げもり

 札幌駅と大通駅をつなぐ地下道にセイコーマート(北海道を中心に展開するローカルなコンビニエンスストア)があるのだけれども、その店頭を少し離れた位置に三角コーンがポールでつながれながら5個ほど並べられていて、すこし立入禁止のようだと思った。お腹がへこへこに空いていてなにかパンでも買おうとおもったのだった。コーンの間にはふぞろいな間隔に真っ青な安っぽいポリバケツが置かれていて、なかにはうす茶色い水がたまっているのが見えた。水面に滴がぽつりと落ちた。天井の裂け目から雨漏りをしているらしかった。

 雨水が漏れることをわたしたちは雨漏りと呼ぶけれど、しかし外は真冬の北海道であり、降っているのは雪なのだ。だから漏れているのは雨水ではなく、地熱による雪解け水なのだろう。だとしたらそこで起きていたのは雨漏りではなく「雪解け漏り」なのだ、とわたしはおもった。「雪解けもり」はごてごてしていて、晩冬ガールの髪型っぽいなとすこしおもった。しかし、雪解け水とはたして断言できるだろうか。そうとはは限らなくて、たとえばどこかの配管から下水が漏れていたのだとしたら、バケツに溜まっていたのは「下漏り」だった。げもりは嫌だなとわたしは思った。

 よいパンがなかったので、その日は腹ぺこのままセイコーマートを出た。おおむねそんな冬である。

人間寿司

 寿司屋の夢を見た。

 回転寿司に入ると、まずわたしたちは入り口から一番近い席に座らせられる。店内は繁華街の飲み屋のように細長く、奥へ続いていて、その先は薄暗い。コートを脱いだので冬だった。

 目の前に若い賃労働者がい、彼が寿司屋特有の威勢良い挨拶を言う。お茶が出される。わたしたちがそのお茶を飲むと、椅子がごうごうと音を立て、店の奥へと移動を始める。

 人間が動く寿司屋なのだ。

 椅子が止まるとそこにはまた新しい店員がいて、店員として彼はわたしたちに寿司を出す。注文をした覚えはない。わたしたちにはみな同じ赤身魚が出されて、ここではそれしか扱っていないという。わたしたちが食べ終わると、またなめらかに椅子が動きだす。少し動いて椅子は止まり、そこにはまた同じような店員がいる。さっきとは別の寿司が出される。振り返って来た方を見ると店員によって皿が片付けられようとしている。そのさらに奥の席には次の客がいてお茶を飲んでいる。人間がベルトコンベア上につらなる様は、テーマパークのアトラクションのようでもある。

 効率化のために人間を回すことを寿司屋は覚えたという。人間を回すことによって回転寿司は、つねに握りたての寿司を提供すること、寿司を乾燥から守ることを可能にした。それはつまり寿司の尊厳の保証なのだった。人間の利便性を犠牲にして、寿司の尊厳を保証する、新たな倫理のあり方が回転寿司にも適用されているのだという。寿司と人間の権利を秤にかけその折衷案を模索するということ。それは新しい思想のかたちである。

 店内は大きなU字を描いていて、わたしたちは店の奥で折り返して入口へ向かう。会計を済ませる。おいしかったとわたしたちは言う。ありがとうございました、と言うための店員がそこにはいる。

 コートをはおり、追い出されるように店を出ると、わたしは目が覚める。

不安

 日記を書く。不安である。『詩客』に柳澤美晴さんが短歌時評を書いていて『短歌時評第109回男子VS女子』という記事なのだがそこで三上春海が言及されている。三上春海はわたしのことだ。

 12月19日の早朝、NHK札幌放送局が『おはよう北海道』の中でSNSを中心とした短歌ブームおよび北海道大学短歌会についての紹介を行い、わたしは北海道大学短歌会の会長であるから、その取材に忙しい日々を過ごした。その中でわたしはカミハルでも三上春海でもない本名で扱われた。映像として報道された。映像のなかに〈わたし〉がいた。それは誰だったのだろう。

