相撲部部室に土俵はあるか

 なんの脈絡もないといえばないのだけれども,「過去」と「現在」のことを考えている。そういう感じの文章がふたつちかぢか総合誌と同人誌に載ります。

 

 いまやわたしたちは価値の多元性のなかを生きていて,たとえば人の死を好むひとがいても,そのひとがひとに危害を加えない限りにおいては,そのような趣味嗜好があるということ自体は決して否定することができないし,またしてはいけないとおもう。たとえば野蛮な文化があっても,それをどこまで「人権」の旗印のもとで矯正していいかというと,むずかしい。「平和主義」や「基本的人権の尊重」といった価値観は普遍的であるべきだとわたしたちの多くはおもうけれども,いっぽうで,わたしたちはその普遍的な価値観をみたす限りにおいて価値観の多様性へとひらかれてもいる。

 

 普遍性と,多様性

 

「平和主義」や「基本的人権の尊重」が普遍的な価値観のひとつとして立ち上げられる前はしかし,むしろ,価値観の多様性というのはまだ視野に入っていなかったのだとおもう。「古い誤った価値観」をとにかく排除していくことこそが重要であったのだろう。たとえばそれは「基本的人権」を迫害する種々の差別で,そこにおいてわたしたちは,憎むべきものとして「過去」の「因習」にたちむかっていた。

 ごくごくざっくりといえば儒教道徳のような価値観が普遍的なものとしてかつてあって,そこにおいてはその普遍性を満たすかたちで価値観の多様性が保たれていて,しかし普遍的な価値観が「儒教道徳など」から「平和主義」や「基本的人権の尊重」のような別のものにきりかわると,旧来の価値観で合法とされたものはあたらしい普遍的な価値観を満たさなくなり,まずはそれらが修正されることになり,やがて修正があるていどいきとどくとふたたび価値観の多様性が満たされるようになってくる,という流れを実際の歴史がたどったのかどうかは勉強不足なのでわからない。

 少なくともかつて否定されるべきものとして「過去」の一部の風習はあったし,いまもまたそれらの多くは否定されるべきものとして考えられている。

 価値観の多様性は価値観のアナーキズムではない。

 

「過去」を否定することによってかつてひとびとはその反作用により現在を駆動していった。*1しかし否定されるべき「過去」の存在感がうすまってゆくと反作用はうまく機能しなくなる。また価値観の多様性が,やがてアナーキズムのように捉えられていってしまえば,やはりそのような反作用はあまりうまく機能しなくなってゆく。「過去」への回帰がおこる。

 

「過去」を否定したひとびと,たとえば旧派和歌を否定した正岡子規であったり,俗流アララギ的なものに反発した塚本邦雄であったり,あるいは文語短歌に対する口語短歌であったりは,「過去」にどっぷりとつかった上の世代のひとびとの説得に成功したがゆえに一大勢力を築いたわけではないのだとおもう。そうではなく,「過去」とは異なる新しい価値観を築いた上で,それを自分よりも下の世代にうまく布教することに成功したがゆえに,おおきな勢力となったのではないか。

「過去」の否定によって生じる力は「過去」を変える力ではなく,「過去」とは異なるものを創発する力である,ともいえるかもしれない。

 たとえば穂村弘をみていても布教がとてもうまいとおもう。自分の価値観を「短歌ください」や「ぼくの短歌ノート」などで提示して,それに引かれるひとを,つぎつぎと自分の影響圏においていく(といって結社の師弟制度のように制度的に囲い込むわけではなくて,ただ「おもしろい」という,魅力=Attractive Force=引力によって惹きつける)。

 穂村弘の影響を「時代の風」としてうけた2000年代に学生短歌界隈にいた若い歌人,永井祐,石川美南,堂園昌彦なども,このようなかぎかっこつきの「布教」に,たぶん意識してはいないとおもうけれどとても意欲的なように,彼女たち(彼ら)に「布教」される下の世代の人間としてみていると感じる。べつに特別になにをされているというわけでもあまりないのだけれども。種々の同人誌で活躍していた彼ら(彼女たち)は,下の世代に及ぼす影響力がつよい。先に活躍している彼女たち(彼ら)はあまりにも魅力的にみえ,見上げているうちにひきこまれている。逆に言えば,下の世代に及ぼす影響力がつよいひとほど活躍しているとみなされるような気がする。

 学生短歌会の後輩(その最右翼として「町」や「率」の歌人)やその周辺のひとびとをどんどんと引きつけて,ひとを集めて,環境を変えていく,という引力・環境改変力をおもう。あるいは「学生短歌会」という場はこのような引力が結社以上に発生しやすい場のようにおもう。

 しかし学生短歌会の先輩たちは,正岡子規塚本邦雄のように新しい価値観やあたらしいパラダイムを提示して,その価値観がゆえにひとをひきつけているわけではなく,ただ先輩であるがゆえにひとをひきつけているだけなのかもしれない。後輩はよく見分けないといけない。一緒に注意していきましょう。

 

 んで,わたしよりも若いひとがどんどん増えてくるのだけれども,上の世代ばかり見ているとそんなかんじで引力圏にひきこまれてしまうので(なにしろ上の世代はすごく魅力的なのだ),ほかにも古今東西のできるだけいろんな引力をうけて,ラグランジュ・ポイントにただようように,バランスよく,引力がつりあった無重力状態をなせるようにするとか,あるいは逆に彼ら(彼女たち)の作戦を利用して自分よりも下の世代にいまのうちにめをつけておくといいのかもしれないとおもいました。

 

 以上。

*1:若いころの山田航氏の文章はかなりこの「過去の否定」を志していて,『桜前線開架宣言』ではそのようなとがった感じは弱められているのだけれども,でもその余波はやはり感じられる,というどうでもいい余談。

ふと地球上すべてに閉じ込められる

 以前「誰にもわからない短歌入門」に書いたことなのだけれども,小説と違って,短歌では「登場人物」と「語り手」の違いが意識されることが少ない。

 三人称で書かれた小説を考えると,読者はそこに「登場人物」とは別の「語り手」の存在をどうしても読み取る。「語り手」は「作者」の分身かもしれないし,あるいは「作者」とは無関係で,作中に仮に作られた「神の視点」かもしれない。三人称で書かれた小説ならば,「作者」はまず「語り手」を喋らせ,それによって「登場人物」を操作することになる。また一人称で書かれたフィクションならば「登場人物」と「語り手」は一致するだろうし,一人称のノンフィクションならば「登場人物」と「語り手」と「作者」は基本的にはすべてイコールで結ばれることになる。
 しかし短歌を読む際にはあまり「語り手」が意識されることはない。短歌をしているひとはよく,小説における主人公のようなものを「作中主体」と呼ぶ。多くのひとはたぶん「歌人」が直接「作中主体」を操作していると考えているとおもう。実際には短歌においても視点としての「語り手」(歌い手)のようなものがあり,「作者」(歌人)はまず「歌い手」を生み出して,それから「作中主体」を動かしているはずなのだけれども。

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも
 斎藤茂吉『あらたま』

 この歌には「夕方になって大根の葉に時雨が降っている」という景色があり,それを見ている「作中主体」がいる。そしてそれを歌にした「歌い手」がいる。「歌い手」というのは小説における「語り手」と同じように,目の前のテクストから読者が受けとる想像上の人物像であり,実際にこの歌を作った「作者」「歌人」とは関係がない。*1

 なのだけれども,わたしたちはこれまでそのようには考えてこなかったようである。つまりわたしたちはこれまで「歌い手」と「歌人」を同一視してきたようにおもう。多くのひとはこの歌について,「作中主体」=「歌い手」=「歌人」=斎藤茂吉であると考えてきた。また,この歌の「作中主体」は「歌人」と直結している,とは読まない注意深い読者であっても,「歌人」である斎藤茂吉が「作中主体」について歌っている,というふうに考えて,斎藤茂吉がまずこのような歌を読むであろう「歌い手」という場を作成し,その上でその「歌い手」の場から「作中主体」を動かしている,とは考えてこなかったようである。*2
 このようにして,小説でいう「語り手」の位相,テクストの構造上どうしても要請されるテクスト内部のとある空間に,「歌人」という外部の存在が挿入されることになる。その結果短歌は「私性の文学」になってきたのではないかと考えている。

 

ゆるいゆるい家路の坂の頂上でふと地球上すべてが見える
 永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

「作中主体」というか,「歌い手」というか,の眼がすごくなってしまった歌である。この歌は一人称視点の歌だろうか,それとも三人称視点の歌だろうか。
 この歌が一人称で書かれているとすると,わたしがゆるいゆるい家路の坂を登って,やっと頂上についた,ふう,と一息をついた瞬間に地球上すべてが見えたような気になった,というような歌になるとおもう。上句の描写はだから静的な情景描写ではなく,動的な時間経過を表現していることになる。
 一方でこの歌は三人称で書かれていて,わたしは「神の視点」に近い存在で,この歌の上句は静的な情景であると捉えることもできるかもしれない。「ゆるいゆるい家路の坂」もその「頂上」も「地球上すべて」も視点人物によって一望されているのかもしれない。「ゆるいゆるい家路の坂の頂上にいま人がいて,そのひとはいまふと地球上すべてが見えると考えている」。そのひとが三人称である「神の視点」の側にちょっと溶けてきちゃったから,「神の視点」を部分的に共有してしまって,地球上すべてが見えてしまったのである,と考えるのもおもしろい。

