# 歌024

  • 「精神の生態学へ」(上中下)や「ローマ書講解」(上下)を買ったりした。それぞれおそらく死ぬまで通読することはないとおもいつつ、家にあるということが、たいせつなおまもりのように機能する、ということが、うれしくも、すこしこわいとおもう。
  • 肩や腰や背中がいたい。今年はあつさの夏がつづいて稲の収穫がとてもはやい。
  • いい文房具があればすべてがうまくいくのではないか、とおもい、midoriのノートを買い足した。
  • きのうは「第十三回石井は生きている歌会@札幌」に参加した。歌会に参加するのは記録が正しければ2019年以来で、たのしくも、疲労しつつも、という感じだった。石井さんに会うのもいつ以来だろう、5年ぶりくらいなのかもしれない。会って短歌以外のことではなすこともほとんどないのだが、元気そうでこころからうれしい、とおもった。石井さんと一緒に歌会をすることでしか得られない感情がある。
  • 石井さんが石井僚一短歌賞をもういちどやりたい、というようなことをいっていたので、すずちうさんに相談しようとおもった。
  • 歌会のあと懇親会があった。懇親会は、うまく懇親できないひとが必ずどこかで生じるのではないか(それは当然自分自身の場合もある)、という不安が耐えない場所で、苦手だった、ということをおもいだしつつ、きのうは、山田(航)さんや石井さんや今井(心)さんと昔話に花をさかせてしまった。石井さんを独占してしまってすみません。全体の懇親をうまく調整できるひとになりたいものよ、とおもった。今井さんもきのうは元気そうでよかった。焼肉をやりましょう、と言っていたことが印象にのこった。今井さんはすっかり社会人でたのもしかった。
  • 懇親会では一瞬、直泰さんが大喜利のライブで活躍している話があった。さいきんはハチカイのコントの動画をYouTubeでみることがままあるのだが、とくにわたしからはその話をしなかった。直近では人間横丁を応援しています。
  • 以下は出詠した短歌。

    ムーンパレス(ひとのせかいのおもいではこわれつづけてゆく)サンプラザ

#歌023

  • お久しぶりです。
  • いままで家ではRealforceのちょっとふるいキーボードをつかっていたのですがさいきんHHKBを購入した。キーの配置をソフトウェア上で変更できたり、Bluetoothで複数の端末とつなげたり、Realforceのキーキャップがそのまま移植できたりと、いろいろと遊んでみたいとおもっている。いわゆる自作キーボード(といっても既存の基盤に説明書のとおりはんだづけをするもの)のおぼえもあって、仕事ではEXCELを多用するためにカスタマイズした別のキーボードをつかっているのだが、ベストなmy new gear...をさがしつづけている、一方で、さがすことそれ自体が目的と化しているようでもある。キーボードはキーキャップをかわいくするのがいちばんたのしいです(がお金もそれなりにかかる)。キーボードがたくさんふえていく。
  • そこに山があるから、のようなこと?
  • 肩や腰がいたい。
  • 北海道もすっかり夏めいて、稀風社の2023夏(ネットプリント)のこともかんがえたいのだが、あまり歌がつくれていない。
  • HHKBは親指シフトにもそこそこ対応があってよいということに気づきました。長い文章を書くことに有効活用していきたい。
  • 石井僚一さんが北海道にくるので「石井は生きている歌会」に参加します。詳細はこちら。8/19 第十三回石井は生きている歌会@北海道 - TwiPla

    ぼくらはみんな生きているのに(なつやすみ)生きているのはむずかしかった

# 歌022

  • 3月からうごいていたネットプリントを6月になってようやく発行できた。すずちうさんおまたせしてしまってすみませんでした。つづきもやりたいとおもっています。がんばります。
  • 批評のような文章の依頼があり、ひさしぶりに2000字ほど書いてあたまがすっきりとしたような気がした。
  • ポケモンシャツの販売がおわってしまってかなしい。かっておけばよかったという柄が、コダック、オタチ、マリルリチルットフワンテ、など。
  • Chat GPTブームにのりおくれてしまったがBing AIがつかえるようになっていたので物語をつくってあそんでいます。
  • 「日常的実践のポイエティーク」を2年くらいずっとちびちびと読んでいて、いまようやく80ページというところ。「(見えない)欲望へ向けて」を60ページくらいよんだ。「第二の性」の1巻を買うだけ買っただけ。さいきんよくよむものは「ポケモンシャツメモリアルブック」くらいで、ながいぶんしょうはまだうまく読めないが、すこしずつ、文章がよめるようになってきてうれしいとおもう。

    こわくない あなたの耳や目や鼻にかわいいかたつむりがはいりこむ

# 歌021

 年度末で、いろいろたてこんでいてかなりしんどいのですが、山口コンボイさんのナートゥダンスをみてげんきをもらいました。

もらったはずの元気はうまくそだたずに(neglect)もうやりなおせない

# 歌020

 いちにちじゅう座っているとからだがばきばきになってくる。
 研究のほうでいろいろとはなしたり原稿をかいたりする機会がふえてきて、歌とあわせて、どちらもどっちかつかずのまま、大学院生のころからいまままでやってきてしまった、というおもいもある。もっと研究をしているひとはいるし、もっと歌をやっているひともいて、わたしはそのどちらにもおよばないのだけれども、およぶ、うちかつ、という考え方がじぶんにはあわない、ということもわかってきて、じぶんのペースでやっていくしかない。
 そろそろ雪がとけて、春になり、田植えの季節がめぐってくる。きせつにはきせつのめぐりがあり、にんげんにはにんげんのめぐりがある。

めぐりゆけ(たとえばあさのせつげんにあしあとをのこしたゆきうさぎ)

# 歌018

 Twitterをみていたら自分の歌がとりあげられていた。

ナナフシは鳥に食べられ遠くまで卵を運んでもらうだろうか?/三上春海『撤退戦』 - 音声一首評 - Radiotalk(ラジオトーク)

 おもしろかったのは「ふたりぐみ」あるいは「コンビ」という概念にたいするとらえかたの部分で、鈴木ちはねさんとわたしを「コンビ」ととらえたことはじぶんではなかったけれど、たしかに、とおもい、すずちうさんとわたしという対幻想、あるいは稀風社という共同幻想をとおすかたちで(こうして日記という自己幻想をとおして歌をつくってはいるのだけれど)、活動をまたやりたいなあというきもちになりました。
 とりあげられている歌は、あまりとりあげられた印象はないのだけれども、よい歌なので、とりあげられていてうれしいという気持ちになりました。しかしそれを評者にたいし、ありがとうと、わざわざつたえるほどでもない、とも(いまのわたしは)おもう。歌をつくるということと、それを評するということには、決定的な断絶がたもたれていたほうがよいとおもうので。
 とりあげられることで、歌はわたしのものでなくなる。あるいはなくなってくれる。
 採ることが、取ることであり、穫ること、あるいは盗ることでもあるということ。
 短詩のこういう部分は、ほかの文芸にはあまりない、よくもわるくも、独自性だとおもいます。

きさらぎの(combination)ひかれつつついにはすれちがう夜と朝