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卒業について、終わりについて

 「映画けいおん!」を観た。久しぶりに観る映画だった。

 けいおんのアニメシリーズは断続的に数話を観た程度、一応原作は人から借りて高校編の終わりまで読んだのだが、作品に対し特別強い感情を抱いているわけではない。ファンと呼ばれる立場にはないと思う。そんな私ではあるが、今週中に札幌での上映が終わるということで、もったいないかと思い観ることにした。

 感想、面白かった。前半少し退屈したが、ロンドンへ渡って以降、彼女たちの「わくわく」を同様にわくわくする私がいた。何を論じる必要があるだろう。わくわく、それだけでいいじゃないか。語ろうとする言葉はかえって野蛮であるようにも思える。であるが、機会があれば、別のブログにしっかりとした文章を書こうかとも思っている。

 今は別のことを書きたい。

 

 「終わりなき日常」とか、「終わりなき日常の終わり」とか、あるいはこれに似た言葉を去年はたくさん耳にした。なんだかな、と思っていた。終わらないものなど何もないのではないだろうかと、私は考えている。日本はいずれ終わる。生命はいずれ終わる。宇宙は終わる。終わらないものなど何もないだろう。これが私の基本的な立場である。格好つけて私の「ドグマ」であると、呼んでもいいかもしれない。

 「終わりなき日常」などありうるのだろうか。

 「けいおん!」に限らず、物語は必ず終わる。終わりなき物語などないだろう。なぜなら、作者は永遠の存在ではないのだから。永遠の存在は神だけである。

 「日常」とは物語の一種ではないだろうか。日常なる事物が存在するわけではないだろう。日常とは、語りの中にのみ存在するものだと私は思う。「日常」という言葉は状態に対する評価であり、つまりは状態の記述ではないだろうか。特別なことがない状態を評して私たちは日常と記述する。「日常」とはそのようにして語られる「物語」ではないか。

 物語は必ず終わるのだ。だからこそ、終わりなき日常など存在しない。

 

 しかし、終わった物語は再開することができる。このことは強調されるべきだろう。

 作者は途切れる。しかし途切れた作者を誰かが引き継ぐことはできる。『Project Itoh goes on.』というフレーズを思い出している。

 だからこそ、終わりは決して断絶ではない。『幸せは途切れながらも 続くのです』と歌うスピッツの歌があったが、すべては途切れながらも続く、いや、「続きうる」のではないだろうか。

 宇宙は終わる。だが終わったのち、それとは別の宇宙が再誕するかもしれない。その可能性は否定出来ないだろう。

 完璧な終わりなど存在しない。

 

 さてこそ、話を次に転じたい。

 卒業は終わりなのだろうか。

 卒業は終わりである。それは間違いない。卒業によって学校生活は終わる。しかし同時に卒業は終わりではないだろう。卒業しても生活は続くのだから。

 だからこそ、卒業は終わりであって終わりではないと言えるのではないだろうか。

 

 卒業は終わりじゃない、フィクションにおいてはしばしば言われる。そう言いながらフィクションは終わってしまう。学校を舞台にするさまざまなフィクションに慣れ親しんだ人であるならば、何度も同様の経験をしたことがあるはずだ。卒業は終わりじゃないと言いながら、卒業によってフィクションは終わってしまう。

 一方で、卒業は終わりだと私たちは言う。それは学校生活の終わりを指している。「終わりだから」、そう言いながら卒業アルバムに寄せ書きをしたり、あるいは記念写真を撮ったりするだろう。しかし卒業は部分的なものしか終わらせない。学校を卒業しても生活は続くのだから。あれほど離れ離れになると思っていた誰かと、他愛もなく再会してしまうかもしれない。卒業は終わりだと言いながら、卒業によって生活は終わらない。

 終わるのか、終わらないのか。フィクションと実生活との間で、「卒業」の扱いが鏡写しになっている気がする。終わらないと言いながら終わってしまう。終わると言いながら終わらない。

 卒業によって終わるもの、卒業によっては終わらないもの。つまりは「世界」のことだろう。

 終わる世界=フィクションにおいては「卒業は終わりじゃない」と言われ、終わらない世界=実生活においては「卒業は終わりだ」と言われる。なぜだろう。どちらも、「祈り」の言葉なのだろうか。ありえないものを希求する「心」が産み出した言葉なのか。

 そう言うのは、少し行き過ぎかもしれないが。

 

 全ては終わる。だけれども続く、続きうる。それは希望でも絶望でもあるだろう。希望が終わるのは絶望であり、絶望が終わるのは希望であるのだから。

 卒業を引き継ぐものは誰なのだろう。それからの私の生活か、学校に残る後輩たちか。よくわからない。答えなどあるのだろうか。

 ともあれ、既に2月も半ばを過ぎた。卒業の季節が近づいている。