 でも,やっぱりこの後者の解釈には無理があるだろう。三人称ならば「ゆるいゆるい家路の坂の頂上で地球上すべてが見えている」とか,もうすこし突き放した表現になるだろうから,「ふと地球上すべてが見える」はやはり一人称の視点からの描写におもう。
 なのでこの歌はやはり一人称視点の歌だとおもう。そしてそのような「作中主体」=「歌い手」として見えてくる像は,なんというか,永井さん本人には会ったことがないけれど,やはり「歌人」である永井祐っぽい感じがする。あるいはそうなるように永井さんが散文などで「歌い手」の場をつくりだしている,というか。
 永井さんの歌はどれを読んでも,基本的には,見えてくる「歌い手」の像が似ているとおもう。なので連作や歌集で読むとそこにひとりのひとがいることがわかって,多くの歌がひとつの場所に集まってくるようで,なんというか安心する。

カードキー忘れて水を買いに出て僕は世界に閉じ込められる
 木下龍也『つむじ風、ここにあります』

 先に引用した永井さんの歌と同じく,「作中主体」の人物がいて,その人物が「世界全体」という三人称視点でなければ見れないものについて考えをめぐらせている歌である。この歌は一人称視点だろうか,それとも三人称視点だろうか。

 先の歌の「ふと地球上すべてが見える」に比べると「僕は世界に閉じ込められる」は現実的というか,不可能なことを想像しているわけではない。引きこもっているひとが「引きこもっているのではなくこの部屋の外に世界を閉じ込めているのだ」と述べるいうのはどこかで聞いたことのある話だし,別段突拍子のないことが書かれているわけではないのだとおもう。なのだけれども,一人称というには,視点の位置が不思議である。

 カードキーを忘れて水を買いに行きました,外に閉じ込められました,というまさにその渦中にいる,焦っているであろう状態のひとがこういうことを朗々と「歌い出す」というのはあまりうまく想像ができない(ミュージカルとか,演劇ならばありえる)。一人称視点だとすると,この歌が歌われているのが「いつ」なのかがよくわからなくなるのだ。このひとが水を買いに出て,外のほうへ閉じ込められた瞬間,というのはこのひとはまだそのことに気がついていないのだから歌えるはずがない。水を買いに出てからカードキーを忘れていたことに気づいて,あ,しまった,閉じ込められたぞ,とおもった瞬間にこういうことを「歌い出す」というのも,先に述べたようになんだか変である。現実的な状況を考えると,「あ,しまった,閉じ込められたぞ」とおもったと同時に「しめしめ,これは歌になるぞ」とひらめきを得て,それからなんとかして部屋の鍵を開けてもらって部屋にもどって,やれやれ,とおもってベッドに座り,それから当時のことを振り返ってパソコンに向かってこの歌を打ち込んだ,というのがこの歌の「いつ」であるとすればわかる。*3
 となるとこの歌は「僕」の一人称ではなくて,過去の自分という他人=「僕」=「作中主体」がいて,それを俯瞰しているいまの「歌い手」がいて,その視点から描かれているのではないか,と考えたほうがしっくりするようにおもう。さらにまた,「カードキー忘れて水を買いに出て僕は世界に閉じ込められた」と過去形だったら上記の解釈のように「僕」を「歌い手」と別時間の同一人物として考えてよいのだけれども,「閉じ込められる」と現在形で書かれることによって,視点人物である「歌い手」と「作中主体」である「僕」は,微妙に乖離することになる。この歌には「僕」と「歌い手」というふたりの人物が描かれている,といってもいいかもしれない。

 なので「僕」という自称にはほとんど意味が無く,いくらでも代替が可能である。だからたとえば,「カードキー忘れて水を買いに出てきみは世界に閉じ込められる」でも,「カードキー忘れて水を買いに出てジョンは世界に閉じ込められる」でも,歌の構造的な良さにはほとんど影響が出てこない。

 

 木下さんの歌は普通の歌人に比較して,「作中主体」を突き放して俯瞰した,三人称視点で描かれているように印象を受ける歌が多いと感じる。永井さんの歌については「見えてくる「歌い手」の像が似ている」と書いたけれども,木下さんの歌については,少なくとも『つむじ風、ここにあります』については,だから,わたしはあまり「歌い手」の像について印象を抱かなかった。

 一首単位での印象はとても強いのに,連作全体,歌集全体となると,印象がまとまらず逆にぼやけてくるような,そんな歌集が『つむじ風、ここにあります』だった*4。それはひょっとしたら,木下さんの歌が,一首ごとにそれぞれ(かっこいい)(とぼけた)(愛らしい)(おそろしい)「歌い手」を制作しているがために,全体としての「歌い手」の像を読者に結ばせないからなのかもしれない。


 最後に適当なことを書くと,一人称が使われているけれどもほとんど三人称視点の描写になっていて,「歌い手」が「作中主体」を凝視したような構造になっている,という歌がこんごはますます増えてくるのかもしれないとおもう。液晶という「窓」をつうじてインターネットをぼんやりとながめるとき,わたしは登場人物というよりも,登場人物としてのわたしの言動をあやつる「神の視点」にいるような気がする。三人称視点のほうがより実感にあうという世代は,今後ますます増えるとおもう。みんな「窓」の向こう側にいて,こちら側にはだれもいなくなってしまう,ということも「誰にもわからない短歌入門」に書いたつもりなのだけれども。
 終わり。

      あす

まりあまりあ明日あめがふるどんなあめでも 窓に額をあてていようよ

 加藤治郎『昏睡のパラダイス』 

 

*1: 岡井隆がいう「像」というのはこの「歌い手」の像のことだとおもっている。

*2:これは短歌が小説に比べてとても短いこと,また定型を持つ「歌」であること,などに起因するのかもしれないけれどよくわからない

*3:実際の製作の経緯がどうだったとかそういう話ではなく

*4:だれかががどこかで歌人を「一首屹立型」と「連作・歌集型」にわけて木下さんを前者に区分していたような気がする

『関係について』について その1

 生沼義朗さんから歌集『関係について』をご恵贈いただいた。経緯は以下。

 なので何か文章を、軽めのエッセイのような文章を書こうとおもう。

 

 生沼さんにわたしがはじめて会ったのは第一回新宿職安通り大学短歌会という、鈴木ちはね氏がわたしのために開いてくれただれでも参加できる形式の歌会で、そこで生沼さんの歌にわたしが票をいれたことを憶えている。それ以前には第一歌集『水は襤褸に』を帯広市の図書館で読んでいた。当時読みながらとったノートにはたとえばつぎのような(理知的で概念的な)歌がメモされている。

〈了〉という印をはやく打ってくれ、自死などというかたちではなく

しくしくと明日が痛みぬ。概念や解釈にまみれ生きているから

胃袋をウイスキーにて満たしたれば水禽のにおいわが裡に満つ 

ペリカンの死を見届ける予感して水禽園にひとり来ていつ

 生沼義朗(2002)『水は襤褸に』ながらみ書房.

 つぎに生沼さんにお会いしたのは昨年の短歌研究三賞の授賞式のときで、都下のてきとうな居酒屋でひらかれた三次会では生沼さんと中島裕介さんが話すのを、わたしと、新人賞の遠野さんと、あとそのほか数人で囲んで話を聞いていた、のだったとおもうけれどもちがうかもしれない。ほとんどが男性のあつまりであったとおもう。

 ので、というわけではないのだけれども、男性性のことを考えている。

 

 男性性、あるいは「男性らしさ」というものは、ないといえばないし、あるといえばある。いや、やはりないのだとおもう。しかし男性性という機能はいまはまだ実在のものとしてわたしたちの社会ではふるまって(しまって)いる。 

「男性らしさ」が男性たちに本質として内在するからわたしたちはそれについておもうことができる、というよりは、わたしたちがそれについておもうから「男性らしさ」というものがあたかも実在するかのように機能してしまっている、と考えておいたほうがいいような気がするのだけれども、だからそれについて考えるということはそれを補強するということでもあり、男性性のことなんてみんな忘れてしまえばいいのかもしれない、そうすれば100年後にはだれもおもいだせなくなるのかもしれない、とおもう、というか考えている。でも『関係について』を読みながら、そこにわたしはむせかえるような男性性を感じて(しまって)いた。男性性についてだからかんがえようとおもう。

 でも、『関係について』は決して男性主義的な歌集ではない。

 

 人間とは精神である。精神とは何であるか? 精神とは自己である。自己とは何であるか? 自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている、――それで自己とは単なる関係ではなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。*1

 

 なに言っているのかぜんぜんわかんないなとおもって読むのをやめてしまった本が読んだことのある本よりもたぶん多くあって、そのうちのひとつが『死に至る病』なのだけれども、自我(ego)に対して自己(self)には「他者の他者」という側面があるとかつてべつの本で読んだことがあって、引用部はそういうことを言っている文章なのかなあと考えている。だから生沼さんの歌集の『関係について』というタイトルは、「自己について」と読み替えることもできるのかもしれない。

『関係について』は多くのものを描く歌集である。そして多くの「もの」をつうじて得た自己を描く歌集でもある。たとえば『関係について』には電車で長野や富山にむかう際のみちゆきを描いた「信州行」「北流まで」という連作や、ある裁判の傍聴経験に着想を得たらしい「東京地裁四一二号法廷」など、テーマ性・物語性の強い連作がいくつか収録されている。一方でそういったテーマや物語をもたない、日常、生活を描いた歌がおおく収録されていることも『関係について』の特色である。たとえば次に例示するように、食事や飲食物の歌がおおい。