 わたしは誰なのだろうとおもう。

 

 透明度 私のいない湖を見つめ続ける私の瞳

 

 という短歌を以前に詠んだことがあって、鈴木ちはねさんにはこの歌が高く評価されている。私がいないこと。わたしは、「私がいないこと」をモチーフとしてたびたび用いる。わたしの不在を好む。そう、わたしは〈悪〉であり、わたしがいないことは〈善〉であるという考えをよくわたしは用いる。でもわたしはいるのだ。映像のなかでわたしは三上春海ではない誰かとして、身体を持ち、発言をしていた。そこにいるものがわたしだった。

 時評の中で柳澤美晴さんが三上春海さんの文章について次のように言及する。

 

『でも、たかだか好きなものを語るのに、こんなに綿密な理論立てをしなければいけないのかという疑問がよぎったのは、わたしが女だからだろうか。殊に、冒頭からレヴィナスの文章を引用して、素晴らしい書物の代表として聖書をあげ、自分には語る資格がない(でも語りたい、語らせてください)と延々と事由を求める三上を見ると、世間の目を気にして言い訳を必要とする男の悲しい性を感じてしまった。社会的な裏づけがないと不安なのだ。』

 

 不安なのだ。それはほんとうにそうだ。「世間の目を気にして」と言われればそんな気もするが、でも、それにとどまらない不安をわたしが所有していることに気づく。「社会的な裏づけ」にとどまらない、地盤のなさへの不安がわたしにはある。「震災」という言葉で指されるものが新潟県中越地震ではなくなって久しい。13歳のわたしは、その震えのなかに揺れていた。震災はすでに忘却されかけている。でも、わたしの地盤はまだ揺れているのだ。

 「わたしがいる」ということを確かな地盤としてものごと始められれば、わたしの「好き」を語ることができるけれども、わたしにとってはわたしがいない。もちろん「わたしがいない」は嘘で、わたしはテレビに映されればわたしとしてただそこにある。でもわたしにとってはいないのだ。おかしくて狂ってしまいそうだ。ほかの誰かにとってわたしはただひとりのわたしでしかないのに、わたしは、出発点としてわたしをうまく据付けられない。

 〈聖書〉についてわたしが書くのはわたしが、震えのない基盤を求めているからだとおもう。わたしの不在をどうにかしてほしいからだとおもう。あるいはわたしは科学の、それも大地にかかわる科学の勉強をしていて、大地とはもちろん基盤のことである。わたしはわたしの基盤を求めている。「世間の目」「社会的な裏づけ」どころか、もっとゆるがない徹底的な基盤を求めていることに気付く。(もちろんわたしはわたしの基盤の不在ゆえに世間の目も気にしていて、だからわたしは他人からの評価をとても気にする、卑小な魂を持っている)

 

 堂園昌彦さんの歌集『やがて秋茄子に到る』および五島諭さんの歌集『緑の祠』を読んだ。絶対に譲れない自分の基準、つまりは美意識をもとに書くということがそこには発揮されていて、わたしにはそれは無理だとおもう。だってわたしには美意識がない。基盤がない。もしなにかをなそうとするばらば現在、「どれだけはっきりとした美意識を提供できるか」が重要であるとおもうのだが、どうだろう。不安なのだ。みんななにか、はっきりしたものを欲しがっているのだ。

 でもわたしにはそれがない。

 美意識を持たないわたしはなんでも書こうとするし、でもわたしにはなんでもをなそうとするための技量や蓄積をもたないから、なんでもを書くことはできない。器用貧乏にさまざまを書くばかりでとても貧しい。だからわたしは、「個性」を発揮することがない。

