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ミカミハルミ日記

 前の記事を書いたのはすでに去年の話であり、書くべきことがあるわけではいまだない。ブログの名前をいつのまにかミカミハルミ日記に変えたのはいつのころだったかなんて思い出せない。今は2013年の4月だ。文学フリマに参加するための準備をしていて、僕はやがて飛行機で大阪に向かうだろう。第16回文学フリマin大阪。西だ。それとも行くべきは「中央」だろうか?

 短歌は書き続けている。小説はあまり書かない。俳句を書き始めた。ブログは、ツイッターは、現実はどうだろう。本を読んでいる。音楽はあまり聴かないかもしれない。美術にはほぼ関係しないし、映像も同じ。でも生きている。

 眠れない夜に、ラジオを聴くようになった。中学生のころ、父からもらった携帯ラジオは大陸からの電波を拾って、異国の言葉を中学生の僕の夜間生活に染み込ませた。言葉の意味とはなんだろう。しんしんと雪の降りつもる夜には電波も乱れ、大陸の言葉はますますあやしくなる。僕はそのわからない言葉を聴くことによって何かを感じようとしていたのだろうか。それは言葉の意味ではなく、では、なんだ。わからなくてすぐにチューニングをいじり、日本語に合わせたこと。

 そして今。インターネットはクリアに接続され、そこに雑音は混入しない。眠れない僕を襲うラジコにはノイズがなく侵入者がいない。僕達はますます、見たいものだけを見ようとするし、聴きたいものだけを聴こうとするだろう。だからこそ、欲望がわからなくなっていく。何がしたいのかわかっているひとなど、はたしているのだろうか。『やりたいこととやるべきことが一致するとき、世界の声が聴こえる』?

 何がしたいのかわからないという病があるが、僕は読んで書きたいだけなのだろうか。あなたは何を欲望しているのだろうか。そして、社会は何を欲望しているのだろう。考える前に生きなければならない。生きていなければ考えられない。生きることと労働することはあまりにも近しいから、問題は混迷を極めている。考えながら労働することはまだ、可能なのだろうか?

 わからない。考える。考えない。考えない。書く。書かない。書いた。書こう。

 ということを僕は、考えていない。