まっしろな牛乳パックに牛乳は満たされており 苦しからずや*2

日常が肥大している。食卓にトマトソースを吸い過ぎのパスタが*3

シーチキンをホワイトソースに入れたれば素性分からぬ食感となる*4

爪楊枝嚙めば嚙むほど木の味がしみだしており木であるゆえに*5

食べてさえいれば死なない、コンビニの商品多くは食い物であり*6

カロリーは偉大なりけりとりあえず食えば少しは淋しさの減る*7

 おおくのものを描くこと。それはどうしても「もの」と自分の関係を描くことであり、つまりはものを描くと同時にそれをみている「自己」を描くことでもある。だから『関係について』にはおおくの「自己」がある。ただしそれは「自我」ではなく、「もの」との関係を通じて、「もの」の側から照射された「自己」である。

「食べる」という行為はとくに「自己」の描写を補完してゆく。食べるということは他なるものを自己にとりこむことであり、食べることを通じてわたしたちは、他なるものにより絶えず自己を補強しつづけている。食べることによって日常や生活は保たれる。引用は省くけれど、『関係について』にはまた「日常」や「生活」といった言葉を直接詠んだ歌もおおい。

  そういえば『死に至る病』とおなじくぜんぜんわからなかった本に『全体性と無限』という本があって、そこでは「食べる」ということについてこんなことが書かれていた。

食べるという活動はとりわけてものにかぶりつくということを含んでいるのだけれども、表象されるにすぎないようないっさいの実在に対して、栄養物となるこの実在の有する剰余が、そのことによってこそ測られる。それは量的な剰余なのではなく、〈私〉という絶対的なはじまりが、〈私ではないもの〉に宙づりにされているしかたなのである。(中略)欲求の充足にあってたしかに、私を基礎づける世界の異邦性はその他性を失うことになる。つまり満腹することで、私が喰らいついていた実在的なものは同化され、他なるもののうちにあった諸力は私の諸力となり、私となる(だから欲求の充足はすべてなんらかの点で、それ自体として糧となるのである)。さらに労働と所有によって、糧の他性もまた〈同〉のうちに組みいれられる。ここで問題となっている関係は、だがどこまでいっても、表象が有する、さきに語った意味での創発性とは根底的にことなっている。ここでは関係が反転しているのだ。(中略)私が生きている世界は、思考と、構成するその自由とに対して、たんに向かいあうものではなく、それとたんに同時的なものなのでもない。世界は思考と自由を条件づけ、それに先行する。私が構成する世界が私を養い、私を浸している。*8

 

 ところで自己をえがくといえば斎藤茂吉の『実相に観入して自然、自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である。』という言葉がおもいだされる。観入すること、つまり「見ること」が写生の基本的な方法だった。言い換えれば、「見ること」をつうじて自然と自己を関係させることが写生の方法だったのだとおもう。「食べること」もまた自然と自己とを関係させる行為である。また「食べること」について『全体性と無限』ではこんなことも書かれていた。

 私たちがそれによって生き、それを享受するものは、そのような生それ自体とは混同されない。私はパンを食べ、音楽を聴き、じぶんの考えの流れをたどる。私がじぶんの生を生きているとしても、私が生きている生と、その生を生きるという事実そのものは、それでもなおべつのことがらである。(中略)生がその内容に関係するしかたである享受は、志向性のひとつの形式なのではないだろうか。その語のフッサール的な意味でとらえられ、人間存在の普遍的な事実としてかなりひろい意味で受けとられた志向性の一形式なのではないか。*9

「食べること」も「見ること」もともに志向することであり、関係することである。あるいはだから、「食べること」も「見ること」もひとしく「観入すること」であると言っていいのかもしれない。そしてだからそれは「写生」へと通じるのだろう。

 

「写生」の話がでたので、すこし話をそらして、短歌をつくるとはどういうことかについて考える。

 わたしたちは短歌をつくることを「詠む」という。「詠む」は「読む」と同じ音を持つけれど、「詠む」と「読む」の語源にはともに数を数えるという行為があったという。readの語源もまた、さかのぼると「計算する」とか「推論する」という意味にたどりつくという。文字が生まれるまえですら、わたしたちは数を数えることですでに世界を「よんで」いたらしい。「読む」とは、いまあなたがこの文章を読んでいるように目の前の文字情報を解釈するということのみならず、もっとひろく目の前のことを「考える」ことであったのかもしれない。

 このとき、わたしたちは「目の前」というものを前提にしている。つまりここでは「目が見える」ことが前提されている。点字を読む場合でも、わたしたちは目の前のものに意識をむかわせていることに変わりはない。つまりわたしたちは「よむ」さいに目の前のものを志向している。「よむ」は前提として、「よむ」対象となるものが志向可能なものであることを必要とする。だから写生は短歌と相性がよいのかもしれない。「よむ」ために観入することが必要なのである。

 一方で、短歌は歌であり、わたしたちは短歌を「詠う」こともできる。「歌」の語源は「うたた」という言葉にいまものこる、ある種の「トランス状態=うた状態」だったのではないか、と国文学者の藤井貞和はのべていた。だとしたら、目が見えなくても、意識がなくてもわたしたちはうたうことができるはずだ。世界にもしわたし以外なにもなかったらわたしたちは世界を「よむ」ことはできないが、しかしわたしたちはそれでも「うたう」ことができる。志向性がなくても歌はうたえる(しかしあるいはそうではなく、自我が自我にどこまでも観入することが「うたう」ことなのかという気もする)。

 

 短歌をつくるにはどうもふたつの方法があるのではないか。

 ひとつは主体の志向性にもとづき、目の前のものを「よむ」という方法である。このとき志向性は多くの場合、「写生」に代表される「見ること」として発露する。また「よむ」ことはときには「心を読む」「先を読む」という言葉であらわされるような、目には見えない者に対する、理性によるはたらきかけでもあるだろう。

 一方に「うたう」という方法がある。たとえば古代のシャーマンが、巫女がその呪術の場においてうたったように。ここにあるのは理性のはたらきよりもむしろ情動のはたらきなのではないか。

 そしてこのような二分法を採用したとき、わたしたちの多くはなぜか前者に、おかしなことに、男性性をつよく感じてしまう。『関係について』は前者の「よむこと」に大きく比重を置いている歌集にわたしはおもう。そしてだから男性性をつよく『関係について』にわたしは覚えたのではないか、ともおもう。

冷やし中華の酢にむせる日は理と情のバランスはつか崩れておりぬ*10

情報の情とは何ぞ 水に落ちし犬いっせいに撲られており*11

 

 ところで以前黒瀬珂瀾歌集『蓮喰ひ人の日記』についてTwitterにこんな投稿をしたことがある。

 「情報」というのは不思議な言葉で、それはたぶん字義通りには「情けを報じる」と書き下すことができるのだけれども、いっぽうでわたしたちの多くはたとえば「情報化社会」というと機械的・理性的な社会という印象を受ける。このギャップはとても興味深いとおもう。「情」は報道によって「情報」という理性的なものに変化するのかもしれない。それで、わたしたちは普段多くの情報を目にする=読む。世界を情報として目にするとき、わたしたちは世界をその外部から監視している(ような錯覚を得る)。このとき、全展望監視システムのように、見るということは権力となる。またわたしたち一般市民の「情動」は、情報として報じられたとき、報道の暴力的なちからによって権力の前へさらされる。

 このように「読む」ことは権力である。一方で、報道されひろく読まれることが権力となる場合もある。たとえば権力者は報道によって自らの権力をひろく誇示するし、テレビやYoutubeにうつるアイドルたちは、歌を「うた」って、自らが情報として拡散されてゆくことで多くの信者を獲得してゆく。

 このようにして、「よむこと」も「うたうこと」もともに権力の行為となる。「よむこと」の権力は男性の権力であり「うたうこと」の権力は女性の権力である、と断言することはたとえ比喩的なつかいかたであっても間違っているのだけれども、でもこのような言説にいまの社会はまだ説得力をもたせてしまうかもしれない、ともおもう。

 黒瀬珂瀾氏は生沼さんと同世代の、吉田隼人氏は生沼さんより下の世代の歌人であり、そのそれぞれに「読む」ことに優れた能力をもっているひとである。そしてふたりの歌集にわたしは、それぞれ独自の在り方の、やはり男性性をおぼえる。黒瀬珂瀾―生沼義朗―吉田隼人、という一連の歌人たちの営為は、このように「読むこと」と「情報」と「権力」と「見ること」をめぐる問題圏にひきつけて読むことができるのかもしれない、とおもう。

 

 

『関係について』を書くはずが余談がおおくなってしまって歌にはほとんどふれられなかったので、今回の記事はその1として、学振の書類がちゃんと書けたら4月中にはその2としてもうすこしちゃんとした読みを書きたいなとおもいます。

 

関係について

関係について

 

 

水は襤褸に―生沼義朗歌集

水は襤褸に―生沼義朗歌集

 

 

死に至る病 (岩波文庫)

死に至る病 (岩波文庫)

 

 

全体性と無限 (上) (岩波文庫)

全体性と無限 (上) (岩波文庫)

 

  

蓮喰ひ人の日記

蓮喰ひ人の日記

 

 

空庭

空庭

 

 

忘却のための試論 Un essai pour l'oubli (現代歌人シリーズ9)

忘却のための試論 Un essai pour l'oubli (現代歌人シリーズ9)

 

 

*1:キェルケゴール著,斎藤信治訳(1939一刷:2010改版)『死に至る病岩波文庫,p.22.

