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言葉の記憶を書くということ、詩について

 青春18切符が余っているので、住んでいるところ、つまり札幌を起点にして北海道各地を日帰りで移動・通過しようと計画していて、昨日、その第一日目を終えた。詳しい経路等についてはノートに手書きで書きためているものがあって、いわゆる旅行記なのだけど、後日、それをブログに別の形であげるかもしれないし、あるいはあげないかもしれないが、とにかく、今回の記事では省略したい。

 北海道に私は住んでいて、住み始めて二年が経とうとしている。

 

 旅のおともに『アイヌ語地名で旅する北海道』(北道邦彦,朝日新書,2008)という本と、あといくつかのアイヌ関連書を持っていき、電車の中で読んでいた。別件で買った北海道の道路地図と、JRの時刻表と、その本とを見比べて、地名(山、川、駅、など)の由来を考えながら、在来線に揺られ続けた。

 昨日は深川、旭川、美瑛、富良野、芦別などに行った。

 

 言葉には、記憶が宿っているのだとおもう。

 たとえばそれは、「文化」とも呼ばれる、「共同体の記憶」だろう。

 一例。「札幌」は、『アイヌ語地名で旅する北海道』によるとアイヌ語の「Sat poro pet」(乾いた 大きい 川)が由来である、という説が有力であるらしい。他には「Sari poro pet」(葦原 大きい 川)とする説もあるそうだ。ここで示されている「Sat poro pet」あるいは「Sari poro pet」とは、札幌を流れる豊平川の名前であるらしく、「川」を意味する「pet」が省略されて、現在のサッポロになったと、推定されているらしい。

 もう一例。昨日、函館本線で旭川方向に向かっていたときのことだ。車窓から、進行方向左手側に、横に長く続く山をみた。多分、「隈根尻山」だとおもう。「Kuma(横棒) ne(のような) sir(山)」という意味らしい。調べてすぐ、なるほど、と私はおもった。たしかに横棒のように見えたから。教師に教えられるように、言葉に「教えられた」ようにおもった。

 これら言葉の「意味」は、かつて「北海道」に生きていたひとびとの、記憶なのではないか。記憶が言葉に宿り、いまの私たちにも残った。

 あるいは、札幌地下鉄の南北線に、「自衛隊前駅」という駅がある。この言葉の意味は、あるいは由来は、いまを生きている私たちにとってはあまりにも明白であるだろう。しかしたとえば1000年後の、あるいは10000年後の、もはや「日本人」ではなくなったのかもしれない、可能的な存在としての私たちにとって、その駅名はどのようにみえるのだろうか。まったくわからない。だが、自衛隊という組織が、おそらく、なくなったときがあるのかもしれない。それ以後の未来を生きる私たちにとって、「自衛隊前駅」という言葉は、記憶なのだろう。つまり、「自衛隊前駅」という名前には、いまの私たちの、共同体の記憶が宿っているのではないか。

 

 言葉の意味には記憶が宿る。だからこのように考えられる。

 言葉は、いまを生きている私たちに、かつて生きていた私たちの、共同体の記憶を与えるのだろう。

 それは地名に限らないに違いない。ほとんどの言葉には、きっと、由来があるのだろうから。

 

 だが、結論ではなく、さらに文章を続けたい。記憶について、そして共同体について、もう少し理解を深めたい。

 言葉の意味には共同体の記憶が宿る。だが、言葉に宿される記憶はきっとそれだけではなくて、個人の記憶もまた、言葉に宿されるのだろう。

 水。

 一般人にとって、水泳に人生を費やしたひとにとって、化学を専攻する研究者にとって、水彩画家にとって、そして餓死者にとって、溺死者にとって、この言葉の意味は全く異なるだろう。

 個人の記憶は、その個人の中で、言葉に塗り込められていく。だから言葉の「意味」はひとによって少しずつ異なっていくだろう。

 

 このような「個人の記憶」は、個人の数だけ存在する。そのなかで、より大きいもの、つまりより多数に同意されるものが、「共同体の記憶」として、言葉として引き継がれていくのではないか。

 「横棒のような山」というのは、最初は、個人の感想だったに違いない。誰かが「横棒のように見える」と言った。誰かもそれに、「私もそう考えていた」と同意した。同意は広まる。個人の感想が、多数に共有されたからこそ、それは言葉として生き残ったのではないだろうか。個人の記憶は、共同体の記憶に変わりうるのだ。