 という話をしたのは、「わたしがなにを書くべきか」が、わたしにはまたわからなくなっているからだ。もちろん「べき」によって自身を統御しようとするのは間違いで、自然に自然に、流れるものをそのままになせばよいというのがわたしの理想ではある。しかしそれでは、煩雑な下級品ばかりが生まれてしまう。わたしと同世代の書き手で、たしかな基盤を持っている人たちはそれぞれに道を見出してゆく。それを羨ましくおもう。わたしは基盤がほしい、美意識がほしい。自分の基盤をまず据付けてから、流出を開始するべきなのだとおもう。設計図なく思想なく部品を送り出す工場がわたしで、それはガラクタ工場と変わらない。

 でも、わたしは自分の美意識を見つけ出せないような気がする。わたしの世界はまだ揺れている。だからわたしは自分の「良い」をうたわないで世間の目を気にするだろう。そこそこに「いいね」と言われるようなものばかりを作るだろう。そしてそんなわたしを世界は必要としないだろう。ガラクタ工場を世界は必要としない。

 

 書きたいひとが増えている。そのなかでなにができるか。ニッチ探しにわたしは打ち勝てないような気がする。

山本さん

 山本さんにあったことは2回だけあって山本さんとインターネットを利用して声を交わしたことはそれよりも10回以上多くある。山本さんは天才である。山本さんについて書き始めているのはべつに山本さんについて書かなければならない喫緊の課題があるわけではまったくなくて、文章の練習としてなにかを書こうと考えたときにいちばんめにおもいうかんだ言葉が山本さんだったからというただそれだけの理由しかない。わたしは山本さんが好きである。天皇のほうが山本さんよりも好きで、もし山本さんと天皇のどちらかだけを撃ち殺さなければならないとしたらわたしはちょっとだけ躊躇をしてから山本さんの脳天へ銀の弾丸をぶちこむとおもう。それくらいわたしは山本さんが好きである。

 山本さんにおすすめされた橋本治の本をAmazonで買ってでもおもっていたとおり時間がなくてあまり読み進められないでいてとりあえずあとがきだけは読み終わったのでいまは本文を読んでいる。橋本治がチャンバラ映画について書いた本で山本さんがどうしてわたしにこの本をおすすめしてきたのかはまだうまく把握できてはいないのだけれども、把握するためにも読み進めたい。

 最近は短歌を書いていてとりあえずの短歌を書くのは簡単でツイッターにひゅんひゅんと投稿するとたとえばこういう歌ができる。

 

   あたし皇居。あたしのなかにいるひとは天皇。これからよろしくね。

 

   あたしたぶん前世がスカイツリーだし、ほんとはキスもしたくなかった

 

   もも色のぶたぶたぶたがやってきてピカソのように切り落とされる

 

   うさぎってかわいい。家畜じゃないし、あたしのことを軽蔑しない

 

   ひどいのよピカソは夢の中ですらあたしの耳を舐めまわさない

 

   アイスクリームがアイスクリームであることをやめようする ふざけるな夏 

 

   手をつなぐときに一瞬遅くなる歩みのように死んでゆきたい

 

 わたしが小説を書くほうが短歌を書くよりもわたしにはよいと山本さんに以前インターネットを経由していわれてそれはほんとうにそうなのだなあということをわたしはとみに感じつづけている。短歌をはじめたころからずっとかんがえている。しかしわたしは短歌を、十把ひとからげの短歌を書いている。小説を書かないのは小説を書くための体力とか構成力とかそういうのをなくしてしまったからでもある。たんじゅんにおもしろい小説が書けないからでもあるけれど。短歌を書くと小説が書けなくなるというのはわたしの場合はほんとうにそうで、文章の息が続かない。いまだって長い文章を書き連ねている内に体力がなくなりかけている。これいじょうなにを書くのかよくわからなくなっている。

