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ミカミハルミの展開図

 このブログのタイトルがまた変わって、ミカミハルミの展開図になった。スピッツを聴きながらキーボードを叩いていて、酔いはすでに覚めている。書くべきことなどあるはずがない。でも書く。だから書く。

 

 文学フリマというイベントがあって稀風社というサークルから短歌誌を出した。稀風社ブログというブログに私はテクストを流し込んでいたけれど、文学フリマの会場には行かなかったのは、行こうとおもえば行けたのだけれどもお金がなかったからであり文学フリマには代わりに私の人形が出た。

 私がTwitterやブログで使っているアイコン、あるいはアバター(?)は、『キャラクターなんとか機』というツールをお借りして作成したものでありすでに私の身体よりも私、少なくともインターネット上においては。かわいい。それがグラフィグという組み立て式の人形になった。プリンタを使ってプリントアウトすれば誰でも作れる。誰の机にも私(のアイコンの人形)が乗りうる。

 私。

 

 名前について考えている。ひとりにひとつの名前というのは時代的制約の課した偶発的事実でしか無く、幼名、戒名、……、ひとりの人間の名前はいくらでも変わって差し支えない。変わることが本来的であるわけではなく、どちらでもよいということである。

 私はカミハルという名前を名乗っている。あるいは、ミカミハルミという名前を名乗っている。あるいは、私には私の保護者たちによって付与された名前もある。あるいは、私は新しく別の名を名乗ることもできる。だから、私の名前は収束しない。

 では私は。私は収束せず、発散するのか。私は個としてありうるか。それとも私はそのつどの状況に分散され拡散されていくのか。

 プリンタからプリントアウトされる私は私ではないか。私であるか。

 

 信念はあるが根拠はない。だからこの件について続きは書かない。