記事タイトルは最近真剣に悩んでいることなんですが(だれかたすけてください)それとは関係なく短歌の連作について文章を書きます。
瀬戸夏子「巻頭言」について
瀬戸夏子(1985~)は『そのなかに心臓をつくって住みなさい』という歌集を出している天才なのだけれども、彼(女)が所属している同人誌『率』の第7号(2014.11.24)は、「〈前衛短歌〉再考」という題の特集を組んでいて、その巻頭言でこんなことを彼(女)は書く。
短歌を短歌たらしめたもの。
それは連作という手法だ。
うたの語彙の共同体がうしなわれ、一首を屹立させることはむずかしくなった。そこで、連作が生まれた。連作ならばプロフィール紹介ができる。地の歌がうまれた。確定された〈わたくし〉から発せられる声を信じることによって、自分以外の他の〈自我〉、そしてその歌を理解することができるという幻想。私は連作形式そのものを全否定しているわけではない。けれど斎藤茂吉の「母を恋ふる歌」以降、ごくごく少数の例外をのぞき、〈前衛短歌〉を経て〈ニューウェーブ短歌〉の穂村弘にいたるまで、連作自体が語りつがれているケースはほとんどない。
(瀬戸夏子「巻頭言」『率7』(2014.11.24)、もしくは
特集「<前衛短歌>再考」巻頭言/瀬戸夏子 - Privatter)
おりしもちょうどその夏にわたしは学生短歌会の合同合宿でさきがけて「連作の歴史」というものについて発表をする機会があり、このあたりの事情について調べていたため、瀬戸さんの文章を読んで、ああ、同じことを考えている人がいる、と、感動した。原文を読んでもらったほうがもちろんいいのだけれども、瀬戸さんの「巻頭言」の論から、わたしの議論に用いたいことを持ってきて、次のようにまとめてみる。
短歌は革新的だ。
短歌は短歌として成立した時点ですでに革新的だったのである。
(瀬戸夏子「巻頭言」『率7』(2014.11.24))
短歌という形式それ自体が言うなれば〈革新的〉なものだった。しかし、〈近代短歌〉において、この〈革新性〉は見失われる。「写生」と「連作」。このふたつを軸とした、アララギ、特に土屋文明(1890~1990)を中心におくながれによって、〈自我〉の詩としての〈近代短歌〉が生まれた。その結果、短歌の〈革新性〉は見失われた。
ここからは瀬戸さんの書いていないところなのだけれども、〈前衛短歌〉は「写生」と「連作」のうち「写生」を否定することにはいちおう成功したが、「連作」を否定することには成功しなかった。そればかりか、いまだに、あちこちの媒体で、「連作」は作られ続けている。総合誌で。新人賞で。結社誌で。自らがいちばん新しいと信じる(であろう)若い人たちの同人誌においてすら、「連作」はつくられつづけている。つまり、〈近代短歌〉はまだ生きている。
「連作」をつづける限り〈近代短歌〉は終わらないし、〈近代短歌〉が終わるときには「連作」も終わるよ、ということについて次節以降に書きます。
〈近代短歌〉と連作のながすぎる蜜月
かつて、明治時代、和歌は旧派と新派のふたつにわかれていた。このうちの新派が「写生」と「連作」というふたつの武器を得て、〈自我〉の詩としての〈近代短歌〉になっていく。〈近代短歌〉について穂村弘(1962~)はこんなことを書く。
近代以降の短歌は基本的に、短歌の中の作中主体は作者なんだという思い込みが非常に強いジャンルなんです。(中略) それを明治時代に最初にやった人は画期的なアイディアマンで、具体的には正岡子規ですね。どういうアイディアかというと、短歌というのは一首一首を積み重ねることによって、一生をかけてひとりの人がひとつの人生の物語を書くジャンルなんだ、ということ。(中略) そのコンセプトで行くと、歌人はみんなひとつしか作品が書けない。
(穂村弘「文庫版スペシャル・インタビュー 爆弾のゆくえ」『短歌という爆弾』(2013.11.11,小学館文庫)
ここで言われていることは、短歌の積み重ねが連作をなし、歌集をなし、全歌集をなし、そのことで〈自我〉にもとづく「人生の物語」が完成する、それが歌人の唯一の作品である、という仕組みである。そしてこの仕組みを発明したのが〈近代短歌〉だった。ここで〈自我〉の補強のためにもちいられているのが、「連作」であり、「歌集」である。