 文体というのはもじどおりに体で文体がちゃんとしていないと、つまりは体がないともちろん文章は呼吸ができない。文体さえアレば逆に言えば文章はかんたんに息づくことができる。これはアレゴリーなのだけれどもただのアレゴリーと無視していいものでもないだろう。文体が文章を書かせるのだ。で、文体には長文にむく文体と短文にむく文体というものがありわたしの文体はもうだいぶ短文に慣れてしまったような気がする。長距離を走ることのできない筋肉ばかりが鍛えられてしまったかのようだ。あるいは長文をかかないのは単純に長文を書くための時間がなくなってしまったからかもしれなくて、わたしが学籍を失って新潟にみじめに帰ったならばわたしはまた長文の小説を書き始めるようになるのかもしれない。もちろんそれが優れた作品になるかはわからない。でも書く。長文の小説を書かなければならないとおもう。だからわたしはとりあえずわたしに小説を書くべきだという山本さんのことばを信じるし、山本さんにおすすめされた橋本治の本を読もうとおもう。

 山本さんの話だったけれど、山本さんの話は結局しなかった。そういうふうに、山本さんの話をしないというかたちでわたしはたぶんずっと山本さんのことを考えているしこれからも山本さんのことを考えつづけるのだとおもう。山本さんはそういうひとなのだとおもう。嘘だけど。

文学フリマの東京の2回目の感想

 2013/11/4(月)に開かれた第17回文学フリマに参加をするため11/3(日)から11/5(火)まで東京にいた。鈴木ちはねさんの家に宿泊をさせてもらったために宿泊費を浪費することなく往復の飛行機代約3万円とその他の雑費のみの負担で東京に滞在をすることができた。鈴木さんありがとうございました。

 今回の文学フリマでは稀風社として『稀風社の薄情』というリレーエッセイを掲載した薄い本を刊行し、また久石ソナ君が主催となった『詩歌の同人誌 ネヲ』という本に『でも これは僕の記録なのだ[15巻p.200]』という1万8000字程度の文章を寄稿した。だいたい前日までのブログに書いたような書くことができないということとそれでも書くということを書いた。

 ここでは文学フリマの感想を書く。

 

 文学フリマでは短詩文学のブースをよく回った。文学フリマのあとで山本さんと鈴木さんと一緒に浜松町の地下の喫茶店で山本さんはレモンティーを鈴木さんはコーヒーフロートをわたしはクリームソーダを飲みながら、短歌は社交界の文学ということをまず話した。『帰られせてくれ』というすさまじく優れた詩誌がありわたしはそれを山本さんに教えてもらったのだが、買って読んで2013年のハイライトだとおもった。限界まで自らを追い詰めて自らの足場を崩していくことで笑いにするという表現がありでもその先にはもうなにもないからそればかりをやってしまうのは危険だというようなことを山本さんはいい、わたしは「その先」は時代の変化によって勝手に生じるからいまの足場が崩れてもまたあたらしい足場ができるのでだいたいは大丈夫なのではないかということをいった。そういえば山本さんと鈴木さんはピンク色のシャツを着ていてかぶっていて面白かったし、わたしは高校生のころからずっと着ているぼろぼろの灰色のシャツを着ていた。わたしたちは三人とも眼鏡をかけていて文学フリマの会場ではわたしと山本さんが兄弟のようにみえると言われたけれども、たぶんわたしが兄にみえたとおもう。山本さんはでも年上でわたしは山本さんの名刺をもらった。個人情報をわたしは握っている。

 文学フリマの会場内では閑散としているところとひとが沢山いるところがあり、結局は「文学力」ではなくて「社交力」の場所なのだろうと毎度のことながら実感していて、この実感を毎回毎回やりすごしているわたしの下衆をわたしはどうにかしなければならないとおもう。よいものを作ればひとがたくさん集まるなどということはなく、よいものを作っているとおもわせたところにひとがたくさん集まるのである。場においては作品ではなくて作品の宣伝が重要だ。もちろん作品という名の土壌がだめであればそこから生えてくる宣伝だってろくな成長をしないのだが。しかし「社交力」を競い合って現代をコミュニケーションによって充足させてそうやって「安心」を売り買いすることになんの爆発があるのだろう。自分たちのことをすでに知っているひとにむけて文章を作って売って新たな衝撃がまったくないのがもうほとんど短歌といってイコールのような気がしてしまって、わたしはどうにかしなければならないとおもう。異文化に頭をつけて自らの脳をピクルスにしなければ文学は腐っていくのではないか。『帰られせてくれ』があまりにもすごかった。それにわたしやあるいはのんのんとしている詩歌の人間たちは気づけたか。わたしに素通りされるばかりの小説ブースをわたしはどうすればよかったのだろう。すでに評価されているものは勝手に評価されるのだからまだ評価されていないものにわたしは向かってしまいたいがそれはあまりにも難しいし自分勝手なような気がする。

