「お気持ち」だから「感情のために」なんだなあ、とふいにおもう。
鈴木ちはね氏の歌集『予言』をすこしずつ読んでいる。連作「感情のために」は、「よい島」のころは104首だったが、歌集では100首に減らされている。
連作の一首目、
後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。
は、「よい島」にはなかった。
これはこういう一首なのかもしれないが、やや、違和感もおぼえる。誤植やなにかではないか、と気になる部分がほかにいくつかあった。たとえば、『予言』80頁の、
は、「よい島」では、「有識者会議の机上いちめんに有識者の数だけの伊右衛門」という歌だった。初二句の欠落は意図的なものなのだろうか。
ほかに、歌集収録時に、歌といっしょに散文部分も削られて、「お気持ち」の原文が失われている箇所がふたつある。
具体的には、まず『予言』82-83頁、「冷凍の焼きおにぎり」の歌のあと、
既に八十を超え、幸いに健康であるとは申せ、
この五年でずいぶん首が太くなって今日は朝から雨が降っている
という部分、また、『予言』87頁、「自殺者の多い踏切」の歌のあと、
と考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
閉店間際のクリーニング店に駆けこめばまた片言の小言を言われる
という部分が消去されている。特に後者では「お気持ち」の文意がとおりにくくなっている。この消去も、意図的なものなのか、疑問がある。
ついでなので、「よい島」版の「感情のために」からほかに消去された歌3首を引用しておく。
黒人を走らせるのは卑怯だと祖母が言い母も同調する
(『予言』75頁、「日本がまた」の前から消去)
「人間力」に「コミュニケーション・スキル」というルビの振られた回覧だった
(『予言』82頁、「このドアが」の後から消去)
駅頭にふとできている人だかりをなぜか人の死と決めつける
(『予言』105頁、「不発弾処理」の前から消去)
5首減り、1首増え、ちょうど100首。
ほかに異同はないようにおもう。