どうせぼくらはリリカルでポエティックでどうしようもなくセンチメンタル

 lyrical 抒情的な,抒情詩の,熱情的な

 poetic 詩的な,詩の,ロマンチックな

 sentimental 感情的な,感じやすい

 

 さてと。

 最近俳句と麻雀の勉強を始めた。煙草を吸ってみた。だからどうした、といえばどうしたこともない。しばらくは小説を書いていた。短歌を書いていた。私は同人誌を作ろうとしている。

 私は創作をしている。

 

 表現なり創作なりは、はたして生命にとって必要不可欠なものなのだろうか、と考えてみて、毎回、不要だと考えるにいたる。だが、表現を行わない生命体は存在しないのではないかともおもう。小鳥のさえずりを、言語の起源と考えた思想家がいるらしい。コミュニケーションはおそらく表現に含まれる。フェロモンという表現、感情という表現、仕草という表現、……。そこに自由意志はないかもしれないが、自由意志はなくとも表現はあるだろう。

 生命体は表現と切り離されない。

 

 そして、表現と自由意志は、分けて考えられるべきだろう、とおもう。

 自由意志があり、自由意志の発露として、表現なり創作なりがあると、私たちには考えられがちな気がするけれど、それは時代(?)が生み出した錯覚なのではないか、とおもう。自由意志を持たない(と私たちの現代的な常識が判断するタイプの)生物であっても、表現を行なうことはできる。心がなくても表現はできるだろう(と、いうよりも心など本当にあるのか怪しい)。

 自由意志は表現をすることができる。だが、自由意志がなくても表現は行われる。

 

 表現とは、何かに対して何かを開くことだろう。つまり、対なるもの(他者)に開かれることだ。他者に対して、何が開かれるのか。それは、表現を行なう自由意志(内面)である場合がある。だが、そうではない場合ももちろんある。他者に向かって事実(外面)を切り開くこと、とは、どのような表現なのだろう。例えば科学か。そのような表現ももちろんありうる。

 他者に向かって自らの内面を切り開こうとすること、このような行為はリリカルでポエティックでセンチメンタルな行為と区分され、ときにひとから揶揄されるにいたる。「ポエム」は罵倒語と化していないか。しかし、では、私たちはそのような揶揄される行為から離れられるのか。そして、離れるべきなのか。

 他者に向かって自由意志を開かない表現はある。生理学的な反応として。端的な科学的事実として。

 しかし、そのような表現行為を自発的に選択することは可能なのか。

 

 私たちは表現を行なうことができる。表現は常に他者に向かう。他者を願う。他者の姿を追い求める。このようにして「他者に向かっていこう」とする、欲望を、リリカルでポエティックでセンチメンタルなものではないと、私たちは判断することができないのではないか。

 自由意志のもと表現をしようとすることは、他者を求めることから切り離されない。

 そしてすべての表現は、このようなある種の「弱さ,儚さ,女々しさ」(と野蛮なひとびとから呼ばれうるもの)から逃れられない。

 (決して到達できない)他者を追い求めて表現をする私たち。リリカルでポエティックでなんとセンチメンタルなのだろう、と私たちは考えざるをえない。だって、他者を追い求めることはリリカルでポエティックでセンチメンタルなのだろう? そして、それはすべての自由意志に突きつけられた運命なのではないか、とも私は考える。

 誰かに会いたい。という言葉は表現であり、リリカルでポエティックでセンチメンタル。

 殺したい。奪いたい。美味しい物が食べたい。遊びたい。死にたい。アニメが見たい。お金が欲しい。欲しい。欲しい。

 みんなみんなリリカルでポエティックでどうしようもなくセンチメンタル。

 

 もし、リリカルでポエティックでセンチメンタルではない表現が私たちにも可能なのだとすれば、それは「表現をしよう」という意志=欲望には基づかない表現なのだろう。「表現になってしまう」ということ。それのみが、揶揄から逃れることができる行為に違いない。

 欲望から離別するということ。そして、他者の姿を追い求めないこと。表現なんてしようとしないということ。そのようなひとのみが、リリカルでポエティックでセンチメンタルな行為に、石を投げつけて許されるのだ。

 

 どちらが正しいのか、私にはわからない。

幻想と創作

 『酒と幻想』と題した前回の記事を書いた記憶が覚えてはいるのだけれどもややぼんやりとしていて、いつもとは違うスイッチが入っていた。でもまあ(だからこそ?)面白いとはおもっている。

 その方向が妥当か否かはさておいて、考えを少しだけ突きすすめてみたい。

 ただ、『共同幻想論』は相変わらず100ページくらいしか読んでいなくて、だからこれから書くことは、私の妄想みたいなものでしかない。おそらくはオリジナリティなどないし(どこかで誰かが似たようなことを書いているだろう)、私自身の楽しみのためにしか書かれない。

 

 さてこそ。

 「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」という三つの「幻想」があるらしい。「幻想」とはそもそも何なのか、私にはまったく定義できないけれど、それでも無理矢理に考えてみたい。

 自己も、対なる他者も、あるいは共同性も、それ自体は観念であり幻想であり、つまり言葉の産物でしかないのではないか、ということをまずは前提にする。この前提から、話をすすめる。

 仮説:創作一般とは、このような幻想を「物質化」する営みなのではないか。

 

 物質とは何か。それはここでは「媒介」と同義だ。つまりは「メディア」である。絵だったり、音声だったり、文字だったり、振る舞いだったり、まあなんでもいい。

 人と人との間で、情報を伝達する媒介。それは人によって「創作」される。このような意味での「創作」を、幻想の物質化として考えることはできないだろうか。

 例えば「自己幻想」を物質化しようとすれば、「私」の内面(という幻想)を描写し物質化しようとする、私小説的≒純文学的な創作になるのではないか。

 例えば「対幻想」を物質化しようとすれば、「他者」(という幻想)を描写し物質化しようとする、つまりはひとびとのコミュニケーションを描写しようとする、恋愛小説だったり、あるいは『女の子の可愛さをお楽しみ頂くため邪魔にならない程度の差し障りのない会話をお楽しみいただく』漫画・アニメのような、ひとびとの「関係性」をめぐる創作になるのではないか。

 また例えば「共同幻想」を物質化しようとすれば、「歴史」、「風景」、「社会」、「神」、「セカイ」、「運命」、なんでもいいけれども、そのようなある種の「理念」≒「一般性」(という幻想)を描き出し物質化しようとする創作になるのではないか。

 

 まあ、仮説にすぎない。

 でも、このような前提のもと、「自分はいまなにをしようとしているのか」を考えながら創作をするのは、ある程度は有用である気もする。それに、このようなことを考えながら『共同幻想論』を流し読むのはとても楽しい。

 追って考えたい。

酒と幻想

 最近酒を飲む機会が連続してあってうんざりしているわけではないのだけれどもまあ多少はあきあきしていて、そして考えることが多いかもしれない。

 

 酒は生命に必要か? 不要だ。それは間違いない。酒は娯楽であり、余剰であり、生命維持に必要不可欠なものではない。

 しかし酒は、同時に「文化」でもあるということを考える。例えば最近『絶対貧困』という本を読んでいて、著者はたとえば貧困地域、スラム街などを取材する際、現地住人の手製の酒を振舞わされることが多いという。うまいものではなくただ酔うための酒である。しかし、それを飲むことが現地の人びとと交流するために不可欠なのだとか。酒を飲むことではじめて仲間として認められる。そんな形のある種の「文化」が人類史ではめんめんと続いている。国境をいくつ超えても実態はあまり変わらんだろうし、過去も、現在も、ひょっとして未来もそうかもしれない。

