歌に印がついているかは分からない。僕はいらだちを覚えるかもしれない。印がついていない歌が本のどこかにひょっとしたらあるのかもしれない、だがすぐには分からない、ということへ。確かめるため、僕は本を最初から順番に手繰らなければならなくなる。

 そのような行為を経て、すべての歌に印がついたとしよう。

 すべての歌に印がついたということは、僕は「宮柊二歌集」を読み終えたことになるのだろうか。普通に考えればそうだろう。だが、どうもおかしい。だって本に印をつけていない僕は、「宮柊二歌集」を読み終えられないのだった。なぜ、印をつけただけで読み終えることが可能になるのだろうか。どうも不思議である。

 「読み終える」とは何のことなのだろう。 

 

 「読み終える」とは普通、「本の中身をすべて読んだ」ということを意味しているはずだ。始めから終わりまで直線的に本を読みきったとき、人は「本を読み終えた」という。

 だが、ランダムにページを読んでいく場合はどうだろう。ランダムにページをめくる、そしてすべてのページを読みおえたとき、このときもまた「本を読み終えた」ことになるのだろうか。

 どうも僕は違う気がする。

 確かにこの場合もすべてのページは読み終えている。だがランダムにページをめくるという作業はまだ終了していないのではないか。僕は読んだことを忘れてしまうのだった。既に読んだページを僕は、全く新しいページとして読んでしまうことが可能である。だから僕は本を読み終えない。

 「本を読み終えた」ということは、「本の中身を全て読んだ」という事実と、まったく等しいわけではないのだ。

 「本の中身をすべて読んだ」場合でも「本を読み終えない」ことは可能である。ランダムにページをめくる場合がそれだ。だから「本を読み終えた ⇔ 本の中身をすべて読んだ」ではない。「本を読み終えた ⇒ 本の中身をすべて読んだ」である。決してふたつは同値ではない。

 「本を読み終えた」ならば「本の中身をすべて読んだ」のだろう。だが、その逆は決して成り立たない。

 

 ここまではまだ常識的な推論の範囲にある。だが僕は、常識を離れて、さらに次のように疑っている。

 「本を読み終えた」とは、「始めから終わりまで本を読んだ」というある「立場」の表明でしかないのではないか。例えば、「私は神を信じている」のような。それは「~である」という立場の表明であって、決して、「~した」という行為の表現ではないのではないか。

 「本を読み終えた」とは決して、「本の中身をすべて読んだ」というような、具体的な行為を意味してはいないのではないか。これが僕の疑いだ。

 一般に、人は本の中身を忘れてしまう。すべてを覚えることは(少なくとも僕には)できない。「すべて」を維持することは普通、無理なのだ。それなのに、「本を読み終えた」という文章は、まるで「本の中身をすべて読んだ」、そしてそれをあたかも「維持している」ことのように聞こえてしまう。本の中身をすべて「支配」し終えたことであるかのように、聞こえてしまう。確かに一応本の中身をすべて読んではいるだろう。しかし僕にはそのような表現が恐ろしく感じる。

 「忘れる」という確かな事実が、「本を読み終えた」という言葉によって、隠蔽されてしまう気がするのだ。

 本を読み終えることなど不可能なのではないかとすら、僕は疑っている。読書とは本質的にランダムにページをめくり続ける行為と全く変わらなのではないかと。忘れるという事実に脅かされながら永遠にページをめくり続けること、めくり続けなければならないこと。読書とはこのような「悪夢的な行為」なのではないか。

 「本を読み終える」とはこのような悪夢から目を背けるために生み出された戦略的な「思想」のように僕には思える。思えてしまう。本は読み終えられないという悪夢から目をそむけるため、人は、「本を読み終えた」と信じてしまうのではないか。

 空想である。

 

 話を変えたい。

 「読書メーター」や「ブクログ」といった「読み終えた本」を記録するサービスが存在する。それらは本の感想を記入したり、自分と同じ本を読んだ人を探したりできるSNSとしても機能している。