 稀風社について書く。稀風社の『稀風社の薄情』の鈴木さんの原稿をわたしは感動しながら読んでいて、稀風社の営みについてもうすこしわたしは自覚的になっても良いのではないか、つまりいままでは特に稀風社を行う意図というものをわたしは持たずにいたのだけれども、稀風社の「戦略」について意図的になってしまってもいいのではないかと考えた。鈴木さんが『薄情』のなかで書いているとおり稀風社は歌会や相互批評や歌集贈答といった短歌的な文脈からは遠くはなれたところで開始されたサークルで、文脈とはまったく関係のないところでやっていて、でもそれだけでは行き詰まった。「文脈」をわたしの言葉で「中央」と言い換えるなら稀風社は「中央」にアクセスせずにただ短歌をやっていたサークルで、でも「中央」からの独立を保ち続けることはできない、なぜならば単純な物量の問題によって「中央」は「辺縁」を押しながらしてしまうからである。それでわたしは稀風社の社員でありながら北海道大学短歌会という組織に属してしまい、「中央」へのアクセスを開始し始めている。北海道大学短歌会は当然北海道という辺縁の学生短歌会で、その情報力はごく弱いのだが、しかし「中央」から認知されているという意味では確実に「中央」の一部ではある。北海道大学短歌会に入って「中央」の一部になることは稀風社や、あるいはその他の無数の「辺縁」的なサークルをわたしは無視しはじめるということなのかもしれない。穂村弘に会えることを特別とおもわないことをわたしはできはじめてしまっている。だからわたしは辺縁で人知れず作っているひとたちを無視し始めて、「中央」のインデックスがサジェストしてくる「期待の新人」を流動食のようにずるずると飲み干し始めるのかもしれない。

 未知なるものと出会うためには辺縁を冒険しなければならないとわたしはおもう。おもうけれどもそのことを正しく言葉にすることはできないし、いま、わたしはなにを書きたいのか忘れ始めてしまっている。少なくとも、北海道大学短歌会やその他の学生短歌会のようなありようよりも稀風社のようなありようのほうがわたしには適しているとわたしは考えるが、しかし稀風社のようなありようをいつまでも続けることは決してできないということをわたしは同時に考えているわけである。そう、稀風社を永遠にいまのまま続けることは決してできない。だからこそ打開策を考えなければならないということをわたしは考えていて、このことについてはもうすこしよく、考えてから書くべきなのだとおもう。わたしがなにをしたいのかをわたしはよく考えるべきなのだとおもう。そしてこれからなにをするべきなのかをわたしはよく考えるべきなのだ。考えるのだ。わたしは稀風社が好きである。しかし稀風社をいまのまま続けてはいけなくて、踏み出さなければならない。それがどこへかを、考えたい。取り留めがなくなった。たぶん続く。

メモ-2013/10/6

 頼まれて批評を書いているのだがわたしは批評がなんの「ため」にあるのかつまりそれが本質的にどういうことなのかがてんでわからなくなってしまい、書けない。批評とはなにかがわからないということを書いてしまってそれでは批評にはならない。以前NHKのテレビ番組で批評家の宇野常寛さんが批評家業について「馬鹿と思われたら終わりの職業」と述べていて、しかしわたしはわたしが馬鹿であるということを否認できないしむしろ自分が馬鹿であるということからしかなにかが始められないとさいきんはおもっているせいで、とんと批評とは相性が悪いということをおもいしる。

