#歌023

  • お久しぶりです。
  • いままで家ではRealforceのちょっとふるいキーボードをつかっていたのですがさいきんHHKBを購入した。キーの配置をソフトウェア上で変更できたり、Bluetoothで複数の端末とつなげたり、Realforceのキーキャップがそのまま移植できたりと、いろいろと遊んでみたいとおもっている。いわゆる自作キーボード(といっても既存の基盤に説明書のとおりはんだづけをするもの)のおぼえもあって、仕事ではEXCELを多用するためにカスタマイズした別のキーボードをつかっているのだが、ベストなmy new gear...をさがしつづけている、一方で、さがすことそれ自体が目的と化しているようでもある。キーボードはキーキャップをかわいくするのがいちばんたのしいです(がお金もそれなりにかかる)。キーボードがたくさんふえていく。
  • そこに山があるから、のようなこと?
  • 肩や腰がいたい。
  • 北海道もすっかり夏めいて、稀風社の2023夏(ネットプリント)のこともかんがえたいのだが、あまり歌がつくれていない。
  • HHKBは親指シフトにもそこそこ対応があってよいということに気づきました。長い文章を書くことに有効活用していきたい。
  • 石井僚一さんが北海道にくるので「石井は生きている歌会」に参加します。詳細はこちら。8/19 第十三回石井は生きている歌会@北海道 - TwiPla

    ぼくらはみんな生きているのに(なつやすみ)生きているのはむずかしかった

# 歌022

  • 3月からうごいていたネットプリントを6月になってようやく発行できた。すずちうさんおまたせしてしまってすみませんでした。つづきもやりたいとおもっています。がんばります。
  • 批評のような文章の依頼があり、ひさしぶりに2000字ほど書いてあたまがすっきりとしたような気がした。
  • ポケモンシャツの販売がおわってしまってかなしい。かっておけばよかったという柄が、コダック、オタチ、マリルリチルットフワンテ、など。
  • Chat GPTブームにのりおくれてしまったがBing AIがつかえるようになっていたので物語をつくってあそんでいます。
  • 「日常的実践のポイエティーク」を2年くらいずっとちびちびと読んでいて、いまようやく80ページというところ。「(見えない)欲望へ向けて」を60ページくらいよんだ。「第二の性」の1巻を買うだけ買っただけ。さいきんよくよむものは「ポケモンシャツメモリアルブック」くらいで、ながいぶんしょうはまだうまく読めないが、すこしずつ、文章がよめるようになってきてうれしいとおもう。

    こわくない あなたの耳や目や鼻にかわいいかたつむりがはいりこむ

# 歌020

 いちにちじゅう座っているとからだがばきばきになってくる。
 研究のほうでいろいろとはなしたり原稿をかいたりする機会がふえてきて、歌とあわせて、どちらもどっちかつかずのまま、大学院生のころからいまままでやってきてしまった、というおもいもある。もっと研究をしているひとはいるし、もっと歌をやっているひともいて、わたしはそのどちらにもおよばないのだけれども、およぶ、うちかつ、という考え方がじぶんにはあわない、ということもわかってきて、じぶんのペースでやっていくしかない。
 そろそろ雪がとけて、春になり、田植えの季節がめぐってくる。きせつにはきせつのめぐりがあり、にんげんにはにんげんのめぐりがある。

めぐりゆけ(たとえばあさのせつげんにあしあとをのこしたゆきうさぎ)

# 歌018

 Twitterをみていたら自分の歌がとりあげられていた。

ナナフシは鳥に食べられ遠くまで卵を運んでもらうだろうか?/三上春海『撤退戦』 - 音声一首評 - Radiotalk(ラジオトーク)

 おもしろかったのは「ふたりぐみ」あるいは「コンビ」という概念にたいするとらえかたの部分で、鈴木ちはねさんとわたしを「コンビ」ととらえたことはじぶんではなかったけれど、たしかに、とおもい、すずちうさんとわたしという対幻想、あるいは稀風社という共同幻想をとおすかたちで(こうして日記という自己幻想をとおして歌をつくってはいるのだけれど)、活動をまたやりたいなあというきもちになりました。
 とりあげられている歌は、あまりとりあげられた印象はないのだけれども、よい歌なので、とりあげられていてうれしいという気持ちになりました。しかしそれを評者にたいし、ありがとうと、わざわざつたえるほどでもない、とも(いまのわたしは)おもう。歌をつくるということと、それを評するということには、決定的な断絶がたもたれていたほうがよいとおもうので。
 とりあげられることで、歌はわたしのものでなくなる。あるいはなくなってくれる。
 採ることが、取ることであり、穫ること、あるいは盗ることでもあるということ。
 短詩のこういう部分は、ほかの文芸にはあまりない、よくもわるくも、独自性だとおもいます。

きさらぎの(combination)ひかれつつついにはすれちがう夜と朝

# 歌017

 さまざまなわからないことがあり、たとえばさいきんは、「湯舟」のどこが「舟」なのかわからないとおもう。

浴槽は海に繋がっていません だけどいちばん夜明けに近い(馬場めぐみ)

 辞書でしらべると「槽」は「ふね」ともよむようで、「舟」「槽」ともに、水をためるうつわという意味をもち、同時に、「ふね」は水をわたる器でもあるらしい。
 そうおもうと、馬場さんの歌はしんせんにふしぎにおもわれてくる。

とうめいな船団がわたりくる冬の(数理統計)ほろぼされゆく