 「私たちは仲間である」という言葉がある。言い換えれば「私たちには共通点がある」。酒はこのような共同性を可能にするものとしての、酒宴という「場」を作り出すのだろうか。私たちは一緒に飲んでいる=私たちは共にある=私たちは仲間である、ということ。

 

 さてこそ共同性。酒の場合は「場」ということを述べたけれど、例えばそれは「趣味」の共通性であったり、あるいは「出身地」の共通性であったりもする。同じ趣味のひとには親近感を覚える、同じ出身地のひとには親近感を覚える、など。だからオリンピックは日本人を応援しよう、とかいろいろうるさいあれがある。

 しかしてそこにおいて「共同性」はコミュニケーションのための手段となる。手段でしかないのだとおもう。大切な物はコミュニケーションであり、その結論としての「私たちは仲間である」であって、共同性そのものは目的ではない。「私たちは仲間である」の大合唱として人間活動のほとんどは考えられるのではないか、とかおもう。

 だから「趣味」を軸とするサークルにおいて、趣味は手段になってしまうとおもう。ん? 部活動? 「趣味」としてのスポーツとは違い、勝つこと、全国優勝、戦いそれ自体が目的となっている? そうだろうか。「勝つこと」とはなんだろうか。それは序列化だろう。ひととひととの序列化であり、差異化である。つまり、「私」と「あなた」の区別である。だとして、それはコミュニケーションといったい何が違うのだろう? 動物たちの順位付け。勝利とはつまり、「私(たち)はあなた(たち)より優れている」というメッセージの発信でしかないのではないか。

 

 このようにして、共同性それ自体は目的化することはないのではないか、と考えてみる。結局、「趣味」も「文化」も「故郷」も言葉の産物であり、それ自体は手にとって触れる実在物ではないのだろう。すべてはコミュニケーションに飲まれていく。

 あるいは最近『共同幻想論』という本をだらだらと流し読んでいて、共同性は「共同幻想」だが、コミュニケーションの相手はすべておそらくは「対幻想」であるし、また、コミュニケーションの片棒としての自意識は「自己幻想」であるという。それを考えれば、何もかも本来は目的化できない、目的化したとおもったら幻想としてすり抜けていく、と考えることもできるかもしれない。コミュニケーションは幻想である、とか。

 んで、まあそれはどうでもいい。結局は「酒」の提供する「場」とか、あるいは「趣味」とか、オリンピックを駆動する「ナショナリティ」とか、そういった手段としての「幻想」=「余剰」が私たちの行動をある程度方向づけていて、それを意識することはあっても、意識したうえで変えようとおもってもどうしようもないということ、だから人類はいつまでも酒を飲み続けるだろう、「酒」=「ある種の合法ドラッグ」の幻想に飲まれ遊び余剰にからめとられ続けるだろう、みたいなことがだらだら書きながら考えたことであるわけだ。

 まとまらん。

 

 つまり、一言で言えば私はいま酔っている。

ラジオ体操をしたことがないひとのために書くことができるものはあるだろうか

 朝、外は曇っていた。急いでいたけど、外階段をおりるとき近隣のマンションのベランダが目にとまった。誰ともわからない誰かの部屋で、カーテンは閉ざされていた。その誰かのベランダには男物の洗濯物がほんのすこしだけ干されていて、一人暮らしだろう、という推測がぼんやりと起こった。

 私は気づいたら立ち止まっていた。

 そしてすぐ、私は生活のいうなれば実在に打ちのめされた。「実在」、大層な言葉遣いではあるけれど、それを実在だと私は感じていた。私がひとりで生活をしているように、世界ではひとびとが絶えず生きていて、そしてすべてはやるせなく過ぎ去っていくという端的な事実が私をとらえた。

 私は私が生きてあることを「宇宙的」にとても嬉しくおもい、またそれと同じくらい「地上的」に疎ましくもおもってみた。すべてがこのまま停止してしまえばあとはもうなにもいらないとおもってみたが、思いは単なる気分にとどまる。そのような気分はある意味、いつものことでもあった。

 淡い気分は一瞬で消え去って、私はまた階段をおりはじめた。

 

 ラジオ体操をしたことがないひとのために書くことができるものはあるだろうか、ということをその朝のうちに考えてみたが、なにひとつおもいうかばなかったことをおもいだす。ラジオ体操は放送され続けていて、確認はしていないけれど、きっと明日も放送されるだろう。しばらく私は聴いたことがない。

 なぜひとはラジオ体操をしなければいけなかったのだろうか、と言葉にすることに価値はあるだろうか。少なくとも、小学生はラジオ体操を楽しんだり楽しまなかったりして、それはあのひとたちの生活を部分的にでも、構成していたはずだけれども。ラジオ体操という言葉の現実感はいつからのものだろう、そしていつまでだっただろう。私にはもうおもいだせない。

 それが私の生活だったこと。そして、無関係である、あるいはあったひともきっと多いこと。

 ラジオ体操をしたことがないひとのために書くことができるものはあるだろうか、と繰りかえしここに書いてみて、やはりその先がうかばない。

 

 最近、整理整頓がおっくうになってきて、なんだかめんどうだなー、という気分でいる。そんなだからこの文章はまとまらないし、短歌もだらだらとしてしまう。

 

  人工雪から 抽出されたじんこうをふりかけてすぐ美味しいごはん

 

  ナミビアの首都もわすれてしまうから検索をするだけどむなしい

 

  新聞が新聞紙から産まれてもいいはずなのに廃品にだす

 

  モーニングセットを昼は頼めないことに怒って消費者である

 

  枕なげして枕からいも虫がぶちぶちとでるように口づけ

 

  にっぽんのなかでいちばんうつくしいカレーライスを作ってまたね

 

 ツイッターで今日詠んだものを、表現を改めてここに打ち込みなおして、でもこれが完成版でも無い気がした。そも、完成版がどれかということにあまり興味がわかない。

 これが私の作品である、とかそういうことにもいまは興味がなくて、誰かが自分のものとして発表したとしてどうでもいいとおもっている。怒るとしたらあとで怒る。

 執着がめんどうになってしまった。

 

 そして、あるいはだけれども、「生活がないことがない」ということに気づくたびおなかのあたりをとても重く感じる。重く感じるのは心かもしれないし、精神、気分、そんななにかかもしれないけれど。

 私は生活をしていて、それがなんか不思議で、でもみんな不思議とはおもっていないみたいで、居心地の悪さを「重さ」として感じている。

 今日は、ツイッターにちゃんとした投稿をしているひとたちがまぶしくおもえた。そこには生活が感じられるから。どうしてそこまで生活に忠実でいられるのだろう、という素朴な疑惑がうかんできて、でもそれは一時的なものだからツイッターに書こうとはおもえなくて、いまここに私は書いている。

 生活を愛するひとたちがかぎかっこつきの「自分たち」の生活を守るためにいろいろな画策をしているようで、それが文明だったり歴史だったりを確定してきたのかもしれない。法に憤ったり、アイドルに投票してみたり、サッカーを楽しく視聴したり、世界を研究したり、愛を言葉にしてみたり、いろいろとみんな生活をしている。

 みんながんばれ、と私はおもうのだけれども、そのみんなのなかに私はいない気がする。それでまあいいかな、と言ってられなくて、私も生活をしているけれど。

 