*2:「クララは歩く」『関係について』p.11

*3:「誇りと平和」同p.19

*4:「竹に花」同p.69

*5:「何川」同p.130

*6:「関門」同p.158

*7:「物語」同p.190

*8:レヴィナス著,熊野純彦訳(2005)『全体性と無限(上)』岩波文庫,p.253-254.(原文傍点部に下線を付した)

*9:『全体性と無限(上)』岩波文庫,p.237-238.

*10:「塩にまで小蝿」『関係について』p.24

*11:「何川」同p.131(詞書:ライブドア事件報道)

所感 of 「「「「批評ニューウェーブ」への疑問」への疑問」への疑問」について

【背景】

1.「批評ニューウェーブ」への疑問 | 塔短歌会

2.「「批評ニューウェーブ」への疑問」への疑問(久真八志さん)

3.「「「批評ニューウェーブ」への疑問」への疑問」への疑問(三上春海さん)

4.「「「「批評ニューウェーブ」への疑問」への疑問」への疑問」について(久真八志さん)

 

【整理】 

 短歌の批評において「判断」あるいは「主観」が重要になるという点では久真さん,大森さん,三上さんの三人で認識が一致している。

 久真さんは大森さんの時評について,『「数字やデータから読み取れることを抽出・分析する」批評を何の留保もなく「透明」そして「客観的」と言い切った点』を問題視している。

 

【所感】 

 久真さんは大森さんの批評から『「数字やデータから読み取れることを抽出・分析する」批評を何の留保もなく「透明」そして「客観的」と言い切った点』という問題を見出しているけれども,このように言い切ることができるかどうか,わたしにはうまく判断がつかない,というのは,大森さんは時評のなかで計量的分析などデータに基づく批評について『①印象批評を抑制し、ある程度客観的な議論をするためのインフラになる』という一文を書いている(東京新聞に掲載された山田さんの時評をいま参照できないためこれが山田さんの時評からの引用なのか,大森さんによる要約なのかはわからない)(強調は引用者)。データに基づく批評について大森さんは少なくともこの部分では,「ある程度客観的」という留保をおいているようである。

『「透明」そして「客観的」』(久真さん)の「透明」のほうにふれるまえに時評をすこし読み進めると,山田さんの時評にふれたあとで大森さんは,『私たちが目指すべきなのは、本当に客観的な批評なのだろうか。』と書いて,議論の方向を「これまで書かれた評論の評価」ではなくて,「これから書かれるべき評論とはなにか」という,未来の方向へと向ける。だからここから先の大森さんの評論で考えられるのは「いまある」ものではなくて「ありうべき」(いまだない)評論についての思索であると考えたほうがよい(より建設的である)ようにわたしはおもう。このとき,これ以降で試みられるのは思考実験である,と考えることができる。であるからこそ,『歌をほとんど引用することなく、数字やデータから読み取れることを抽出・分析するという批評の後ろには誰がいるのだろうか。そういった言わば透明な批評ばかりでは、案外つまらなくないだろうか。』で考えられている「透明な批評」というのは,具体的なだれかの批評を指しているのではなく,議論のために仮構された想像的な対象となる。つまり,大森さんは可能的なものとしての「主観的な批評」と「客観的な批評」を想定して,このふたつを比較していく,という議論をしているのではないだろうか。

 そのうえで大森さんはこの時評のなかで批評における「主観」への期待を書く。*1。そして,久真さんが述べているように,計量的分析の結果に基づいた批評にもまた「解釈」「分析」「判断」という「主観」がある。大森さんの論旨に従うのであれば,計量的分析に基づいた批評において現れるこのような「主観」もまた,その精度によっては肯定されなければならない。三上さんは大森さんの時評について『計量分析をしたあとでの「解釈」の重要性を述べている』と書いていたけれども,大森さんによる「主観」への期待は,「計量的分析」のあとで行われる主観的な「解釈」にもまた期待を寄せているはずである(あるいは,寄せなければならない)。

 そしてまた,大森さんは現実にいまある「データに基づく批評」について『ある程度客観的』と留保していたけれども,私たちは可能なものとして,思考実験においては,「主観のみで書かれた批評」と「客観のみで書かれた批評」という極端なものを想像することができる。大森さんがこの時評のなかで未来方向についてほのめかす客観的な批評にたいする危惧は,計量的分析などを用いて現在行われている批評に対するものというよりは,この可能なものとしての「客観のみで書かれた批評」への危惧ととらえるべきだと考える*2(なぜならば,現在行われているデータに基づく批評には「解釈」という名の「主観」が含まれていて,大森さんの論理ではそれを全否定することはできないのだから)。

 あるいは,このようにテクストを読み替えて行くことでより建設的な議論が可能となる。

 

 大森さんが計量的分析・データに基づく批評を「客観のみで書かれた批評」と捉えているかどうかは実のところ確定はできないけれども,もしこのような誤解が(大森さんにかぎらずほかのあらゆる可能的な他者のうちに)あるとして,計量的分析を愛するわたしたちがするべきことは,そこにある誤解を建設的に解いていくことである。

 

 なお,『歌をほとんど引用することなく、数字やデータから読み取れることを抽出・分析するという批評の後ろには誰がいるのだろうか。そういった言わば透明な批評ばかりでは、案外つまらなくないだろうか。』(大森)という一文について,ここでいう「批評の後ろ」にいる「誰か」というのは,岡井隆は短歌の「作品の背後」に「顔」が見えるということが〈私性〉だと書いていたけれども,このような意味での「作者の像」であるようにおもわれる。たとえば「1+1=2」というこの客観的な一文に対し,私たちはその背後に「作者の像」を見出すことができない。同様に,ただ統計データをまとめただけであり「分析」や「判断」のない,可能なものとしての「客観のみで書かれた批評」にもまた,わたしたちはおおくの場合「作者の像」を見出すことができない。このとき「批評の後ろ」には誰もいない,と比喩的にいうことができる。

 しかし,私たちがすでに確認しているように,現実にある計量的分析を用いた批評には「主観」が関わっていて,その「後ろ」には「作者の像」がたしかに存在する。

*1:「主観」への期待については『塔』2015年8月号の時評水仙と盗聴(一) 読みの問題 | 塔短歌会にも書かれている

*2:そしてこれは,例えば統計学の教科書ではたいてい序論的な部分においてただソフトウェアにデータをいれて結果を手にするだけではだめで,人間による「分析」が重要である,という指摘がなされることを踏まえれば,至極まともな指摘であるようにおもう

毎日がケーキ

 先日、第三十三回現代短歌評論賞という由緒ただしき賞をさずかりました。ありがとうございました。じょーねつというひとには「かみはるには評論は向かない」とずっと言われていて、たしかに私は評論のような線的な文章を書くのが苦手でなかなか苦労して、なんとかふつうに読める文章を書くように(擬態しながら、というきもちで)書くようなかたちで書いたものでしたが賞をいただけるという栄誉に浴し、うれしいというきもちと、安心したというきもちと、これからは死ぬまで「あの現代短歌評論賞の……」というまくらことばがわたしじしんにはつくわけで、であるからこそ、賞の名にはじない立派なじんぶつにならなくてはなあとおもうしだいであります。

 

 受賞論文は「歌とテクストの相克」といい、書きたいことがおおくあり道がそれそうになるのを、無理に線的になるようにカットカットしながら書いた結果選考会では『論としての基本の部分がきちっとシンプルにできていて』(佐佐木幸綱)よいというふうに言ってもらえたのでよかったなとおもいます。それで、その論文についてはでもわかりにくい部分や、インターネット上の反応をみて、伝わっていないかもしれないとおもう部分、それから、それから考えたことなどがあるので(こういう雑文を総合誌上に載せてもらえるとはおもえないし、またこういう雑文をすきこのんで載せてくれる電子メディアもないとおもうので)日記に書いてみたいとおもいました。

 

 まず、「歌とテクストの相克」ということで短歌には「テクスト」と「歌」というふたつの側面があり、*1「テクスト」はそれ自体で存在するものであるのに対し、「歌」は「身体」があってはじめて可能になるものである、という問題があります。言い換えれば、「テクスト」はバベルの図書館におさめられていて、過去、未来に通じて常に存在する(ときには「不在」というかたちで存在する。まだ書かれていない小説は「不在」というかたちでここにある)遍時間的な存在であるわけですが、一方で「歌」ははじまりがあって終わりがあり、一定の時間的な幅のなかにしか存在できない。これは「テクスト」はそれ自体が「文体」という「身体」をもつ「主体」であるのに対し「歌」はそれ自体は身体をもたない、物質ではない、「歌」は時間的な現象である、ということに由来するのだとおもいます。

 

 それで、コーヒーを飲んでしまってねむれないので続きを書きます。

 