「連作」という制度の再発明*1はある意味では「写生」の発明以上に重要だったかもしれない。尾上柴舟(1876~1957)という人は「短歌滅亡私論」という文章を書いたのだけれども、そのなかで彼(女)は、「連作」によって従来の短歌は滅亡した、ということを書いている*2。このことを受けて岡井隆(1928~)は次のように書く。
たしかに、一首独立を大前提とする古典和歌や、旧派の和歌を唯一のあり方とみとめるなら、和歌は連作によって滅んだ。
和歌を、連作という剣によって一たん殺しておいて、近代短歌として、よみがえらせたのである。死と再生の物語が、連作を軸にして、展開したのであった。
(岡井隆『短歌の世界』(1995.11.20, 岩波新書))
近代に入って「連作」がつくられるようになった背景には、メディアの変遷による発表媒体の変化もあった*3。活版印刷が普及して、雑誌や新聞などが刷られるようになった。するとまとまった数での短歌の発表が可能になり、必要にもなる。そのとき「連作」は好都合だった。そしてこのような現状は、実際のところ、いまも変わっていない。*4
〈自我〉といえばもう一方の「写生」ももちろん〈自我〉の補強に貢献を果たしている。「写生」とは単なるスケッチではない。「写生」理論を完成させたアララギの大歌人といえば斎藤茂吉(1882~1953)だが、その弟子の佐藤佐太郎(1909~1987)は「写生」についてこんな風に言う。
「写生」というのは漢字の熟語で、古くから用例があります。そして古いところではスケッチというような軽い意味ではない。「生を写す」、「生」は生命、いのち、生気等でそんなに軽く浅いものではない。「写生」はその生の表現ということになります。
(佐藤佐太郎「写生について」『短歌指導』(1964.1.5初版, 短歌新聞社)
さて、〈前衛短歌〉は「写生」については「幻視」「虚構」などの方法により対抗していった。では「連作」についてはどうだったのか。〈前衛短歌〉が試みたのは、「主題制作」という、ある特定の主題を題材とした*5連作だった。岡井隆の「ナショナリストの生誕」(『土地よ、痛みを負え』(1961.2, 白玉書房))などがその代表として知られている。*6
「幻視」や「虚構」はいまも生き残った、では「主題制作」はどうだったか。ふしぎとその名前を聞くことは少ない気がする。気がついたらわたしたち若い歌人は、「連作論」をまったく聞かなくなってしまった。若い人に入門としてよく読まれる枡野浩一や穂村弘の本は、「連作論」を語らない。それは〈反近代短歌〉という思想のあらわれなのかもしれない。しかしその結果、「連作が〈自我〉を補強する」などということを、わたしたちはまったく考えなくなってしまった。
考えのない中に、わたしたちの連作に、〈近代短歌〉はいまも生き延びているといえる。
そればかりか、「幻視」や「虚構」が生を写すものとしての「写生」に、ほんとうに抗い得ているかどうかも疑わしい。
かけがえのない〈われ〉が、言葉によってどんなに折り畳まれ、引き伸ばされ、切断され、乱反射され、ときには消去されているようにみえても、それが定型の内部の出来事である限り、この根源的なモチーフとの接触は最終的には失われない。一人称としての〈われ〉が作中から完全に消え去っているようにみえても、生の一回性と交換不可能性のモチーフは必ず「かたちをかえて」定型内部に存在する。それこそが少なくとも近代以降の、短歌という詩型の特殊性だとは云えないだろうか。
(穂村弘「〈読み〉の違いのことなど」『短歌の友人』(2011.2.10, 河出文庫))
どのように「虚構」を詠み、どのように「一首の屹立」を訴えたとしても、「連作」や「歌集」を媒介にして、「生の一回性」は忍び込んでくる、そのようにして〈近代短歌〉はウイルスのようにまだ、生き延びているのではないか。
だから、決して、まだ〈現代短歌〉などはじまってはいない。
〈近代短歌〉と連作の終わり……?
〈写生〉―〈自我〉ー〈連作〉というこの三位一体は、果たして解体されうるのだろうか?