 生活をしなければいけないのだけれども、生活をするための原動力としての、執着や欲望が、不思議さに阻まれてなかなかうまく機能していないのだろう。

 この気づきをちゃんと言葉にしてまとめるのはやはりめんどうくさいので、以上の一文を結論として、この記事はここで終わりにする。このブログは自分のためのメモだから、これでいいのだと私はおもう。

 とりあえず、日々はとても楽しい、という実感を最後に付記しておく。

2012年5月6日前後について

 過去を振りかえりながら日記的な文章を書こうとおもう。例によって、他でもない私自身のために。

 

 2012年5月6日、私は文学フリマというイベントに参加するために東京にいた。正しくは第十四回文学フリマという。早朝、夜行バスを降りる。5:40に新橋駅についた。せまくるしい密室の暑さにやられ、よくねむれなかったことをおぼえている。夜行バスをこころから嫌いだとおもった。となりに見知らぬひとが座る暗闇のなかで、私はひとりきりであるということ。暗闇で視線のないまったくの他人に出会うことは、私たちの想像力を、絶えず試しつづけるのではないか。

 そのような顔のない無名の、だが身体のある他者との出会いが他にいくつ数えられるか。

 

 だから、私は疲弊していた。ねむれなかったし息苦しかった。だるかった。だが、生理学的な身体のけだるさは心のはたらきによって忘却される。はじめて参加するいわゆる「同人誌即売会」。しかも一般参加者としてではなく、サークルとして参加する。私は高揚していた。多くのひとに、つまりは意志に出会うことになる。さらにそのほとんどは、つまり私の出会う意志は、例外なく私に向けられるのだ。それは、私の数少ない経験を凌駕していて、予想がまったくつかなかった。困惑する。優れない気分など忘却される。

 あるいは、意志は「私たち」に向けられる。

 はじめてのサークル参加はひとりではなかった。@suzuchiu、@dot_aiaのふたりが同じサークルだった。@suzuchiuさんと出会うのはたしか二度目、@dot_aiaさんと出会うのははじめてだった。インターネット通話で声を聞いたことは何度もあった。だからこそ不思議だ。他人なのか、他人ではないのか。声は身体なのだろうか。顔のない他人は匿名であるが、声は顔か。あるいは、言葉は顔か。

 はじめて出会う、とはどういうことだろう。

 

 10:00、サークル入場。ブースにさまざまを準備した。搬入されていたダンボールをひらくと、白い紙にまかれた、水色の表紙が目に入った。私たちの歌集。手に取ると物質感があった。言葉は物か、私は知らないが、手のなかの重みは感動を生じた。他のふたりはどうおもったのだろう。

 11:00、なにもかもよくわからないまま、あっという間に開場となった。そこからはよく覚えていない。次々と、言葉があらわれた。言葉でしか知らないはずのTwitter上の知人たちが、身体としてつぎつぎと、現前しては消えていく。言葉が肉になり、肉は思い出という名の言葉に還っていく。偶然、私たちの歌集を手にとったかたはいたのだろうか? ほとんどはTwitter経由で来た、すでに私たちを知っているひとだった気がする。文学フリマという場所にはたしてどれだけの必然性があるのだろう。それは、電脳上ですでに計算、予告されていた私たちの出会いを、実現するための媒介なのではないかともおもった。偶然性の舞台が自然であるならば、あそこは限りなく人工的な場所だったにちがいない。あの場所でなくてもよかったのだ。たまたま都合がよかっただけのこと。だがもちろん、まったくの人工でもなかっただろう。偶然性の介入は薄いかも知れないが、まったくの無ではなかったはずだから。

 最終的な歌集の頒布率は、悪くはなく、だが当初の予想にはわずかにおよばないといったところであった。現在、委託販売を計画している。それが実現すればオンライン上での通販が可能になるだろうから、頒布率はもうすこし向上するだろう。だが次回に向けて、さらなる頒布率の向上のためには、偶然性を引き寄せるある種の「センス」が必要になるのかもしれない。それはデザインであったり、広告であったりするのだろう。たんに内容に限らないなにか、か。私にはよくわからない。

 

 ほぼすべてのサークル参加者は言葉を売っていて、またほぼすべての来場者は言葉を買うことを目的としていた。ひじょうに奇妙な状況におもえた。そして金を媒介に言葉を取引するというのは、なんとも、人工的でよろしいともおもった。どのような理念があったとして、このような現実を否定することはできないだろう。

 言葉は欲望にまみれていく。

 言葉の意味は必ずしも必要とされていなかったはずだ。意味を、つまりは頒布物の中身を熟慮したうえで購入を決定したひとなどごくごくわずかだっただろうから。重要なのは意味ではなく、その現れ方だったのだろう。記号としてどのように現出するか、そしてそれが来場者をどのように欲望させたかが、購入までの条件だったはずだ。記号内容よりも記号表現、シニフィエよりもシニフィアン

 おそらく、あの会場で行われていたのは欲望の交換だったのだろう。

 「売りたい」という欲望と「買いたい」という欲望。あるいは「伝えたい」という欲望と「感じたい」という欲望。前者の媒介は金であり、後者の媒介は言葉だろうが、欲望の中身がなんであったとして結局、欲望の交換であることにかわりはない。

 欲望を駆流させるものは、残念ながら本の中身ではない。「買いたい」「感じたい」を生じさせたものはなにか。なぜ、ひとは言葉を欲望するのか。すくなくとも中身、意味ではないはずだ。知らない言葉をひとは買うのだから。

 予感、なのだろうか。ひとは未来の意味を予感し、現在の言葉を欲望するのか。だとしたら予感を可能とさせるものは過去の経験なのだろう。Twitterでかつて私たちが放流した言葉が、彼(女)らに経験を生じさせ、予感を形作ったのか。それが欲望として、場において、実現したか。

 わからないが。私が会場でみたものは欲望の交換でしかなかったという事実はたしかだろう。金、あるいは言葉によって実現される欲望の交換。舞台はそのように作られていて、それでいい、と私はおもった。

 私は現状を肯定する。

 

 16:00に閉場した。そのころには疲労が頂点に達していて、帰りのモノレールは、ただひたすらにねむかった。浜松町駅にて@johnetsuに出会い、彼の腹部を軽くなぐった。彼はメガネをかけていて、背が低かった。その他個人情報については割愛したい。その後、彼含め、Twitter上で交流のあるかたがた何人かと喫茶店に立ち寄ってしばらく話をした。彼を中心に話はすすみ、私は基本的に聞き役だった気がするが、なんにせよねむくてよくおぼえていない。

 今回、文学フリマの会場は空調設備が動かせなかったらしく、ひじょうに暑苦しかった。14:00ころに私は軽く熱中症のようになってしまい、会場の外で涼んだりしていた。朝の疲労、睡眠不足のせいでもあっただろう。そして朝、昼、それぞれの疲労が相合わさって夕方の私を襲っていた。ほんとうに、よくおぼえていないのだ。

 各位には、失礼をしていないかが気になる。特に@johnetsuには、彼の期待する立派な腹パンをできなかった気がしてならないのだが。

 

 18:00ころには解散した。その日の夜、@suzuchiuさんの家に、@dot_aiaさんと私の二人はおじゃまさせていただいて、鍋をした。「次の文学フリマへの参加どうしますか」、などと話をしながら鍋をつついた。火にかけられた土鍋のなかで、白菜は縮減していった。2lのペットボトルのお茶はどこまでもペットボトルのお茶でしかなかった。そして、私はうれしさを感じていた。2012年5月6日はあとすこしで終わろうとしていて、すべては取り戻せなくなっていく。

 私が東京にくることはあと何度あるのだろうとおもった。

 

