# 歌013

戦争状態は道徳を宙吊りにする。戦争状態は、いつの世も変わらず永遠だとされた制度や義務から永遠性を剝ぎとり、それによって無条件的な命法をすべて一時的に無効にする。戦争状態は、人間の行為にあらかじめ影を落とす。戦争は単に道徳が生きるかてにする試練の一つに——最大の試練として——数えられるだけではない。戦争は道徳を笑いの種にしてしまうのだ。
(『全体性と無限』著:エマニュエル・レヴィナス、訳:藤岡俊博、講談社学術文庫、2020、Kindle版No.69)

 戦争についてかんがえるときまずは上記のフレーズをおもいだすようにしている。 つづく引用部ではつぎのようにも書かれる。
「戦争は、なんびともそこから距離をとることのできない秩序を創設する。だから、外部にあるものはなにもない。戦争は外部性を現出させるわけでも、他なるものを他なるものとして現出させるわけでもない。戦争は、〈同〉の自己同一性を破壊するのだ。」「全体性のなかでは、個体は、知らずに自分に命令を下してくる諸力の担い手に還元されてしまう。」

 ひとたび〈戦争状態〉が生じたあと、その〈外部〉に立つものはだれもいない。〈戦地〉をとおくはなれてすまうひとびとにも、〈戦争状態〉にどのような態度をしめすのか、という選択がたえず迫られる。われわれの住まいが〈戦地〉になる可能性すらたえない。沈黙は〈戦争状態〉にたいする暗黙の同意とみなされるだろう。だから、未来の審判者にたいするエクスキューズとして、ひとびとや組織は、戦争反対の声明を発しなければならないねばならない、われわれにたいしてこの強制力をはたらかせる未来の審判者とは、〈戦争状態〉の産物であり、〈戦争状態〉の代理人ですらあるのではないか。

 〈戦争状態〉がありうるからこそ、ねばならない、の強制力により、われわれの自由はおびやかされる。われわれの自由をむしばもうとする強制力に抗するため、つまりへんな言い方になるが、もはや戦争反対とさけばなくてもよくなるために、われわれは〈戦争状態〉に反対しなければならないのだろう。

戦争のおわりのおわりがおわりつつある春天をわたる鳥 無し