大辻隆弘(1960~)は『短歌研究 2014年11月号』に掲載の「三つの「私(わたくし)」」という論文の中で、読者論的な視点から短歌の〈私〉を次の三つに分ける。
レベル①「私」…一首の背後に感じられる「私」
=「視点の定点」「作中主体」
レベル②「私」…連作・歌集の背後に感じられる「私」
=「私象」
レベル③「私」…現実の生を生きる生身の「私」
=「作者」
この定義の上で大辻は、〈近代短歌〉の「読み」は「私①=私②=私③」という形に、〈前衛短歌〉の「読み」は「私①=私②≠私③」という形に整理できる、という。そしてさらに大辻は、二十一世紀に入ってから、『「私①」への興味だけが突出し、「私②」や「私③」にはほとんど興味を示さない』という「刹那読み」、『「私①」「私②」「私③」を強固に結びつけ、そこに「物語」を作り上げ、それに感動している』という「物語読み」のふたつの「読み」が流行してきている、という。*7
ここでいったいなにが言われているのか。
おそらく、このことは「私②」の衰退として説明できる。
大辻の「三つの私」では、「刹那読み」はインターネット上で発表される短歌に結び付けて語られている。インターネット上ではメディアの制約により、歌集や連作の全文が引用されて読まれることはほとんどなく、一首のみでの鑑賞が中心となる*8。その結果、インターネットのメディア空間においては、「私②」は原理的に発生しない。図らずしも一首が屹立する、というよりは、屹立せざるを得ない。それがインターネットのメディア空間が短歌にもたらした効果ではないか。*9
「物語読み」の流行は、「作者」が読者に接近したことを意味していると考えられる。作者の作品を読む前に、作者自身のブログやFacebook、Twitterを私たちは読むことができる。さまざまな媒体が作者のひととなりを紹介する。同人誌レベルであれば文学フリマなどさまざまなオフイベントを通じて直接作者に会うことすらも可能である。そのような空間では、「作者」のキャラクターのみが強大化していって、「私①」や「私②」は「読み」から追い出されてゆく。
メディア空間の変容が、わたしたちの「読み」を変化させている。かつて「連作」の再発見がメディアの影響下で生じたように、いま、なにかが変わり始めている。
このように考えられるのではないか。
活字メディアから双方向性のある電子メディアへの変化。すでにマクルーハンのころから言われて久しい、あまりにも懐かしい概念である*10。このようなメディア環境の変化の中で、〈自我〉と〈連作〉の蜜月は、どうやら脅かされはじめている。
たとえば、イラストと短歌を組み合わせて投稿するさまざまなアカウントが、現在、Twitter上で、一瞬にして数百のお気に入り登録を稼ぎだす*11。このようにして短歌が読まれる媒体はかつて、おそらく存在しない。これらのアカウントは「連作」を用いない、結果的に、〈近代短歌〉に対する明確な否定となっている。
短歌+イラスト、というこの発表形式が主流のものになるとは考えない。しかし、同じように、「連作」に、つまり活字メディアに依存しない発表形式はどうしようもなく増えていくだろう。そのようにして「連作」が払拭された時、はじめて、短歌は〈自我〉から開放され、〈近代短歌〉は終了するのかもしれない……。
もし〈近代短歌〉の次の、〈ポストモダン短歌〉と呼べるものがありうるのであれば、それはこのような流れのなかで生み出されてくるはずである。そしてそこにおいてこそ、短歌の、瀬戸夏子の言うところの〈革新性〉は、再生をするのではないだろうか。*12
と、いうようなことについて今春発行予定の『北大短歌 第三号』では書こうと思います。特集も充実。春の文学フリマで頒布する予定です。この文章を最後まで読まれたご親切な方、どうぞよろしくお願いします。
【2015.2.17 20:00追記】
Twitterにて光森裕樹さんからいくつかのご指摘を頂きました(ありがとうございました)。光森さんのご指摘内容を備忘のため以下に転載しておきます。
さて、光森さんのご指摘内容は大きく、1.「〈前衛短歌〉は連作を否定しようとした、ということが無意識のうちに前提とされているが、そのことについてもっと検討が必要ではないか」、2.「メディアという視点から連作をとらえるとき、結社内の選歌システムなど、短歌の世界の仕組みの検討もまた必要となる」、という二点に要約できると思う。このふたつについて、光森さんに返答をするのではなく、自分自身の考えを整理する目的で以下に私見を記してみたい。