 何時かわすれたが、@dot_aiaさんをバス停まで見送った。その日私は、@suzuchiuさんの家に泊めていただくことになっていた。帰って、シャワーを借りた。床に布団を敷いた。

 睡眠とは何か。考察するまでもなく、私は疲労から、ふかく、ふかくねむりに落ちた。前日の夜行バスとはうってかわって、快適な睡眠を得ることができた。感謝が尽きない。

 振り返ってのちに、睡眠という行動をおもった。おもったことをすこしだけここに書く。

 知っているひとの家で寝ること。だけれども、深く知っているわけではなく、出会うのはまだ二度目であるひと。睡眠とは極めておそろしい行為だとおもう。殺そうとおもえば殺せるし、殺されようとおもえば殺された。彼の無防備な寝返りをTwitterで私は実況しながら、死について、ようやく考えはじめた。すべてを自然に、つまり自分の意志以外にゆだねるということ、それが睡眠の前提だろう。ねむるとき、私は運命にさらされていた。運命のなかで私は生き延び続けてきた。かつてそうだったし、その日もそうであり、そしてそれから現在までもそうである。私は目覚めることをやめていない。

 私は生きている。死ななかった。

 ありがとうございました。

 

 それからのことについては特記することがない。2012年5月7日、私は東京を走る電車にのった。東京の路上をてくてくと歩いた。そして飛行機で札幌に帰っていった。それだけのことしかなかった。

 帰りついた札幌は肌寒く、スーツケースからコートを取り出して着た。東京にあった汗ばむ陽気は、札幌にはまだ先のことだろうとおもった。埋めようのない距離を実感した。

 

 あの日、私は東京にいた。東京は中心なのだろうか、とうたがっていた。だとすると東京以外は中心以外、つまりは辺境になってしまう。決して、そうではないと私は信じたい。地理においてあるのは差異であり、序列ではないのだと私はねがう。序列をうむのは常に歴史なのではないか。地理において東京は日本の一地方であり、決してそれ以上でも以下でもないのではないか。

 私は信じたい。

 そしてまた、ここまでふりかざした「東京」という言葉を再考しておもう。ここまで無批判に前提した「東京」なる単一な実体、そんなもの決して存在しないだろう。言論は東京という概念について必要以上に語りたがってしまう。その結果、土地や生活は置き去りにされ、「東京」という概念のみが流通する。批評のなかで、また作品のなかで。新潟に住んでいた私にとって、東京とはこのような言論上の概念でしかなかった。中心的なもの、として東京はあった。だから私はいまも、「東京の郊外」という言葉がなにをさすのか実感をもてないでいる。

 しかして、実態は異なっている。

 東京と言葉にするとき失われていくものを、私はたぶん知らなかったのだ。いまも私は知らないはずだ。東京の生活を私は知らない。

 同様に、「北海道」や「新潟」と言葉にすることで失われるもの、生活もまたあるのだろう。いや、「生活」と表現すること自体がある種の疎外作用にちがいない。言葉はざらついた手袋のようで、すくいとられる現実は絶えず傷つけられてしまう。言葉は野蛮だ。現実は決して汲みつくされないからこのような野蛮はわすれられがちだが、しかし、わすれていいものでもない気がする。

 言葉は暴力であり、詩は現実を傷つける。

 

 同様に、私は2012年5月6日にたしかにあった現実を、いま現在絶えず言葉によって傷つけている。

 5月6日その日をおもう。言葉からはるか隔てられている現実がある。そこには決してもう到達できないし、そもそも、私たちがかつてそこに存在していたのかも実はあやしい。時間の連続をどこまで信じられるだろうか。しかしそれはたしかにあったのだ。そして確かに言えることとして、私の言葉は、そしてそこから生じる想像は、その現実からはあまりにも遠くなってしまった。もはやその日は想像すらもされない。想像に現れうるものは、ゆがんだまやかしでしかないのだから。

 すべては失われてしまった。かつてあった現実たちは、言葉によって、異なったかたちで、ただ一方的に汲まれるだけでしかない。

 悲しみを感じることができる。

 

 もっとも、この悲しみをどこまで強調するべきかわからない。失われたものはなにも言わないし言いたいとすらおもわないだろう。だから、傷つけられる現実のために、言葉を自粛すべきなどとはおもえない。破壊への後悔、悲しみ、それに類するひとびとの感情は生理学的な反応でしかないだろう。廃墟はただの物質であり、それ自体はなにも所有しない。野蛮も後悔も、なにかを所有するのはつねに人間の側のみである。だから、壊滅を悔やむひとびとの嘆きは破壊行為となにひとつ変わらない。悲しみは破壊と変わらない。

 だから、現実に共感しようとしてはならないのだろう。どのような共感も、過ちにしかならないのだから。現実に感情などない。

 

 私の言葉は続く。続けたい。

 奪い去られる現実を前にして私たちにできることはなんだろう、つまり、倫理はいかにして可能かと考えている。言葉に食い荒らされ続ける、かつ、決して汲みつくされない現実がある。現実が言葉に蹂躙されていることははたしてよいことか、わるいことか。あるいは、現実を自然、言葉を人為とおきかえてみる。自然に対して人為はなにをなすべきか。なにが善でなにが悪か。

 なぜ野蛮は悪として排除されるか。なぜ環境を保つことが善なのか。それを、ひとの悔恨という生理的反応に、また人類の持続可能性に、科学者は還元することが可能だろう。人類の目的意識のため、野蛮は抑えられねばならない、抑えるほうが経済的であるから、などと。つまり、経済的であることは善いことだと一般的な科学者はいう。功利主義としてこれを整理することができる。

 しかし、倫理はこのような功利主義とは別の水準に位置づけられるのではないかと、私はどうしようもなくねがってしまう。野蛮を忌避するもっともな理由として、倫理を、効率性以外に基礎付けることはできないか。

 そしてそこから、私たちの言葉をみなおすことはできないのか。私はおろかだから考え続けてしまう。

 功利性、経済性ではないものから詩を詠み直せないか、読み直せないか。強烈な倫理によって方向づけられた、野蛮を絶えず忌避する詩が欲しい。それが私の欲望である。野蛮を回避する強烈な倫理、それをもっとも喚起するのは「敬虔」という言葉の感触だろう。神秘家のように詩をつくること。祈ること。言葉を祈りにかえること。そのような詩が可能だろうか。

 さてこそ、そのような詩は「自然現象」なのだろうかとおもっている。自然現象は意志をもたない。すべてを産出する。そしてなんの意図もなくすべてを殺す。大災害として、死はわかりやすいかたちで顕現するだろう。なぜ死ななければならなかったのか? 問いかけても問いかけてもすべてはむなしい。そのうちにまた死んでいく、問いかけすらも。自然現象は不条理である。だからこそ、それは経済性も人為も関与しない圧倒的な「善さ」にふれうるのではないか。死すらも乗り越えてゆく原理があるのではないか。

 

 詩。わからないけれど、そのような詩は確実に、私がここまで書いた残念な散文とは、まったく異なったものであるはずだろう。私の現在の振る舞いは、単なる暴力主義者とかわらないのだ。

 私はなにをしていたのだろう。しているのだろう。日記などと言い繕って私は。

 

 だから私は、もうこれ以上の乱暴をやめ、ここでキーボードをうつのを止める。

 

 文学フリマへの「私たち」の参加は私個人の経験ではけっしてなく、ある程度の公共性を持った出来事であり、いちおうこの記事はそれへのまとめを計画していた。だからこの記事は削除はせず、公開にしておく。言い訳にしかならないけれど。