 僕は一時期「読書メーター」を利用していたことがある。だが上手く馴染めなかったため、アカウントは残しているのだが、更新を完全にやめてしまった。

 その理由を考えている。

 おそらく僕は「本を読み終える」という「思想」に馴染めなかったのだ。「始めから終わりまで本を読んだ」というたったそれだけのことを通して、「本を読み終えた」などと言ってしまえる空間、そこに僕は居場所を作れなかった。

 昔の僕はそうではなかった。むしろ僕はそのような「読書メーター的空間」の方にいた。「本を読み終える」という一般的な思想を無邪気に信じていたことがあった。そのころ僕は、これとは別のブログに、毎日のように読書感想を書いていた。「読み終えた本の感想」などと偽り、あさましい散文を書き散らかしたのだ。悔いるべき過去としてそれは存在する。

 僕は回心してしまった。

 本を読み終えることはできない。僕は今ではそう信じている。これはおよそ一般的な思想ではないだろう。だから僕は「読書メーター」を利用する一般的な人々に、「本を読み終える」ことを信じる人々に、うまく馴染めなくなったのだ。本を読み終えられない人にとって、読み終えた本の記録など、不可能だ。

 これが正しい理由であるのかは、僕のことであるのだが、分からない。

 

 しかしそれでも、『読書と短歌のブログ』と銘打ったこれとは別のブログを動かすために、できることはないのかと僕は考えている。僕の立場から読書感想を書くために。

 例えば僕は、「読み終えていない本の感想」を書くことは可能なのかと考えている。決して本の全体を網羅しようとはしない、本に自分が包まれているような感想。忘却と真摯に向き合う感想だ。まだ、勝機は見えない。正気ではない。だが考えることは楽しくはある。

 僕は果たして読書感想を書けるのか。分からない。ただ、向き合いたい。

 

夜の散歩、氷点下、暖かさ

 昨日の夜、20時くらいから、2時間ほど街をぶらぶら歩いた。

 私は散歩がすごく好きだ。深夜徘徊は特に良い。

 歩きながらいろいろなことを考える。そして、そのほとんどを忘れてしまう。今は何も覚えていない。それでいい、そう思える。忘れてもいいことがたくさん生まれるから、私は散歩が好きなのだと思う。

 短歌のような、そうではないような適当な散文を、スマートフォンでツイッターに投稿しながら歩いた。

 引用しておく。

 

 

 電気を全て消しても部屋のあちこちがかすかに光る僕たちの国

 

 雪の溶ける音が全く聞こえない夜に何ができるのだろう

 

 

 なにひとつ持たずに散歩していたら神に間違えられてしまった

 

 駐輪場が雪に埋まっていて僕は眠る誰かのチャリを思った

 

 雪を踏みながらしゃりっと噛むグミがわりと普通でなんかさみしい

 

 コンビニに出入りするたび白くなる景色は僕のメガネのせいだ

 

 

 駅行きのバスにふたりのおじさんとひとりの女子学生が乗ってた

 

 特に買うわけじゃないけど百均でつっぱりポールを品定めする

 

 みとめ印が無数に突き刺さっているみとめて欲しい人の一覧

 

 

 人間の黒眼をひとりで見つめていると宇宙から灰色の雪が降る。

 

 

 マフラーを巻くのを忘れてしまっていた。スマートフォンを操作するため、手袋も外していた。手先がひどく冷たかった。途中、コンビニに何度か立ち寄り体を温めた。そうしなければ、凍えていただろう。

 店内に入る。メガネが白く曇って、何も見えなくなる。見えない視界の中で、私は、「文明の暖かさ」を思っていた。「いらっしゃいませ」という、マニュアル通りの店員の声。「文明の」だなんて、大げさだろうか? しかし、氷点下の街から逃げこんだ「暖かさ」を、それ以外になんと呼べばいいのだろう。

 私の手には、文明がぎゅっと握られていた。私の視界は、文明によって白く染まった。

 確かに、それは「暖かさ」だった。

 

 深夜の街はひどく寒く、それでも街灯は輝いていた。氷を踏みながら、私は下宿に帰った。