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文学フリマの東京の2回目の感想

 2013/11/4(月)に開かれた第17回文学フリマに参加をするため11/3(日)から11/5(火)まで東京にいた。鈴木ちはねさんの家に宿泊をさせてもらったために宿泊費を浪費することなく往復の飛行機代約3万円とその他の雑費のみの負担で東京に滞在をすることができた。鈴木さんありがとうございました。

 今回の文学フリマでは稀風社として『稀風社の薄情』というリレーエッセイを掲載した薄い本を刊行し、また久石ソナ君が主催となった『詩歌の同人誌 ネヲ』という本に『でも これは僕の記録なのだ[15巻p.200]』という1万8000字程度の文章を寄稿した。だいたい前日までのブログに書いたような書くことができないということとそれでも書くということを書いた。

 ここでは文学フリマの感想を書く。

 

 文学フリマでは短詩文学のブースをよく回った。文学フリマのあとで山本さんと鈴木さんと一緒に浜松町の地下の喫茶店で山本さんはレモンティーを鈴木さんはコーヒーフロートをわたしはクリームソーダを飲みながら、短歌は社交界の文学ということをまず話した。『帰られせてくれ』というすさまじく優れた詩誌がありわたしはそれを山本さんに教えてもらったのだが、買って読んで2013年のハイライトだとおもった。限界まで自らを追い詰めて自らの足場を崩していくことで笑いにするという表現がありでもその先にはもうなにもないからそればかりをやってしまうのは危険だというようなことを山本さんはいい、わたしは「その先」は時代の変化によって勝手に生じるからいまの足場が崩れてもまたあたらしい足場ができるのでだいたいは大丈夫なのではないかということをいった。そういえば山本さんと鈴木さんはピンク色のシャツを着ていてかぶっていて面白かったし、わたしは高校生のころからずっと着ているぼろぼろの灰色のシャツを着ていた。わたしたちは三人とも眼鏡をかけていて文学フリマの会場ではわたしと山本さんが兄弟のようにみえると言われたけれども、たぶんわたしが兄にみえたとおもう。山本さんはでも年上でわたしは山本さんの名刺をもらった。個人情報をわたしは握っている。

 文学フリマの会場内では閑散としているところとひとが沢山いるところがあり、結局は「文学力」ではなくて「社交力」の場所なのだろうと毎度のことながら実感していて、この実感を毎回毎回やりすごしているわたしの下衆をわたしはどうにかしなければならないとおもう。よいものを作ればひとがたくさん集まるなどということはなく、よいものを作っているとおもわせたところにひとがたくさん集まるのである。場においては作品ではなくて作品の宣伝が重要だ。もちろん作品という名の土壌がだめであればそこから生えてくる宣伝だってろくな成長をしないのだが。しかし「社交力」を競い合って現代をコミュニケーションによって充足させてそうやって「安心」を売り買いすることになんの爆発があるのだろう。自分たちのことをすでに知っているひとにむけて文章を作って売って新たな衝撃がまったくないのがもうほとんど短歌といってイコールのような気がしてしまって、わたしはどうにかしなければならないとおもう。異文化に頭をつけて自らの脳をピクルスにしなければ文学は腐っていくのではないか。『帰られせてくれ』があまりにもすごかった。それにわたしやあるいはのんのんとしている詩歌の人間たちは気づけたか。わたしに素通りされるばかりの小説ブースをわたしはどうすればよかったのだろう。すでに評価されているものは勝手に評価されるのだからまだ評価されていないものにわたしは向かってしまいたいがそれはあまりにも難しいし自分勝手なような気がする。

 稀風社について書く。稀風社の『稀風社の薄情』の鈴木さんの原稿をわたしは感動しながら読んでいて、稀風社の営みについてもうすこしわたしは自覚的になっても良いのではないか、つまりいままでは特に稀風社を行う意図というものをわたしは持たずにいたのだけれども、稀風社の「戦略」について意図的になってしまってもいいのではないかと考えた。鈴木さんが『薄情』のなかで書いているとおり稀風社は歌会や相互批評や歌集贈答といった短歌的な文脈からは遠くはなれたところで開始されたサークルで、文脈とはまったく関係のないところでやっていて、でもそれだけでは行き詰まった。「文脈」をわたしの言葉で「中央」と言い換えるなら稀風社は「中央」にアクセスせずにただ短歌をやっていたサークルで、でも「中央」からの独立を保ち続けることはできない、なぜならば単純な物量の問題によって「中央」は「辺縁」を押しながらしてしまうからである。それでわたしは稀風社の社員でありながら北海道大学短歌会という組織に属してしまい、「中央」へのアクセスを開始し始めている。北海道大学短歌会は当然北海道という辺縁の学生短歌会で、その情報力はごく弱いのだが、しかし「中央」から認知されているという意味では確実に「中央」の一部ではある。北海道大学短歌会に入って「中央」の一部になることは稀風社や、あるいはその他の無数の「辺縁」的なサークルをわたしは無視しはじめるということなのかもしれない。穂村弘に会えることを特別とおもわないことをわたしはできはじめてしまっている。だからわたしは辺縁で人知れず作っているひとたちを無視し始めて、「中央」のインデックスがサジェストしてくる「期待の新人」を流動食のようにずるずると飲み干し始めるのかもしれない。

 未知なるものと出会うためには辺縁を冒険しなければならないとわたしはおもう。おもうけれどもそのことを正しく言葉にすることはできないし、いま、わたしはなにを書きたいのか忘れ始めてしまっている。少なくとも、北海道大学短歌会やその他の学生短歌会のようなありようよりも稀風社のようなありようのほうがわたしには適しているとわたしは考えるが、しかし稀風社のようなありようをいつまでも続けることは決してできないということをわたしは同時に考えているわけである。そう、稀風社を永遠にいまのまま続けることは決してできない。だからこそ打開策を考えなければならないということをわたしは考えていて、このことについてはもうすこしよく、考えてから書くべきなのだとおもう。わたしがなにをしたいのかをわたしはよく考えるべきなのだとおもう。そしてこれからなにをするべきなのかをわたしはよく考えるべきなのだ。考えるのだ。わたしは稀風社が好きである。しかし稀風社をいまのまま続けてはいけなくて、踏み出さなければならない。それがどこへかを、考えたい。取り留めがなくなった。たぶん続く。