永訣の一行

 眠れないので嘘を書こう。

 気のむくまま。

 

 

 最近はランボオの『地獄の季節』を読んでいる。岩波文庫の赤で、訳者は小林秀雄。他に私は新潮文庫の『ランボー詩集』も持っていて、そちらには『地獄の季節』からは一編、『うわごと(その二)』(岩波文庫版では『錯乱Ⅱ』と題されている)のみ収録されている。

 まずは岩波文庫版、『地獄の季節』、その中の『錯乱Ⅱ』から引く。

 

  また見つかった、

  何が、永遠が、

  海と溶け合う太陽が。

   (地獄の季節,小林秀雄訳,岩波文庫,p.44)

 

 流し読んでいる、つまり、「精読」(詩句ひとつひとつの関連情報をたどり(文献で徹底的に調べ)、過去・現在・未来の連関をあばきだし、その時空間的背景を可能な限り理解しようとつとめること)をしていないから、この一節について私は、なにも言及することができない。

 でも、おもしろいと、子供のようにおもっている。

 興味を惹かれた。

 次に、新潮文庫版からも引く。

 

  もう一度探し出したぞ。

  何を? 永遠を。

  それは、太陽と番った

    海だ。

   (ランボー詩集,堀口大学訳,新潮文庫,p.137)

 

 この二つを比較する意図は私にはなく、ただ、おもしろがっている。そう、おもしろい。子どもたちがバッタ採りにたわむれるように、とびはねる詩句にたわむれている。流し読んでばかりいるのだけれども、にやにやとした笑みが常に絶えない。子どものようなしまらない笑みである。

 『また見つかった、何が、永遠が、』、あるいは『もう一度探し出したぞ。何を? 永遠を。』。元となる文章は同じなのに、翻訳を経て、私に理解されるものは全く違う風景だった。それぞれが固有におもしろく、それぞれの違いもまたおもしろい。詩句は、それをつかまえようとする子どもたちの野蛮を逃れ続ける。そして子どもたちは詩句がつかまらないからこそげらげらと笑い駆けまわる。笑いの理由はなぜかって? 説明をすることはできないけれど。

 

 詩を説明することはそもそもできないのではないかとすらおもう。その中身を、あるいはその効果を。説明によってあばきだされるはずの、合理的、一般的な解釈などあるのだろうか。詩を前にしたとき可能になるのは、科学的な「相関関係」ではなく、私とあなたの「つながり」なのではないか。詩の前にしてたたずむ「私」と、詩という根源的な「他者」とのあいだで。他者について語ろうと/画定しようとする言葉は、私には野蛮にしかおもえない。

 私はランボオを読み、笑っている。なぜか? そんなことはわからないし、どうでもいいとすらおもう。子どもが楽しそうに遊んでいて、なぜ遊ぶのかとは考えない。ただ、遊べばいいだろう。もちろん、分析が無意味とはおもわない。子どもの遊びを科学すること、たとえば、発達心理学は無意味ではないだろう。それは社会に寄与するはずだし、豊かな実りをもたらすだろう。しかし、それは結局遊びを理解(解体)などしない。だから私は、心理学よりも、詩を、遊びをいまはもとめる。

 詩とは何か。それはたんなるテクストではないだろう。とびはねるテクスト/昆虫のみが、詩であるはずがないと信じたい。昆虫を追いかける子どもたちのたわむれ、それが無くて何になるだろうか。

 ランボオの詩のみがあるのではなく、「私」の反応をも含めてが、詩という現象なのではないか。

 テクストのみならず、現象としての 詩。

 

 

 さてこそ、導入が長くなってしまったが、「永訣の一行」とこの記事を題した。永訣とは調べてみたところ、「永遠に別れること。死別すること」という意味らしい。この言葉を聞いた/読んだことは、宮沢賢治の『永訣の朝』に関連してのみなのだけれども、その一瞬が、ずっと頭から離れない。

 

  けふのうちに

  とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

  みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

    (あめゆじゆとてちてけんじや)

   (春と修羅,永訣の朝,宮沢賢治,http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html

 

 永訣の一行。不眠の夜、突然にこの言葉が浮かんで、なんとかこれを説明しようと理路の行く先を探している。永訣、永遠の別れ、その一行とははたしてなにか。

 いやそもそも、根本的なところから考えなければならないのかもしれない。詩とは何か。詩にとって、一行とはなにか。

 考えよう。

 

 個別な実体としての「詩」なるものは、存在しないと私はおもう。個別なテクストはあるだろう。しかしテクストはそれだけでは詩にはなりえない。詩とは、関係のなかになりたつ現象ではないか。読者とテクストの、つまり「私」と「あなた」の関係。

 「私」と「あなた」。「私」とは読者だ。では「あなた」とは誰か。それは決して作者のことではない。すくなくとも、私はそうはおもわない。読者が作者の意図を読み取ることが、詩という現象のすべてなのか。そんなはずはないと私は信じる。そんなつまらないものであって欲しくない。「あなた」とはあくまでもテクストのことだ。読者という個別な存在が、テクストという個別な存在と、出会い、関係をとりむすぶこと。私にとって、詩とはそのような「現象」として理解される。テクストと読者との、「情」の交換(感情、情報、情動……)。きらめく閃光? あるいは、一方的な破局。

 だから「作者」もまた「読者」である。純粋な作者など私は信じない。すくなくとも今、この文章を書くにあたって、私は読者としてここにある。自分の考えを読んでいる、読みながら書いている、書きながら読んでいる。おそらく、「テクスト論」なるものを専門的に勉強すれば、ここで「作者の死」という専門用語を用いることができるのだろうが、私には残念ながらその素養がない。最近は電気工学を勉強している。文学理論はほとんど知らない。

 作者は読者であるとしよう。では、作者にとって詩とは何か。作者はなぜ、詩を作るのか。

 

 谷川俊太郎穂村弘の対談を読んだことがあって、『文藝 2009年 夏号』に掲載されているのだけれども、そこでの谷川俊太郎の言葉が強く印象に残っている。

 なぜ、詩を作るのか。なぜ、詩によって自分の言葉を伝え、人を動かしてもよいと言えるのか。人を動かすこと。それは言ってみれば、ある種の暴力である。詩とは、他者への介入であるから。ではなぜ、それをしてもよいと言えるのか。

 なぜ暴力は許されるのか。

 谷川俊太郎はこう答える。

 

 『食うために必要だからです』

 

 この言葉を雑誌で読んだとき、私はとてもうれしくおもった。今でも覚えている。当時使っていたメモ帳には、ボールペンで大きくこの言葉が書き残されていた。

 詩を書くこと。つまり、テクストを産み出すこと。それはある意味では、テクストという他者を「誕生」させることである。そしてテクストは作者を超え出て、読者に、さまざまな他者に干渉していく。よい影響を与えることも、悪い影響を与えることも、ひとしくありうるはずだろう。そしてそのどちらも暴力である。「私」が産んだものが人を変えていく。

 暴力である。それなのになぜ詩人は書くのか。

 

 詩とは普通、メッセージを「伝える」ものと考えられているに違いない。メッセージとはなにか。例えばそれは、「私」=「作者」自身の感情だろう。私の思い出、私の恋愛、私の苦悩、私の絶望、私、私、私。インターネットで詩を探せば、「私の展覧会」がいつ、どこにでもある。そのような「私」意識を突き動かすものはなにか。おそらく、それは欲望だろう。