 なにかに対してなにかを述べるためにはそれ相応の形式と道具を利用しなければならないのだけれども最近は、批評とは別様の形式また道具に触れすぎていて、具体的に言えば科学の学術論文なのだけれども、そのせいで批評の形式と道具がわからなくなってしまっているというのも批評が書けない原因ではある。そも、といって今回寄稿をするのは批評家たちの本ではなく、詩人による批評、というようなくくりの本ではある。歌人は批評を兼ねるひとが多いが、歌人による批評は批評家による批評ともまた違っていて、しかしそこにはやはり厳然たる形式と道具があるようにおもえてとてもこわい。とくに重要な道具が「詩人の感性」であるのだけれども、わたしにはそれがつかめないからおそろしい。形式にのっとらない文章を書くしかないとはおもうけれども、わたしは馬鹿だから、形式にのっとらない文章を書こうとして書けるのはただ「つまらない」ものだけであり、そもそもが批評の本に寄稿するべき内容とはならないようにおもう。形式にのっとった「読める」ものは書けない、形式にのっとらないものを書こうとすると「読めない」ものにしかならない、という苦悩があってつまりは行き詰まっている訳である。

 しかし何かを書かねばならないし書きたいことはあるわけで、どうしようかな、どうしようかなと悩んでいる間にも締め切りは迫る。何かを書く。書く。書く。……

メモ-2013/10/1

雨は常に「こちら側」にしかなくなぜ誰の死体も叫びださないのか「こちら側」でも

 

 前回は「書くこと」と「演じること」を「非今志向」と「今志向」として性質付けしたのだけれどもこれを別様に喩えることができて、「書くこと」は「出産すること」に「演じること」は「性交すること」に類似していると言えば、佐々木中がラカンを引きつつ『夜戦と永遠』で「大他者の享楽」と「ファルス的享楽」について述べたこととほぼ同じであるように思う。「書くこと」は過去と未来に伸びていくことでこれは出産によって子孫を残し自らの系譜を過去と未来に延伸させていくことに類比でき、その享楽は他者とのつながりをもつことによる。一方で「演じること」は「その瞬間」=「現在」へと(たどり着かない絶頂へと)絶え間なく上り詰めることであり、「ファルス的享楽」に類似する。と書いてはみるもののわたしのラカンへの理解は凡夫並み以下であるからそれ以上のなにかを述べることは難しいが、ここから何かをまだ書き継げられるようにおもうので書いておく。

 また前回に引き続き斎藤環の話をすると彼は男性=「ファルス的享楽」、女性=「他者の享楽」とわりとざっくり『六つの星星』では切り分けていて、男性はファルス中心型であり性的場面においては主体でなければならないが、女性は必ずしも主体ではなくてもよいという違いがあると述べている。女性についてまとめると『女性の欲望は基本的には固有の相手と関係したい、という関係欲でしょう』[p.13]。女性は「他者から欲望されること」「自らの欲望をできるだけ抑えること」を美徳とされてしまうという。本の〈概念の〉ネットワークの存在を考えると関係欲=「他者の享楽」が「書くこと」=「出産」の原動であるという類否はある程度正しいようにおもえるけれど、『関係する女 所有する男』には『所有原理は一般性や普遍性を思考するため、しばしば無時間的なものとなる。これは男性が、所有が永続的であることを望むのだから当然だ。いっぽう女性は、その場その場でのリアルタイムな関係性を重視する。』という文言があるらしく、いまインターネットを検索して見つけただけで原典にはあたっていないのだが、これは最初に書いた「書くこと」=「非今性」という定式化とは矛盾する。この事実が指すのは定式化の無意味であるとはおもうが、まだここから思考を掘り進めるべき余地はあるようにわたしはおもう。ので考える。なぜ精神分析からわたしはものを考えるのかをわたしは説得できないのでそれも考えながら、考える。