 たとえばわたしのツイッタ―があって、ツイッタ―でわたしは毎日おおくのひとの発言を目にするわけですが、それが「人」である保証はなんだろう。「人」は「人体」を持っていて、わたしたちは「人体」が動いていれば「人」が生きているのだと感じるわけですが、「文」は同じく「文体」をもち、というよりも「人体」をもたない「人」というのが単なる概念であるというのと同じ意味で「文体」をもたない「文」というのは概念であるわけですが、ツイッタ―上で、わたしは日々「文体」がつぎつぎと生起することを目にしています。ぎゃくにいえば、学校で、職場で、街角で出会うということは「人体」が生起するという体験です。わたしたちは生起する「人体」を目にしてそのむこうに「人」という主体がそこにある、つまりその「人体」が生きていることをおもうわけですが、同様にしてツイッタ―上ではまず「文体」を前にして「文」をおもいます。個々の「文」が主体として立ち現れます。そしてその「文」を思考している存在者として「人」へと考えをのばします。「人」が複数の「文」をたばねていて、複数の「文」の束、すなわち複数の投稿がその「人」のリアリティを担保しているのではないのかなあということを最近は考えています。目の前のひとが死ぬということは「人体」が運動をやめ、分子生物学的に言えば動的な平衡状態がやぶれて、「人体」の生起がとまり、「人体」がひとつの物質に固着してしまうということですが、「人」が死んで投稿がとまってしまったツイッタ―上では「人体」のかわりに「文体」の生起がとまるわけです。

 なにがいいたいかというと、「文」も「人」もともに「主体」としては等価であるということがいいたいわけですが*2、これについてはのちのちもうすこしわかりやすく解きほぐす必要があるとおもいます。

 

 で、「テクスト論」が必要になる、つまり「作者の死」や「主体の死」が必要になるのはなぜなのかといえば「主体」というものがある種の幻想だからであるわけだととりあえずは簡略化していうことができるのではないのかなとおもいます。構造主義の時代であれば「構造」こそが「主体」を生み出すものであり、まずは「構造」が先にあって、それから「主体」がたちあらわれる、というような議論の筋になって、先に「主体」があり「主体」がみずからの主観性をもとにして世界を構築していく、「主体」がすべて、というのは近代に生み出された幻想である、というのが現代思想のキーポイントかなとおもいます。ここでたとえば世界の規定に「言語」を置くのであればまずは「言語」が存在し、「言語」によって「主体」がつくりあげられる、というような話の筋になる。そしてこのような認識はおおむね正しいのだとおもいます。

 で。現象学の立場でいうと世界の規定にあるのは「超越論的主観性」というものになるそうですが、これはデカルトのいう「われおもうゆえにわれあり」の「われ」というよりは、「おもう」の作用に近しいそうです*3。「超越論的主観性」は場合によっては「間主観性」ともいうことができ、まずはなにかを「おもう」作用をすることのできる「場」が存在し、「場」は「間主観的な場」、すなわち他者の存在を前提として成り立っている「場」であって、その「場」においてのちのちに経験の束のようなものとして「主観性」が立ち上げられてくる、ということになるかとおもいます。ここで重要なのは「主観性」がたちあがるまえには「他者」の存在がすでにあるということです。まず「われ」がいるのではなく、まずは「あなたたち」がいる。「われ」よりも「あなたたち」が先だつ。

 

 テクスト論以前においては「作品」は「作者」の身体の延長みたいなもので「作者」の意図をよみとくことがすなわち「作品」を読み解くことだったわけですが、テクスト論は「作品」を「作者」から切り離して考えます。するとどうなるか。「作品」はそれ自体が世界のなかの「主体」*4となり、「作者」と並列して存在することになります。そのときに作品を読むということはどういう経験になるでしょうか。狭義のテクスト論者ならば「作者」の伝記的情報にふれて作品を読むということはご法度になるかとおもいますが、しかし「作者」も「作品」と等価の存在であるならば、それらを切り離して読むこともできるけれど、切り離さないで読むこともできるわけです。「文」と「人」を切り離すことのむずかしさを先に述べましたが、「文」が「人」であるというのと同じ意味で、「人」はまた「文」のような存在であり、「作者」と「作品」はそれぞれ「文」と「文」として相互に参照しあいます。ここにおいてついに「間テクスト性」と呼ばれる概念が参照されます。テクストをそれ自体で単離して*5客観的に扱えるようにするのが狭義のテクスト論であるとするならば、「でもテクストとテクストのあいだには相互に参照があって単離をするのは現実に即さないんじゃないか」と考えるのが「間テクスト性」の思想であるとわたしはいま現在考えているわけですが*6、このとき「作者」は「作品」とは無関係の「文」のひとつとして、「テクスト論」の範疇内で扱えるものになります。

 そして「作品」と「作者」の結びつきを論じることができるわけですがそこにおいて主題となるのは「作者」ではなく「読者」の問題であり、テクスト論である以上「読み」こそが重要になります。テクスト論以前の批評が「作者論」であるとするならばやはりここにおいては「読者論」に力点が置かれるわけです。

 

 それで、短歌のはなしに戻ると「歌とテクストの相克」は「歌」と「テクスト」のふたつがあって短歌においては「歌」のほうが大事だよね、と述べようとした論文ではまったくなく、「歌」と「テクスト」の相克を乗り越えて「歌でありかつテクストである」ものを読むことのできるテクスト論的な視座を提供したい、という動機のもとで書かれた論文でした。もちろんそれが本文のなかで書ききれているかというとそうはいえないわけですが。それでも、本文に書いたように重要なのは「テクスト」でありかつ「歌」であるという短歌について『この矛盾を前提として引き受け』ていくことだというのが著者のかわりない立場であるということについては(読者論に力点がおかれる、と述べておいてなんですが)述べさせておいていただけたらなあとおもいます。

 

 さてこそ「歌とテクストの相克」の本文にもどると本郷短歌会の服部恵典さんというとてもすぐれたひとがいて、服部さんにツイッタ―ですこし声をかけてみたら「歌とテクストの相克」にたいする批判をブログに書いてくれてとてもありがたいとおもっていて(ブスは天寿を全うできる : 三上春海「歌とテクストの相克」への批判)、ちゃんとした返答はこんな混沌とした記事ではなくて別にまとめて書いたほうがいいなあ、それでその服部さんによる批判にたいしてすこし返答を書いてみたいなとかんがえています(そもそもはこれが書きたかったのだった)。

 服部さんは上のブログのなかで『「作者の死」を論じたことで有名なロラン・バルトを引きながら、「作者に関する情報なしでテクストのみを与えられたとき、私たちはときにテクストの文体から、作者のパーソナリティについて想像を働かせてしまう」と述べるのは相当危うい論理です。』と書いているわけですがここについてはほとんど同意できる部分はないかなあ、とおもいます。まずロラン・バルトの『テクストは人間の形をしている。それは顔だろうか。肉体のアナグラムだろうか。そうだ。ただし、エロティックな肉体のアナグラムだ』という言葉をわたしは「歌とテクストの相克」のなかに引用したわけですが、ここと服部さんの引用部分はたぶん論理的にはつながっていない部分です。『作者に関する情報なしでテクストのみを与えられたとき、私たちはときにテクストの文体から、作者のパーソナリティについて想像を働かせてしまう』という部分についてはロラン・バルトとは関係なく、一般論として読んでみるといい部分ではないかなあとおもいます。そしてそのうえで、「文体」を「主体」にするのと同じように(先に書いたように)「作者」をまた「文」に還元しまえば(というか還元することができるので)、ロラン・バルトの「作者の死」と「文体からパーソナリティについて創造を働かせてしまう」ことについてはちゃんと共存します。

 そう、わたしは服部さんのことをほとんど「文」を通してしか知らないし、服部さんもまたわたしのことをほとんど「文」を通してしか知りません。わたしは服部さんという「作者」をツイッタ―や評論などの「文」の集積としてイメージしていますし、肉体もまた記号の一種でしかないのかもしれません。であればこそ、「作者の死」を経たうえでなお、「文体」から「作者という文」へと橋渡しがおこなわれることは可能です。

 

『結局この評論は、なぜ短歌の読者が「文体の歌声」を「作者の歌声」として聞いてしまうのかということ、すなわち「誰かの歌声が聞こえたとき、私たちはその歌声の向こう側に、それを歌った人間がたったひとり存在することをおもってしまう」というときの「たったひとり」を「作中主体」ではなく「作者」として想像してしまう力学を、明らかにできていないように思います。』

 という批判については正しいとおもいます。この評論のなかでは「文体の歌声」が「作者の歌声」として読者に読まれてしまうメカニズムについては触れることができていません。この点については論文を投稿してのち、かんがえている部分でした。

 ひとついえることとして、これはツイッタ―に書いたことですが、小説には小説のなかに「主人公」がいてさらに「語り手」という位相もまた存在します。一人称の小説では「主人公」は「語り手」と一致するし、三人称の小説では多くの場合一致しません。この「語り手」がいるからこそ「主人公」をめぐるこの物語はだれにも語られずに消え失せるということをまぬかれてこうしてここに小説として存在するのだ(もちろん実際には「作者」がその小説を書いたから存在するのだけれども)、という担保のようなものが「語り手」の想定によって行われます。そして「語り手」はまたときによって小説の外部にいる「作者」と一致したり、一致しなかったりします。この「作者」という役割はまた(読者は直接出会うことのできない)「生活者」によって担われています。「主人公」「語り手」「作者」「生活者」という四つの異なる位相があり、これらは一致したりしなかったりする。そしてときに小説の外部の存在である「作者」が「語り手」や「主人公」として小説の内部に出張してこようとする。