 誰かとつながりたいということ。誰かに認めてもらいたいということ。何かを「したい」と望むこと。決して満たされることない、~したい。そのようなものはすべて「欲望」である。人は欲望に囚われている。欲望の奴隷であると言っていいかもしれない。欲望はときに享楽を求める。そして欲望はときに、詩を書かせるのだろう。

 そしてそれは、結局のところ暴力だ。欲望は対象を所有しようとするから。欲望によって書かれる詩が、ふくれあがっていく「私」がある。

 

 しかし一方で、谷川俊太郎の動機は違うとおもう。「食うため」。これは欲望だろうか。いや、それは欲望ですらなく、前人間的な、欲求なのだろう。欲望は際限なく膨れ上がる。欲求は違う。食べること、それは根本的な生理的欲求である。つまりは生きるために必要なこと。欲求は自らの限界を知る。

 食うためとは、生きるためである。谷川俊太郎は生きるために詩を書いているのだろう。それも「生きるため」といっても、「詩のなかで私は生き続けたい」とか不透明な神秘論には依拠していない。ただ詩によって金を稼ぐ、そしてそれによって生活の糧を得るために彼は詩を書いているのだろう。

 だから谷川俊太郎の詩はおそらく、欲望に基づく「暴力」ではないのだとおもう。ではそれはなにか。それはある種の「自然現象」だと私はおもう。天災と呼び変えてもいいだろう。天災は多くの人を殺しうる。圧倒的な破壊力を持つことがある。しかしそれは人間による「暴力」とは根本的に異なっている。天災には意図が存在しない。だからこそそれは詩になりうるのではないか。

 欲望によって書かれる詩があるだろう。それは意図にまみれてしまった、ある種の暴力としてのみ存在する。しかしそれとは全く異なった詩があるのではないか。欲求によって産み出されてしまった詩。意図を持たない、だから倫理を持たない詩。

 詩とは、このような自然現象としても書かれるものなのではないか。そして私は、「優れた詩」なるものがもしあるとするならばだが、それはこのような詩だとおもっている。だから私は谷川俊太郎という自然現象をとても尊いものにおもっている。

 

 ここまでの、とりあえずの結論をまとめる。

 詩人はなぜ詩を書くのか。特に、「優れた詩人」について。

 それは、そのような自然現象であるから。作者などもはやそこにはいない。意図などない。私などいない。

 

 

 さて、「永訣の一行」という言葉であった。詩を書くことが自然現象であるなら、はたしてこの言葉はどのように展開できるのか。

 一行。詩。自然現象。詩は自然現象であるならば、そのなかにおける「一瞬の光景」が、詩における一行なのだろう。

 天災の一瞬。報道写真を思い浮かべるのが一番早いだろうけれども、写真は瞬間の比喩として、どこか不適当であるとおもう。報道写真には「私」がいない。だが、「私」の天災の一瞬には、どうしようもなく「私」がとらわれている。私は世界の内においてのみ、天災を経験することができるのだから。

 「私」の一瞬を想わなければならない。

 テクストを読者が読むという現象がある。ここで私が述べているところの詩なるもの、そのような詩は自然現象であり、そこにおいて生じる一瞬一瞬がすべて詩における「一行」なのだろう。

 

 ではこの「自然現象の一瞬」としての「一行」に、「永訣」という概念を接木しよう。

 そもそも、私はなぜ「永訣の一行」などという言葉をおもいついたのか。詩を作ること、作者のことを考えていた。そして、詩のことを考えていた。ランボーのことを。宮沢賢治のことを。あるいは、谷川俊太郎のことを。

 岩波文庫の表表紙には作品紹介が書かれていることが多い。手元の『地獄の季節』から、その紹介文を引用したい。

 

 『16歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人ランボオ(1854-91)。ヴェルレーヌが「非凡な心理的自伝」と評した散文詩「地獄の季節」は彼が文学にたたきつけた絶縁状であり、若き天才の圧縮された文学的生涯のすべてがここに結晶している。』

   (地獄の季節,小林秀雄訳,岩波文庫

 

 ランボーは「文学的燃焼」をなしとげ、「彗星」のごとく消え去ったという。はたして、なぜか。詩を書くことが自然現象であるのならば、そこから離脱するということなどはたして可能なのだろうか。

 『地獄の季節』を読みながら私はこのようにおもっていた。おもわざるを得なかった。私はランボーのことなどまったく知らない。作品も流し読みしかしていない。彼の生涯も、文庫解説程度でしか読んでいない。

 だからこそ、なのだろうか。詩をやめることが頭から離れない。

 ここから、「永訣」についての想像がはじまる。

 永遠の別れ。あるいは死別。

 詩から、永遠に別れること。

 

 

  わたくしといふ現象は

  仮定された有機交流電燈の

  ひとつの青い照明です

  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

   (春と修羅,序,宮沢賢治,http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html

 

 詩を考えるとき、私はいつも、宮沢賢治の『春と修羅』の『序』を思い出す。

 あるいは次の一行を。

 

   おれはひとりの修羅なのだ

   (春と修羅,(mental sketch modified))

 

 宮沢賢治を媒介にして、永訣という言葉と、詩という概念は、私の中で結びつく。詩とは宮沢賢治なのではないかとすらおもう(もちろんこれは妄言である)。

 ランボーを想い、詩を想った。詩を想い、宮沢賢治を想った。そこで概念が結晶し、「永訣の一行」という言葉に至ったのだ。

 私には、いま、「永訣の一行」という仮説がある。どういうことか。端的に述べよう。

 

 詩人が詩人をやめるのは、自分のための「一行」に、出会ってしまったときなのではないか。

 

 

 仮説を検討する。

 再びさきほどの『文藝』に戻ると、谷川俊太郎穂村弘の対談の中で、谷川はこんなことを言う。

 『吉本隆明の有名な言葉があるじゃないですか、「世界を凍りつかせる一行」だっけ。あれを読んだときは「おっ、これは!」と思ったけど、今はまったく思わない(笑)。』

 谷川は、自分の言葉が、永遠に残ることを夢見ないという。谷川のこの言葉に対し、穂村は、すくなくとも言葉の上で、驚愕する。『ショックを受ける』、と彼は言う。普通は自分の書いたものが一行なりとも残って欲しいと望むのではないか、それが根深い欲求なのではないか。穂村がこのように問いかけたとき、谷川は答える。

 『もう、全部流れ去っていくものでいい。』

 

 いま、『文藝』を書棚から掘り出して文章を引用しはじめたのだけれども、偶然、このくだりに目がとまった。「永訣の一行」を布団のなかで想いついたとき、「世界を凍りつかせる一行」という言葉は、まったく、私のなかにはなかったのだが。読んではいたはずだ。だから、忘れていたのだろう。

 そして、思い出したのかもしれない。続けよう。

 

 谷川はなぜ、詩人で有り続けられるのか。その理由はここにある気がする。つまり、彼は「一行」を信じていないから。吉本隆明の著作は読んだことがないから「世界凍りつかせる一行」という言葉がなにを示すのか私はわからない。だけどそれは、私のおもった「永訣の一行」と、ほとんど変わらないものなのではないか。

 世界を凍りつかせてしまったとき、もはや、詩人が生きるべき世界はなくなる。詩人が向かい合うべきものはなくなる。だとすれば、彼は、彼女は、もはや詩をつくる理由をもたない。凍りついてしまった? いや、終わってしまったというべきかもしれない。凍結もまた自然現象であるのだから、比喩としてはまだ不十分だろう。それに対して終わった世界には、自然現象がもはや必要とされない。すべての自然現象の消失が、すなわち世界の終わりであるのだから。そしてそこには当然詩もない。詩という自然現象もまた消滅する。だからこそ世界を終わらせる一行によって、詩人は詩人でいられなくなる。