まず1に関して。
塚本邦雄は、一首で勝負することを主張して、二頁見開きに、たった一首の作品を印刷し、あとは余白か、効果的なカットを散らすだけ、といった発表様式を夢みて、わたしに語ったことがあります。その塚本も、一度だけ連作の誘惑に負けて、「水銀伝説」の大作を執筆しました。
(岡井隆「第八章 主題制作と連作」『現代短歌入門』(1997.1.10, 講談社学術文庫)
〈前衛短歌〉は〈近代短歌〉の否定であるという先入観と、塚本邦雄のいわゆる「一首の屹立性」を重んじる主張(上に引用したような記述など)から、〈前衛短歌〉はその一部において「連作」を否定しようとした、とわたしは考えていたけれども、確かにこのことについてはもっと確認が必要だとおもう。*13
次に「主題製作」と「連作」の混同について。わたしは「主題製作」は「連作」の一技法とのみ考えて(誤解して)いた。今回の指摘があるまでは気づかなかったことで、とてもありがたくおもう。たしかに、必ずしも「連作∋主題製作」とは限らない。たとえば一首のみでの「主題製作」もありうる。なるほど、とおもう。「主題」への認識を深めたい。*14
『「連作」でできることは「主題制作」だけという論理にはならないはずです。』という光森さんの指摘部分に関しては、今回の記事内では触れなかったけれども、以前同じことを考えていた。以下はまだ仮説の段階になるのだけれども、たとえば千葉聡さんや石川美南さんの「物語性のある連作」。これは〈自我〉を脱して、小説に匹敵する「ポピュラリティ」を短歌に与える、という問題意識を持つ連作と、ひとまずは考えることができるとおもう*15。またたとえば、散文中にあるブロック体で強調された語句をつなげると一首の短歌になる瀬戸夏子さんの『すべてが可能なわたしの家で(20首)』や、詞書と歌の区別のない歌が多い斉藤斎藤さんの『NORMAL RADIATION BACKGROUND』シリーズなど、一首として引用することにほとんど意味のない、連作として読むしかない連作、もある。以上の「物語性のある連作」と「一首として引用できない連作」、これらは〈前衛短歌〉の「一首の屹立」の否定であり、かつ、近代の連作ではみられらなかったまったく別のことをしている連作だとおもう。「主題製作」ではない「連作」はある。*16
ただ、これらの連作についても、光森さんの『歌を並べれば無意識的に”「生の一回性」は忍び込んでくる”かもしれません』のご指摘の通り、「生の一回性」からは免れ得ないのではないか、と考えている。その理由としては、いまは、「歌集」の存在をおもっている。「歌集」が出て、それが全歌集としてまとめられて、という回路が存在する限り、「生の一回性」からは逃れられないような気がする*17。短歌一首を短編小説に、連作を連作短編集に類比して考えたとき、短歌の特異性は「連作短編集集」という奇妙なかたちになる「歌集」にあるのではないかという気がするのだけれども、このことはよく検討する必要がある。
次に2に関してなのだけれども、まず、この指摘内容はわたしの念頭にあまりなかったことなのでとてもありがたい*18。同時に、いまのところわたしから述べられることはあまりない。メディアが短歌表現に与えた影響を云々するとき、「短歌の世界の仕組み」の検討はどうしても必要となると考える。
ひとつだけ未検討の私見を記す。旧派和歌が新派和歌になるとき「表現論的改革」と「流通論的改革」のふたつがあったとしてみる*19。前者のなかでは主に「写生」の理論が(加えて万葉調の重視などが)、後者のなかでは主にメディアの影響を中心にした「連作」が発生してきて、そのふたつが共同して〈自我〉の詩としての短歌の強化に働いたのではないか*20。では〈前衛短歌〉の運動はというと、それは「表現論的改革」を志す一方で、「流通論的改革」は志向しなかったのではないか。その結果〈前衛短歌〉の運動によって、表現論的には〈近代短歌〉は改められたけれど、流通論的には、つまり結社制度・贈答制度・雑誌メディア・新聞歌壇という制度面では、〈近代短歌〉の枠組みは保管されたのではいか。いまそして、これらの流通論的環境が改められようとしているのではないか。
と、ここまで書いて私見がつきたので記述を終える。改めて光森さんありがとうございました。