 この四つの区分をまた短歌に適用していると、短歌において、歌のなかの「作中主体」、さらにその作中主体の状況を作中で歌っている「歌い手」、作品の外部存在である「歌人」「生活者」という四つの位相が想定されてしかるべきです。ですが短歌においては、おそらくその詩形の短さゆえに読者の読みがそこまで深くなる必然性がないため、「歌い手」という位相についてはふつう想定されることがありません。多くの場合わたしたちは「歌人」が「歌い手」を生み出して「歌い手」が57577の韻律にのせて「作中主体」のことを歌っている、というまわりくどい読み方をするのではなくて、「歌人」が57577の韻律にのせて「作中主体」のことを歌っている、と考えます。このとき、「歌」はまずは「作品」の内部において歌われてしかるべきものであるはずですが、「作品」の外部の存在であるはずだった「歌人」が「歌い手」として「作品」の内部まで踏み込んでくる、という越境のような状況が生じます。これこそが『なぜ短歌の読者が「文体の歌声」を「作者の歌声」として聞いてしまうのか』の答えではないかな、といまは考えています。

 しかし、このとき読者が読もうとするのは「文体の歌声」なのか「作中主体の歌声」なのか「歌い手の歌声」なのか「歌人の歌声」なのか、というのはどう考えればいいのでしょう。「文体の歌声」というのはしいていうなれば「歌い手の歌声」に近いもので、でも「歌い手」というものをわたしたちは考えることがなかったのでそれについて言及することがこれまでできず、このため「歌い手の歌声」はときによって「作中主体の歌声」に分配されたり「歌人の歌声」に分配されたりしてきた、という風にはいえるのでしょうか。やっぱり違うかもしれない。「文体の歌声」はもうすこしこう全体をおおうフィルムのようなものなのかもしれない。もうすこし考えてみます。

 

 「文体」という概念をわたしがまだ扱い切れていない感じがのこります。ですが、服部さんのもうひとつの指摘についても書いておきます。

『年が若くなるにつれ(時が経つにつれ)、作者=作中主体という等式が成り立たないということと、「共同体の声/個体の声」の議論は、どう整合的に繋がるんでしょうか。』

 まずこのふたつはそれぞれ別々の現象だとわたしは考えます。「作者」と「作中主体」を切り離すのは狭義のテクスト論の影響であるのに対し、「共同体の声/個体の声」の話はテクスト論とは直接には関係する話ではないと考えます。服部さんが()で補足されているようにテクスト論的な考え方をあたりまえに大学などでおそわるようになった近年において*7作者=作中主体という等式があまり前提されなくなったのであり、年齢の若さというよりも時代背景の違いのせいでしょう。

「共同体の声/個体の声」についてもやはり時代背景の違いのせいと考えられますが、ここで「文体」という概念について考えると、そもそも「文体」には「近代文語文体」とか「現代口語文体」とか呼ばれる「共同体の文体」という側面と「谷崎潤一郎の文体」とか「大江健三郎の文体」とか呼ばれる「個人の文体」という側面があります。そして万葉調とかアララギ調とか「共同体の文体」をトレースすることが自分独自の表現をするよりも重要だ、という時代がたしかにあった(もちろん斉藤茂吉の文体などは「個体の文体」としても卓越しているわけですが)。

 一方で近年は短歌に関してこのような「規範的な文体」をおもい浮かべることができません。わたしたちはそれぞれにあたらしい文体を考えるしかない。わたしたちには「個体の声」しかない。

 以上のように、このふたつはそれぞれ別々の時代背景をうけての変化であるとおもうのですが、どうでしょうか。

 でも。「文体」の話をここで「声」の話として拡張すると「文体」が「作者」と「作中主体」の問題にもなってくるわけですね。わたしの論文はそういう論文でした。やはり「文体の歌声」というのは「作中主体の歌声」「歌人の歌声」「歌い手の歌声」とは別の現象であるようにおもいます。おもいなおしました。「作中主体」とか「歌い手」とかいうのは短歌の「意味」のなかに含まれたものなわけですが、一方で「文体」というのは意味を背負わされたその「外装」のようなものなのだとおおいます。そしてその「外装」自体が音声を発することができる。だから「近代文語文体の声」のようなものもある。それが(底流として)斉藤茂吉の短歌や佐藤佐太郎の短歌においてそれぞれ「斉藤茂吉の声」「佐藤佐太郎の声」(あるいはその作中主体、歌い手の声)にハモる。しかし読者はときにその「文体の声」を「作中主体の声」や「作者の声」だとおもってしまう、という考え方はどうだろう……? とにかく、「作者」=「作中主体」であろうとも、たとえそうでなかろうとも、「文体」は声を発します。わたしたちはその「文体」の声の新規性をあらそうしかないのだろうか?

 

 やっぱりこれは読みにくいとおもうのでもうすこし考えてからわかりやすく書き直します。服部さんごめんなさい。みなさんおつかれさまでした。いま一時間半くらいかけてがーっと一発書きでここまで全部をうちこんでそろそろ文字数が8000字に達しようかというところなんですがここに書いたことはすべてただのアイデアスケッチであって、ここに書いたことをどこかに引用して論じるのは勝手ですが、そしてもし倫理的な瑕疵などがあれば可能な限り対応したいとおもいますが、しかしここに書いた暫定的な仮説をわたしの「意見」だとして応答をもとめるむきに対してはたぶん返答しないとおもうのでどうぞよろしくお願いします。ちゃんと書き直します。

 

 ケーキ。おいしい。おやすみなさい。

*1:なおこれを「ロゴス」と「パロール」といいなおせば哲学上でなんどもなんども繰り返しかたられた問題であり、マクルーハンの「視覚的空間」と「聴覚的空間」の問題にも通じ、『〈声〉とテクストの射程』というまさにそのものを扱った論文集なども出版されていて、かつ、さいきんではアガンベンという哲学者が「声」について積極的な発言をしているそうですが、このあたりのことについてはまだあまりうまく調べられていないので割愛

*2:「文は人なり」という言葉があるそうです

*3:斉藤慶典さんがデカルトの本でこういうことを書いていたかとおもうのですが記憶があいまいなので調べなおします

*4:「客体」ではないのか?。要検討

*5:このような考え方の根底にはガリレオ・ニュートン的な古典力学がモデルとしてあるのだとおもいます

*6:ちょうど古典力学に対する複雑系の科学のようが「狭義のテクスト論」に対する「間テクスト性のテクスト論」になります

*7:穂村さんがどこかで「作者と作品は切り離して読むもの」と大学で教わった、と書かれていました

もしも明日あのひとが崩御をしたらぼくたちはどのようなツイートをするだろうか

 記事タイトルは最近真剣に悩んでいることなんですが(だれかたすけてください)それとは関係なく短歌の連作について文章を書きます。

 

瀬戸夏子「巻頭言」について

 瀬戸夏子(1985~)は『そのなかに心臓をつくって住みなさい』という歌集を出している天才なのだけれども、彼(女)が所属している同人誌『率』の第7号(2014.11.24)は、「〈前衛短歌〉再考」という題の特集を組んでいて、その巻頭言でこんなことを彼(女)は書く。

 短歌を短歌たらしめたもの。

 それは連作という手法だ。

 うたの語彙の共同体がうしなわれ、一首を屹立させることはむずかしくなった。そこで、連作が生まれた。連作ならばプロフィール紹介ができる。地の歌がうまれた。確定された〈わたくし〉から発せられる声を信じることによって、自分以外の他の〈自我〉、そしてその歌を理解することができるという幻想。私は連作形式そのものを全否定しているわけではない。けれど斎藤茂吉の「母を恋ふる歌」以降、ごくごく少数の例外をのぞき、〈前衛短歌〉を経て〈ニューウェーブ短歌〉の穂村弘にいたるまで、連作自体が語りつがれているケースはほとんどない。

(瀬戸夏子「巻頭言」『率7』(2014.11.24)、もしくは

特集「<前衛短歌>再考」巻頭言/瀬戸夏子 - Privatter

 おりしもちょうどその夏にわたしは学生短歌会の合同合宿でさきがけて「連作の歴史」というものについて発表をする機会があり、このあたりの事情について調べていたため、瀬戸さんの文章を読んで、ああ、同じことを考えている人がいる、と、感動した。原文を読んでもらったほうがもちろんいいのだけれども、瀬戸さんの「巻頭言」の論から、わたしの議論に用いたいことを持ってきて、次のようにまとめてみる。

 短歌は革新的だ。

 短歌は短歌として成立した時点ですでに革新的だったのである。

(瀬戸夏子「巻頭言」『率7』(2014.11.24))

 短歌という形式それ自体が言うなれば〈革新的〉なものだった。しかし、〈近代短歌〉において、この〈革新性〉は見失われる。「写生」と「連作」。このふたつを軸とした、アララギ、特に土屋文明(1890~1990)を中心におくながれによって、〈自我〉の詩としての〈近代短歌〉が生まれた。その結果、短歌の〈革新性〉は見失われた。

 ここからは瀬戸さんの書いていないところなのだけれども、〈前衛短歌〉は「写生」と「連作」のうち「写生」を否定することにはいちおう成功したが、「連作」を否定することには成功しなかった。そればかりか、いまだに、あちこちの媒体で、「連作」は作られ続けている。総合誌で。新人賞で。結社誌で。自らがいちばん新しいと信じる(であろう)若い人たちの同人誌においてすら、「連作」はつくられつづけている。つまり、〈近代短歌〉はまだ生きている。

 「連作」をつづける限り〈近代短歌〉は終わらないし、〈近代短歌〉が終わるときには「連作」も終わるよ、ということについて次節以降に書きます。

 

〈近代短歌〉と連作のながすぎる蜜月

 かつて、明治時代、和歌は旧派と新派のふたつにわかれていた。このうちの新派が「写生」と「連作」というふたつの武器を得て、〈自我〉の詩としての〈近代短歌〉になっていく。〈近代短歌〉について穂村弘(1962~)はこんなことを書く。