 「永訣の一行」とはつまり、これではないのか。

 世界を終わらせる一行のことではないのか。

 ランボーは世界を終わらせたのではないか。いまの私は、そう信じる。

 

 「永訣の一行」とは「世界を終わらせる一行」である。このように結論とすることもできる。 

 しかし、これを結論とはしたくない。

 世界などはたして終わるのだろうかと、ここに問おう。決まっている。終わるはずがない。

 

 宇宙は終わると言われている。しかし宇宙の消失は決して世界の終わりではない。宇宙が消えて、すべてが無に還ったとしよう。しかしそれでも、全くの無から、新しい宇宙が生まれることがあるのかもしれない。宇宙の誕生はまだ謎に包まれている。私は宇宙論には詳しくないから、これ以上の言及は避けようとおもう。ただひとつ言えることとして、無は、世界の終わりではないはずだ。

 だからこそ世界は終わらない。

 だとすれば世界を終わらせる一行など不可能なのではないか。それではランボーははたして何を終わらせたのか。

 

 世界の複数化。

 世界がいくつあるのか、私にはわからない。物理学にとって世界はひとつだろうけれども、詩人にとって、はたしてどうであるのか。そもそも「世界」など存在するのか。

 あるのは、「私にとっての世界」ではないのか? これが私の疑いである。

 物理学が前提とするたったひとつの均一な物質的世界、そのような概念が、おそらくはもっとも一般的だろう。しかしそれを「信仰」してよいのか、私にはまだよくわからない。そのような世界ははたして「誰にとっての世界」なのか。誰がそれを保証するのか。誰がそれを観察するのか。私にはよくわからないのだ。

 物理学的な物質世界は、それを保証するものを持たない気がする。かつては神が保証したのかもしれない。だが、いまや、浮かんでいる。主観性によって基礎づけられない浮遊した「対象そのもの」を、私は、うまく信じられない。すべての対象物は、「誰かにとっての-何か」という形でしか、基礎づけられないのではないかとおもっている。すくなくとも、現段階ではそのように信じている。

 だからこそ、一般的な言葉でイメージされる、存在物の総体としての「世界」、そのようなものにはあまり私は近づけない。世界は、「誰かにとっての世界」という形でしか、可能にならないのではないか。

 私はこのように考えている。そしてこう考えると、「永訣の一行」についてうまく理解できる。

 

 ランボーはたしかに世界を終わらせたのだ。しかしそれは、複数化している世界のうちのひとつ、「ランボーにとっての世界」でしかないのだろう。それでも彼にとっては世界だった。彼の世界は終わったのだ。そして私たちにとっては、まったくの無意味でしかない。

 あるいは、谷川俊太郎は「世界の終わり」を信じないのだろう。彼にとっては世界とはきっと、驚嘆すべき永遠性であるに違いない。だからこそ、彼はいつまでも詩人であり続けているのではないか。「谷川俊太郎にとっての世界」は、いつまでも自然現象に満ち溢れる。

 世界を終わらせる一行とはあくまでも「私にとっての世界」を終わらせる一行でしかない。他者からすれば、とるに足らない一行かもしれない。「誰かにとっての世界」が終わったことなど、決して知覚することができないのだ。

 しかしそれでも、それはやはり、世界を終わらせる「永訣の一行」なのだ。

 

 第二の結論をまとめよう。 

 「永訣の一行」に至ったとき、つまり、「私にとっての世界」を言葉によって終わらせてしまったとき、詩人は詩人でいられなくなる。

 長かった。これで、ほとんど終わりだ。

 

 最後に、「世界の複数化」についての批判をおもってみる。このような考えは、安易な相対主義なのではないかと、きっと批判があるだろう。いや、そうではないのだ。

 「誰かにとっての世界」は、「誰か」の数だけ存在する。たとえばその「誰か」とは人間だけではないだろう。動物も含まれる。植物も含まれる。あるいは機械も。あるいは無機物も。あるいは神も含まれるだろう。「誰かにとっての世界」は、文字通り無数にあるだろう。しかしそのすべて、共通する構造をもっている。すなわち、「誰か」が「世界」を「把握」するというという構造だ。そして、世界が誰かに現れ出る、という現象がある。

 私がおもうに、このような「現象」を可能にする、共通の「地平」があるのではないか。それこそが相対主義を否定するものなのではないかとおもう。ここでいう「地平」は、物理学の前提する物質的世界とはまったく異なった存在である。いや、「地平」はそもそも存在ですらないだろう。決して対象とされることがないもの。存在するとは別のかたち、としかいいようのない仕方で「ある」われわれの「地平」。すべての現象を可能にする「場」。そのような「共同性の場」としての「地平」があるのではないか。

 「共同性の場」においては相対主義は成り立たない。だからこそ、世界の複数化は決して相対主義ではない。

 

 

 さて。もういいだろう。ここまで書いて理路が尽きた。そろそろこの記事も終わりにしよう。まったくの書き溜めなしに流れにまかせて書き始めたのだけれども、そして非常に、あまりにも長くなってしまったのだけれども、それだけの価値はあったとおもう。予期せずして最近考えていたことをまとめることができた気がする。

 最近考えていたこと、ひとつは詩について。「私」に寄らずに書くということ。そして、詩人はなぜ書きはじめるのか。なぜ書くことをやめるのか。

 もうひとつは思想についてである。共同性と個別性について。こちらは、もうすこし掘り下げて、というよりも厳密に、どこかで書くべきかもしれない。いまはまだアイデアスケッチにとどまっている。でも、書くべき方向性は見失っていない。

 

 記事を書き終えた。まとめは終えた。これから私のするべきことを考えている。理論は十分にあるのだけれども、残念ながら私には、実践がまったく伴っていない。私は詩をおもっている。だが私はまだ詩を書くための十分な技術を身につけていない。

 私は実践をするべきなのだ。

 しかし詩を書こうと、特に意識する必要はないのだろう。私が詩を書くとき、必要性ではなくて、必然性が訪れるだろうから。自然現象としての詩が私を貫流するのではないか。なんとなくだが、そのような予感がある。詩を書こうと意識せずとも、詩を書いてしまうような気がする。流れに任せて、もうしばらくは、詩を書き続けてみたい。すくなくとも詩を書けるうちは。書きたいと私がおもえるうちは。

 言葉とたわむれていられるうちは。

 そしていつしか、私は私だけの、永訣の一行にたどり着くのかもしれない。わからないけれど。

 

 その時を待っている。

言葉の記憶を書くということ、詩について

 青春18切符が余っているので、住んでいるところ、つまり札幌を起点にして北海道各地を日帰りで移動・通過しようと計画していて、昨日、その第一日目を終えた。詳しい経路等についてはノートに手書きで書きためているものがあって、いわゆる旅行記なのだけど、後日、それをブログに別の形であげるかもしれないし、あるいはあげないかもしれないが、とにかく、今回の記事では省略したい。

 北海道に私は住んでいて、住み始めて二年が経とうとしている。

 

 旅のおともに『アイヌ語地名で旅する北海道』(北道邦彦,朝日新書,2008)という本と、あといくつかのアイヌ関連書を持っていき、電車の中で読んでいた。別件で買った北海道の道路地図と、JRの時刻表と、その本とを見比べて、地名(山、川、駅、など)の由来を考えながら、在来線に揺られ続けた。

 昨日は深川、旭川、美瑛、富良野、芦別などに行った。

 