 

 さらに、詩について考えたい。

 「放課後」という言葉には叙情がある。だがそれを、たったひとつの「一般的=共同的」なイメージに還元することはできないだろう。青春主義者にとっての放課後と、孤独主義者にとっての放課後と、学校に通えなかった人にとっての放課後とは、完全に途絶してしまっているのだから。

 このような途絶の中でそれでも、言葉に記憶を宿そうとする、全く無謀な営み、新しい意味の創造、その結果として現れてくるものが、いわゆる「詩」なのではないだろうか。

 詩とは、つまり、記憶と向きあう作業なのではないか。

 

 詩人に書けることはほとんど記憶だろう。現在の身ぶりそのものを詩にすることは難しい。記録されたとき、それは死ぬのだから。書かれたものはすべて、記憶になってしまうとおもう。

 では、詩人はどのような記憶を書くのか。

 「私の記憶」を書く詩があるだろう。伝統的な短歌はほとんどこれなのではないかとおもう。

 次に、私たちの共同体の、「典型的な記憶」を書く詩があるだろう。「夕暮れ=物悲しい」のような、すでにありふれたものを再動させる詩だ。このような詩は、生きている私たちの「共感」をさそうものなのではないか。

 そのような「典型的な記憶」を自覚した上で、それに抗して、「典型的でない記憶」を書く詩もあるに違いない。私たち「ではない」共同体の記憶を書くこと。「夕暮れ=走り高跳び」、なんでもいいけど。奪われた言葉? 忘れられようと、あるいは、そもそも記憶すらされないものを、明るみにだそうとする営み。または、言葉の新しい解釈。とにかく、このような詩は生きている私たちに、知らないもの=「驚異」を感じさせるのではないか。

 ほとんどの詩の構成要素は、これらのどれかに分類できる気がする。

 

 だがこれらはどれも、「生者の記憶を書く」という一点で、同じ水準にまだあるように私はおもう。まだ、詩にはなにかある気がする。言葉の可能性はまだあるのではないか。

 つまり、この他に、「言葉の記憶」を書くという詩も、またありうるのではないかとおもう。どういうことか。

 

 「言葉の記憶を書く」ということ。それは決して、言葉の由来を掘り起こす、だけの考古学的作業ではない。そうではなくて、過去の共同体、いまの共同体、あるいは未来の共同体、さらには各共同体とりこまれなかったものたちの共同体、それらの顕在化していない記憶を言葉の中に発見しようとする試みになるだろう。

 実感することのできない過去の共同体の、あるいは、まだ実現していない未来の共同体の、それらのいわば「透明な記憶」を、言葉の中に見出して、言葉によってそれを表現するということ。そのような詩もまたありうるのではないか。言葉にはそのような「見えないもの」にせまる能力が、そもそも、備わっているのではないか。

 それが「具体的に」どのような詩なのか、私には全く見当がつかない。だが、すでにそれはあるのではないか。あったのではないか。だから、いままで「わからない」と遠ざけていた詩であっても、このような目から再び読めば、「わかる」ようになるのかもしれない。言葉を、その能力を、私はいままで誤解していた気がする。

 興味は尽きない。

 

 『存在論的、郵便的』という本をいま、流し読みしていて、この本に書かれていることは、上の文章につながる気がする。

 あるいは小川洋子先生の『寡黙な死骸 みだらな弔い』の「文庫版のためのあとがき」では、次のように書かれていた。

 

 『自分が過去に味わった読書体験のうち、最も幸福だったものは、ああ、いま読んでいるこのお話は、遠い昔、顔も名前も知らない誰かが秘密の洞窟に刻み付けておいたのを、ポール・オースターが、川端康成が、ガルシア・マルケスが、私に語って聞かせてくれているのだ、と感じる一瞬だった。』

 『小説を書くとは、洞窟に言葉を刻むことではなく、洞窟に刻まれた言葉を読むことではないか、と最近考える。』

 [p.240]

 

 いま生きている者たちの、いま生きている共同体の、つまり「生者の記憶」ではなくて、言葉に宿されている生者以外の、「透明な者たちの記憶」を、読み取り、そして、書きあげた詩。

 そのような詩が、あるのだろうか。あるのならば、私はよみたい。