 近代以降の短歌は基本的に、短歌の中の作中主体は作者なんだという思い込みが非常に強いジャンルなんです。(中略) それを明治時代に最初にやった人は画期的なアイディアマンで、具体的には正岡子規ですね。どういうアイディアかというと、短歌というのは一首一首を積み重ねることによって、一生をかけてひとりの人がひとつの人生の物語を書くジャンルなんだ、ということ。(中略) そのコンセプトで行くと、歌人はみんなひとつしか作品が書けない。

穂村弘「文庫版スペシャル・インタビュー 爆弾のゆくえ」『短歌という爆弾』(2013.11.11,小学館文庫)

 ここで言われていることは、短歌の積み重ねが連作をなし、歌集をなし、全歌集をなし、そのことで〈自我〉にもとづく「人生の物語」が完成する、それが歌人の唯一の作品である、という仕組みである。そしてこの仕組みを発明したのが〈近代短歌〉だった。ここで〈自我〉の補強のためにもちいられているのが、「連作」であり、「歌集」である。

 「連作」という制度の再発明*1はある意味では「写生」の発明以上に重要だったかもしれない。尾上柴舟(1876~1957)という人は「短歌滅亡私論」という文章を書いたのだけれども、そのなかで彼(女)は、「連作」によって従来の短歌は滅亡した、ということを書いている*2。このことを受けて岡井隆(1928~)は次のように書く。

 たしかに、一首独立を大前提とする古典和歌や、旧派の和歌を唯一のあり方とみとめるなら、和歌は連作によって滅んだ。

 和歌を、連作という剣によって一たん殺しておいて、近代短歌として、よみがえらせたのである。死と再生の物語が、連作を軸にして、展開したのであった。

岡井隆『短歌の世界』(1995.11.20, 岩波新書))

 近代に入って「連作」がつくられるようになった背景には、メディアの変遷による発表媒体の変化もあった*3活版印刷が普及して、雑誌や新聞などが刷られるようになった。するとまとまった数での短歌の発表が可能になり、必要にもなる。そのとき「連作」は好都合だった。そしてこのような現状は、実際のところ、いまも変わっていない。*4

 〈自我〉といえばもう一方の「写生」ももちろん〈自我〉の補強に貢献を果たしている。「写生」とは単なるスケッチではない。「写生」理論を完成させたアララギの大歌人といえば斎藤茂吉(1882~1953)だが、その弟子の佐藤佐太郎(1909~1987)は「写生」についてこんな風に言う。

「写生」というのは漢字の熟語で、古くから用例があります。そして古いところではスケッチというような軽い意味ではない。「生を写す」、「生」は生命、いのち、生気等でそんなに軽く浅いものではない。「写生」はその生の表現ということになります。

(佐藤佐太郎「写生について」『短歌指導』(1964.1.5初版, 短歌新聞社

 さて、〈前衛短歌〉は「写生」については「幻視」「虚構」などの方法により対抗していった。では「連作」についてはどうだったのか。〈前衛短歌〉が試みたのは、「主題制作」という、ある特定の主題を題材とした*5連作だった。岡井隆の「ナショナリストの生誕」(『土地よ、痛みを負え』(1961.2, 白玉書房))などがその代表として知られている。*6

 「幻視」や「虚構」はいまも生き残った、では「主題制作」はどうだったか。ふしぎとその名前を聞くことは少ない気がする。気がついたらわたしたち若い歌人は、「連作論」をまったく聞かなくなってしまった。若い人に入門としてよく読まれる枡野浩一穂村弘の本は、「連作論」を語らない。それは〈反近代短歌〉という思想のあらわれなのかもしれない。しかしその結果、「連作が〈自我〉を補強する」などということを、わたしたちはまったく考えなくなってしまった。

 考えのない中に、わたしたちの連作に、〈近代短歌〉はいまも生き延びているといえる。

 そればかりか、「幻視」や「虚構」が生を写すものとしての「写生」に、ほんとうに抗い得ているかどうかも疑わしい。

かけがえのない〈われ〉が、言葉によってどんなに折り畳まれ、引き伸ばされ、切断され、乱反射され、ときには消去されているようにみえても、それが定型の内部の出来事である限り、この根源的なモチーフとの接触は最終的には失われない。一人称としての〈われ〉が作中から完全に消え去っているようにみえても、生の一回性と交換不可能性のモチーフは必ず「かたちをかえて」定型内部に存在する。それこそが少なくとも近代以降の、短歌という詩型の特殊性だとは云えないだろうか。

穂村弘「〈読み〉の違いのことなど」『短歌の友人』(2011.2.10, 河出文庫))

 どのように「虚構」を詠み、どのように「一首の屹立」を訴えたとしても、「連作」や「歌集」を媒介にして、「生の一回性」は忍び込んでくる、そのようにして〈近代短歌〉はウイルスのようにまだ、生き延びているのではないか。

 だから、決して、まだ〈現代短歌〉などはじまってはいない。

 

〈近代短歌〉と連作の終わり……?

 〈写生〉―〈自我〉ー〈連作〉というこの三位一体は、果たして解体されうるのだろうか?

 大辻隆弘(1960~)は『短歌研究 2014年11月号』に掲載の「三つの「私(わたくし)」」という論文の中で、読者論的な視点から短歌の〈私〉を次の三つに分ける。

レベル①「私」…一首の背後に感じられる「私」

 =「視点の定点」「作中主体」

レベル②「私」…連作・歌集の背後に感じられる「私」

 =「私象」

レベル③「私」…現実の生を生きる生身の「私」

 =「作者」

 この定義の上で大辻は、〈近代短歌〉の「読み」は「私①=私②=私③」という形に、〈前衛短歌〉の「読み」は「私①=私②≠私③」という形に整理できる、という。そしてさらに大辻は、二十一世紀に入ってから、『「私①」への興味だけが突出し、「私②」や「私③」にはほとんど興味を示さない』という「刹那読み」、『「私①」「私②」「私③」を強固に結びつけ、そこに「物語」を作り上げ、それに感動している』という「物語読み」のふたつの「読み」が流行してきている、という。*7

 ここでいったいなにが言われているのか。

 おそらく、このことは「私②」の衰退として説明できる。

 大辻の「三つの私」では、「刹那読み」はインターネット上で発表される短歌に結び付けて語られている。インターネット上ではメディアの制約により、歌集や連作の全文が引用されて読まれることはほとんどなく、一首のみでの鑑賞が中心となる*8。その結果、インターネットのメディア空間においては、「私②」は原理的に発生しない。図らずしも一首が屹立する、というよりは、屹立せざるを得ない。それがインターネットのメディア空間が短歌にもたらした効果ではないか。*9

 「物語読み」の流行は、「作者」が読者に接近したことを意味していると考えられる。作者の作品を読む前に、作者自身のブログやFacebookTwitterを私たちは読むことができる。さまざまな媒体が作者のひととなりを紹介する。同人誌レベルであれば文学フリマなどさまざまなオフイベントを通じて直接作者に会うことすらも可能である。そのような空間では、「作者」のキャラクターのみが強大化していって、「私①」や「私②」は「読み」から追い出されてゆく。

 メディア空間の変容が、わたしたちの「読み」を変化させている。かつて「連作」の再発見がメディアの影響下で生じたように、いま、なにかが変わり始めている。

 このように考えられるのではないか。

 活字メディアから双方向性のある電子メディアへの変化。すでにマクルーハンのころから言われて久しい、あまりにも懐かしい概念である*10。このようなメディア環境の変化の中で、〈自我〉と〈連作〉の蜜月は、どうやら脅かされはじめている。

 たとえば、イラストと短歌を組み合わせて投稿するさまざまなアカウントが、現在、Twitter上で、一瞬にして数百のお気に入り登録を稼ぎだす*11。このようにして短歌が読まれる媒体はかつて、おそらく存在しない。これらのアカウントは「連作」を用いない、結果的に、〈近代短歌〉に対する明確な否定となっている。

 短歌+イラスト、というこの発表形式が主流のものになるとは考えない。しかし、同じように、「連作」に、つまり活字メディアに依存しない発表形式はどうしようもなく増えていくだろう。そのようにして「連作」が払拭された時、はじめて、短歌は〈自我〉から開放され、〈近代短歌〉は終了するのかもしれない……。

 もし〈近代短歌〉の次の、〈ポストモダン短歌〉と呼べるものがありうるのであれば、それはこのような流れのなかで生み出されてくるはずである。そしてそこにおいてこそ、短歌の、瀬戸夏子の言うところの〈革新性〉は、再生をするのではないだろうか。*12

 

 

 と、いうようなことについて今春発行予定の『北大短歌 第三号』では書こうと思います。特集も充実。春の文学フリマで頒布する予定です。この文章を最後まで読まれたご親切な方、どうぞよろしくお願いします。

 

 

【2015.2.17 20:00追記】

 Twitterにて光森裕樹さんからいくつかのご指摘を頂きました(ありがとうございました)。光森さんのご指摘内容を備忘のため以下に転載しておきます。

 さて、光森さんのご指摘内容は大きく、1.「〈前衛短歌〉は連作を否定しようとした、ということが無意識のうちに前提とされているが、そのことについてもっと検討が必要ではないか」2.「メディアという視点から連作をとらえるとき、結社内の選歌システムなど、短歌の世界の仕組みの検討もまた必要となる」、という二点に要約できると思う。このふたつについて、光森さんに返答をするのではなく、自分自身の考えを整理する目的で以下に私見を記してみたい。