 言葉には、記憶が宿っているのだとおもう。

 たとえばそれは、「文化」とも呼ばれる、「共同体の記憶」だろう。

 一例。「札幌」は、『アイヌ語地名で旅する北海道』によるとアイヌ語の「Sat poro pet」(乾いた 大きい 川)が由来である、という説が有力であるらしい。他には「Sari poro pet」(葦原 大きい 川)とする説もあるそうだ。ここで示されている「Sat poro pet」あるいは「Sari poro pet」とは、札幌を流れる豊平川の名前であるらしく、「川」を意味する「pet」が省略されて、現在のサッポロになったと、推定されているらしい。

 もう一例。昨日、函館本線で旭川方向に向かっていたときのことだ。車窓から、進行方向左手側に、横に長く続く山をみた。多分、「隈根尻山」だとおもう。「Kuma(横棒) ne(のような) sir(山)」という意味らしい。調べてすぐ、なるほど、と私はおもった。たしかに横棒のように見えたから。教師に教えられるように、言葉に「教えられた」ようにおもった。

 これら言葉の「意味」は、かつて「北海道」に生きていたひとびとの、記憶なのではないか。記憶が言葉に宿り、いまの私たちにも残った。

 あるいは、札幌地下鉄の南北線に、「自衛隊前駅」という駅がある。この言葉の意味は、あるいは由来は、いまを生きている私たちにとってはあまりにも明白であるだろう。しかしたとえば1000年後の、あるいは10000年後の、もはや「日本人」ではなくなったのかもしれない、可能的な存在としての私たちにとって、その駅名はどのようにみえるのだろうか。まったくわからない。だが、自衛隊という組織が、おそらく、なくなったときがあるのかもしれない。それ以後の未来を生きる私たちにとって、「自衛隊前駅」という言葉は、記憶なのだろう。つまり、「自衛隊前駅」という名前には、いまの私たちの、共同体の記憶が宿っているのではないか。

 

 言葉の意味には記憶が宿る。だからこのように考えられる。

 言葉は、いまを生きている私たちに、かつて生きていた私たちの、共同体の記憶を与えるのだろう。

 それは地名に限らないに違いない。ほとんどの言葉には、きっと、由来があるのだろうから。

 

 だが、結論ではなく、さらに文章を続けたい。記憶について、そして共同体について、もう少し理解を深めたい。

 言葉の意味には共同体の記憶が宿る。だが、言葉に宿される記憶はきっとそれだけではなくて、個人の記憶もまた、言葉に宿されるのだろう。

 水。

 一般人にとって、水泳に人生を費やしたひとにとって、化学を専攻する研究者にとって、水彩画家にとって、そして餓死者にとって、溺死者にとって、この言葉の意味は全く異なるだろう。

 個人の記憶は、その個人の中で、言葉に塗り込められていく。だから言葉の「意味」はひとによって少しずつ異なっていくだろう。

 

 このような「個人の記憶」は、個人の数だけ存在する。そのなかで、より大きいもの、つまりより多数に同意されるものが、「共同体の記憶」として、言葉として引き継がれていくのではないか。

 「横棒のような山」というのは、最初は、個人の感想だったに違いない。誰かが「横棒のように見える」と言った。誰かもそれに、「私もそう考えていた」と同意した。同意は広まる。個人の感想が、多数に共有されたからこそ、それは言葉として生き残ったのではないだろうか。個人の記憶は、共同体の記憶に変わりうるのだ。

 

 さらに、詩について考えたい。

 「放課後」という言葉には叙情がある。だがそれを、たったひとつの「一般的=共同的」なイメージに還元することはできないだろう。青春主義者にとっての放課後と、孤独主義者にとっての放課後と、学校に通えなかった人にとっての放課後とは、完全に途絶してしまっているのだから。

 このような途絶の中でそれでも、言葉に記憶を宿そうとする、全く無謀な営み、新しい意味の創造、その結果として現れてくるものが、いわゆる「詩」なのではないだろうか。

 詩とは、つまり、記憶と向きあう作業なのではないか。

 

 詩人に書けることはほとんど記憶だろう。現在の身ぶりそのものを詩にすることは難しい。記録されたとき、それは死ぬのだから。書かれたものはすべて、記憶になってしまうとおもう。

 では、詩人はどのような記憶を書くのか。

 「私の記憶」を書く詩があるだろう。伝統的な短歌はほとんどこれなのではないかとおもう。

 次に、私たちの共同体の、「典型的な記憶」を書く詩があるだろう。「夕暮れ=物悲しい」のような、すでにありふれたものを再動させる詩だ。このような詩は、生きている私たちの「共感」をさそうものなのではないか。

 そのような「典型的な記憶」を自覚した上で、それに抗して、「典型的でない記憶」を書く詩もあるに違いない。私たち「ではない」共同体の記憶を書くこと。「夕暮れ=走り高跳び」、なんでもいいけど。奪われた言葉? 忘れられようと、あるいは、そもそも記憶すらされないものを、明るみにだそうとする営み。または、言葉の新しい解釈。とにかく、このような詩は生きている私たちに、知らないもの=「驚異」を感じさせるのではないか。

 ほとんどの詩の構成要素は、これらのどれかに分類できる気がする。

 

 だがこれらはどれも、「生者の記憶を書く」という一点で、同じ水準にまだあるように私はおもう。まだ、詩にはなにかある気がする。言葉の可能性はまだあるのではないか。

 つまり、この他に、「言葉の記憶」を書くという詩も、またありうるのではないかとおもう。どういうことか。

 

 「言葉の記憶を書く」ということ。それは決して、言葉の由来を掘り起こす、だけの考古学的作業ではない。そうではなくて、過去の共同体、いまの共同体、あるいは未来の共同体、さらには各共同体とりこまれなかったものたちの共同体、それらの顕在化していない記憶を言葉の中に発見しようとする試みになるだろう。

 実感することのできない過去の共同体の、あるいは、まだ実現していない未来の共同体の、それらのいわば「透明な記憶」を、言葉の中に見出して、言葉によってそれを表現するということ。そのような詩もまたありうるのではないか。言葉にはそのような「見えないもの」にせまる能力が、そもそも、備わっているのではないか。

 それが「具体的に」どのような詩なのか、私には全く見当がつかない。だが、すでにそれはあるのではないか。あったのではないか。だから、いままで「わからない」と遠ざけていた詩であっても、このような目から再び読めば、「わかる」ようになるのかもしれない。言葉を、その能力を、私はいままで誤解していた気がする。

 興味は尽きない。

 

 『存在論的、郵便的』という本をいま、流し読みしていて、この本に書かれていることは、上の文章につながる気がする。

 あるいは小川洋子先生の『寡黙な死骸 みだらな弔い』の「文庫版のためのあとがき」では、次のように書かれていた。

 

 『自分が過去に味わった読書体験のうち、最も幸福だったものは、ああ、いま読んでいるこのお話は、遠い昔、顔も名前も知らない誰かが秘密の洞窟に刻み付けておいたのを、ポール・オースターが、川端康成が、ガルシア・マルケスが、私に語って聞かせてくれているのだ、と感じる一瞬だった。』

 『小説を書くとは、洞窟に言葉を刻むことではなく、洞窟に刻まれた言葉を読むことではないか、と最近考える。』

 [p.240]

 

 いま生きている者たちの、いま生きている共同体の、つまり「生者の記憶」ではなくて、言葉に宿されている生者以外の、「透明な者たちの記憶」を、読み取り、そして、書きあげた詩。

 そのような詩が、あるのだろうか。あるのならば、私はよみたい。