 まず1に関して。

 塚本邦雄は、一首で勝負することを主張して、二頁見開きに、たった一首の作品を印刷し、あとは余白か、効果的なカットを散らすだけ、といった発表様式を夢みて、わたしに語ったことがあります。その塚本も、一度だけ連作の誘惑に負けて、「水銀伝説」の大作を執筆しました。

岡井隆「第八章 主題制作と連作」『現代短歌入門』(1997.1.10, 講談社学術文庫

 〈前衛短歌〉は〈近代短歌〉の否定であるという先入観と、塚本邦雄のいわゆる「一首の屹立性」を重んじる主張(上に引用したような記述など)から、〈前衛短歌〉はその一部において「連作」を否定しようとした、とわたしは考えていたけれども、確かにこのことについてはもっと確認が必要だとおもう。*13

 次に「主題製作」と「連作」の混同について。わたしは「主題製作」は「連作」の一技法とのみ考えて(誤解して)いた。今回の指摘があるまでは気づかなかったことで、とてもありがたくおもう。たしかに、必ずしも「連作∋主題製作」とは限らない。たとえば一首のみでの「主題製作」もありうる。なるほど、とおもう。「主題」への認識を深めたい。*14

 『「連作」でできることは「主題制作」だけという論理にはならないはずです。』という光森さんの指摘部分に関しては、今回の記事内では触れなかったけれども、以前同じことを考えていた。以下はまだ仮説の段階になるのだけれども、たとえば千葉聡さんや石川美南さんの「物語性のある連作」。これは〈自我〉を脱して、小説に匹敵する「ポピュラリティ」を短歌に与える、という問題意識を持つ連作と、ひとまずは考えることができるとおもう*15。またたとえば、散文中にあるブロック体で強調された語句をつなげると一首の短歌になる瀬戸夏子さんの『すべてが可能なわたしの家で(20首)』や、詞書と歌の区別のない歌が多い斉藤斎藤さんの『NORMAL RADIATION BACKGROUND』シリーズなど、一首として引用することにほとんど意味のない、連作として読むしかない連作、もある。以上の「物語性のある連作」と「一首として引用できない連作」、これらは〈前衛短歌〉の「一首の屹立」の否定であり、かつ、近代の連作ではみられらなかったまったく別のことをしている連作だとおもう。「主題製作」ではない「連作」はある。*16

 ただ、これらの連作についても、光森さんの『歌を並べれば無意識的に”「生の一回性」は忍び込んでくる”かもしれません』のご指摘の通り、「生の一回性」からは免れ得ないのではないか、と考えている。その理由としては、いまは、「歌集」の存在をおもっている。「歌集」が出て、それが全歌集としてまとめられて、という回路が存在する限り、「生の一回性」からは逃れられないような気がする*17。短歌一首を短編小説に、連作を連作短編集に類比して考えたとき、短歌の特異性は「連作短編集集」という奇妙なかたちになる「歌集」にあるのではないかという気がするのだけれども、このことはよく検討する必要がある。

 次に2に関してなのだけれども、まず、この指摘内容はわたしの念頭にあまりなかったことなのでとてもありがたい*18。同時に、いまのところわたしから述べられることはあまりない。メディアが短歌表現に与えた影響を云々するとき、「短歌の世界の仕組み」の検討はどうしても必要となると考える。

 ひとつだけ未検討の私見を記す。旧派和歌が新派和歌になるとき「表現論的改革」と「流通論的改革」のふたつがあったとしてみる*19。前者のなかでは主に「写生」の理論が(加えて万葉調の重視などが)、後者のなかでは主にメディアの影響を中心にした「連作」が発生してきて、そのふたつが共同して〈自我〉の詩としての短歌の強化に働いたのではないか*20。では〈前衛短歌〉の運動はというと、それは「表現論的改革」を志す一方で、「流通論的改革」は志向しなかったのではないか。その結果〈前衛短歌〉の運動によって、表現論的には〈近代短歌〉は改められたけれど、流通論的には、つまり結社制度・贈答制度・雑誌メディア・新聞歌壇という制度面では、〈近代短歌〉の枠組みは保管されたのではいか。いまそして、これらの流通論的環境が改められようとしているのではないか。

 と、ここまで書いて私見がつきたので記述を終える。改めて光森さんありがとうございました。

*1:連作それ自体は『万葉集』のころから存在するが、制度として「連作」を整備したのは、アララギ歌人たち、特に伊藤左千夫だったという。

*2:まだその原文を読んだことはありません。

*3:『現代短歌大事典』や大辻隆弘「活字短歌の成立と近代短歌」『子規への遡行』などを参照。わたしはまだ読んだことがないけれど、前田愛『近代読者の成立』も参考になる。

*4:『中東短歌』(2014.10.10)の第三号では千種創一(1988~)が「短い歌と短い小説についての短い仮説」という評論を書いていて、そこでは中東の短編小説と日本の短歌の形式、社会的位置、などの類似性が語られているのだけれども、この評論も同じ問題系について触れている。いつか詳しくほりさげたい。「短編小説」という比較対象を得たとき、短歌は短編小説に、連作は連作短編集に喩えられる。では歌集は? 歌集こそが小説に対する短歌の特異性かもしれない……。

*5:つまり、〈自我〉を主題としなくてもかまわない

*6:一方で連作に頼らない、「一首の屹立性」が、塚本邦雄を中心に叫ばれもした。

*7:「刹那読み」がされる例としては笹井宏之と木下龍也の短歌が、「物語読み」がされる例としては大口玲子の歌集『トリサンナイタ』が挙げられている。

*8:たとえばTwitterに連作すべてを引用することはできない。

*9:そしてこれは活版印刷が普及する前の、口伝えで短歌がいい広められていたころに類似するのではないか。もし「連作」をインターネット上で扱いたいのであれば、わたしたち歌人著作権という自らの(近代的な)〈権利〉≒〈権力〉を放棄しなければならないのではないか。

*10:マクルーハン理論では活字メディアは視覚的・機械的・連続・構成・目・能動的・体系、電子メディアは触覚的・有機体的・同時・即興・耳・反動的・モザイク、などと特徴付けられるらしいけれど、マクルーハンの本はなにも読んだことがないのでいつか読みます。

*11:最も有名なアカウントが@syokupantopen。そのほか@hurry116、@poseidon_29なども多くのふぁぼを稼ぐ。前者はイラストと短歌の作者は別であるのに対し、後者は多くの場合同じであることは特筆すべき。

*12:要検討。なにかご意見のあるかたぜひご教授ください。

*13:がんばります。

*14:『現代短歌入門』を再読するなどします。

*15:エッセイと連作を組み合わせた河野裕子永田和宏『たとへば君-四十年の恋歌』なども「ポピュラリティを短歌に与える」という観点からは同じような連作だと考えることができる。

*16:以上の連作については学生短歌会の夏合宿の勉強会で同じことを述べた。これら最近の連作については、その技法をまとまって分析した文献がほとんどなく、調査が難しい。

*17:さいきん塚本邦雄の評伝『わが父塚本邦雄』(塚本靑史)が出版された。これを読んでから塚本邦雄の短歌を読もう、という読者はたぶん多い。

*18:『現代短歌入門』にも同じような言及があったのだけれども、ほとんど重要視していなかった

*19:松澤俊二『「よむ」ことの近代』を読んでいる途中なのだけれども、特に旧派と新派の比較について参考になるので、よく読む。あとこの考え事態は鈴木ちはねのhttps://twitter.com/suzuchiu/status/567571221609336832?lang=jahttps://twitter.com/suzuchiu/status/567572605377335296?lang=jaに着想を得る。

*20:「連作」の発生は表現論的改革、流通論的改革の両方の共同作業としたほうが適切な気もする。

ポップソング!

 ポップなことはよいことだ。

 「知」をどこまで信じるかという問題があって,「知」とは過去のことであり,「知」を体現するということは過去を体現することである。「知」とは「地」のことであって,また,「知」とは「血」のことでもあるのは,「地縁」は「血縁」に近似されるから。天からすでに打ち下ろされたわれわれ「肉」どもの,地をはいながらめぐる世代間の血のめぐりのなかで,蓄えられ循環し張り巡らされたものがいま見知っている知のめぐりであり,天界についての知はわれわれにありえない。

 ポップとは天界への「浮上」である。

 短歌や文芸が「知」をめぐる重厚なものであるのは過去の尊重であり過去の魂への誠実である。知っていることはより多くわれわれのめぐりへの感謝をなすことである。血縁への礼儀,地縁への礼儀が知の信仰の理由でもある。

 しかしだとして,ポップなものを書きたい気持ちがわたしにはある。地ではなく,未知の軽さへと浮上すること。

 われわれの感性は知を持たずとも「心地よい」ものを嗅ぎ分けることができる。その心地よさがポップさであり「快」なのだ。短歌をやっている人にだけわかる良さ,日本人にだけわかる良さ,人間にだけわかる良さ,はどこまで行っても知をめぐる良さなのかもしれない。そうではなく知になるてまえの,魂だけが知っているはずの良さを,そこぬけのポップを,つまりは天界における蜜を,書くことはできるのだろうかとおもう。知のめぐりに関係のない良さを。天の悦楽の記憶を。楽園の流滴を。

 ポップに,軽く,飛ぶ!