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雪に踊る、アイドル、主役とは

 先日、かの「さっぽろ雪まつり」が開かれている大通公園を訪れた。

 行こうと思って行ったのではなかった。地下鉄を利用して市内をぶらぶら巡っていたときに時間が余ったので、なんとなく立ち寄ったのだ。偶然その日は雪まつりの最終日だったので、私は存外うれしくなった。

 既に日は暮れていた。風の強い日であり、雪も大量に降っていた。つまりひどい吹雪だった。時によっては視界のほとんどが奪われるようなひどい天気で、通りの電光掲示板にはマイナス六・五度と表示されていた。

 そんな日であっても会場にはひとがたくさん集まっていた。出店も繁盛しているようだった。多くのひとがめいめい何かを食べながら、笑っている。イベントであるから、祭りであるからだろう。「祭り」という行事の求心力を私は思った。祭りを「祭典」といいかえると儀礼めいてしまうが、そのときは確かに儀礼めいたものが公園内には満ちていたのだと思う。

 札幌の夜には冷たさと暖かさが混濁していた。

 思いながら公園を散策した。

 

 情景描写で足踏みしていても仕方がない。さっそく本題に入りたい。

 書きたいことはそこで観たアイドルのひとたちのことである。

 雪まつりを観るのは今年が二回目のことだった。雪まつりの見所は主にふたつあって、ひとつは常設されている雪像たち、もうひとつは時間指定で行われる様々なイベントだと思う。

 夜の中で照らされる雪の像は奇妙だった。光の色に染まっているはずだった、しかし雪像は確かな白色に感じられて、色の不思議を私は思った。しかしそれについてはここに書いても仕方がない。いつかの機会にとっておこうと思う。

 特に何を注視することもなく歩き回っていたとき、音楽が聞こえてきた。最初はただのBGMに聞こえた。近づいて違うことを知った。それは生音、生きている音だった。

 やがて視界が開ける。氷でできたステージの上で、アイドルと思われる少女たちが歌い、踊っていた。

 

 

 大通公園は碁盤目状の街を横切るように細く長く広がっている。丁目ごとに会場名がつけられていて、私がたどり着いたのは「氷の広場」と呼ばれる会場だった。

 氷のステージの上で、アイドルの少女たちが踊っていた。曲は多分、私は詳しくないので確信は持てないが、AKB48の曲だったと思う。カバーだったのだろうか。ステージの前には黒山の、それなりの人だかりができていた。決して多くはなかったが、少なくもない。通行人の多くはそこで足を一度止めた。私もそれに従った。

 氷点下だった。雪もひどく降っていた。

 だからそれはまるで非現実的な光景に思えた。

 私は雪像を見てまわるため、一目見やってからすぐにそこを立ち去った。しばらく、二十分ほど経ったあとだろうか、もう一度そこを訪れた。まだパフォーマンスをやっていた。別のアイドルグループに交代していたようだが、人だかりの大きさは変わっていなかった。しばらく見学をすることにした。

 

 テレビやインターネットではなく、現実にアイドルを観るのはそれが初めてのことであり、少し興奮した。「リアルアイドルだ」、と私は思った。おそらく全国的に有名なアイドルではなかったのだと思う。人だかりを占めるのは私と同じく、興味本位の人ばかりのようだった。

 だが最前列には、サイリュームを持って踊る熱心なファンのひとたちもいた。野太い声が響く、そこだけが別空間だった。「これがそれか」、と私は思った。アイドルオタクと呼んでいいのだと思う。いわゆる「アイドルオタク」のひとたちを観るのもまた、私には初めてのことだった。

 モニターの向こうにしか存在しないはずの、「非現実」がそこにはあった。おかしさに、頬がゆるみそうになった。面白いという意味ではなく、奇妙だった。ただおかしかった。だって夜で、気温は氷点下で、風が強く吹いていた。アイドルの少女たちは暖かそうなコートを着ていたが、それでもステージの上は寒そうに思えた。

 なんなのだろうと思った。不思議だった。

 ステージ上のグループがまた交代した。次に現れたアイドルのひとたちはコートではなく、制服様の衣装を着ていた。一目で寒そうに見えた。震えていた。しかし、彼女たちは楽しそうでもあった。明らかに、私よりも年下だった。「北の宝石箱」と自分たちを紹介した。

 調べたところ、「Jewel kiss」というアイドルグループであるらしい。

 

 去年、私は「THE IDOL M@STER」というアニメシリーズに心を奪われた。

 アニメで観たそのままの光景ではない。しかしアニメに感じたある種の「情熱」が、その舞台には広がっていた。初めて見るアイドルに私は感動していた。

 アイドル。TVアニメでは、彼女たちは主役だった。全く人気のないところから始まった。街頭でCDを手売りする。オーディションには受からない。それでも彼女たちは主役だった。彼女たちはアイドルなのだから。

 ステージの上で踊る彼女たちもまた、そのとき確かに主役だったと思う。輝いていた。それはまず第一に、物理的な意味でである。スポットライトは雪に舞う彼女たちを照らしていた。でも、それだけではないだろう。

 彼女たちはうれしそうに踊っていた。笑っていた。アイドルとしての演技なのだろうか? そうかもしれない。違うかもしれない。

 雪の舞う中での彼女たち笑顔は、幻想的であり非現実的だった。情熱的であり、輝いていた。

 

 しかし主役はそれだけではなかった。ある意味でアイドオタクの、ファンのひとたちもまたそうだと思った。

 彼らは吠えていた。乱舞していた。彼らこそ情熱の主体のようにも思えた。

 観客に最も近いのは誰か。アイドルではない。彼らである。

 彼らには熱がこもっていた。鬼気迫っていたと言っていい。氷点下の中で、半袖のTシャツのひともいた。半裸になったひともいたらしい。荷物を放って、サイリュームを振る。

 周囲の「一般人」の視線は彼らをもまた、「非現実」の一部と捉えていたのではないか。

 彼らは決して傍観者ではなかった。彼らはステージに参加していた。彼らこそ、非現実を、ステージを作り上げていたのではないか。

 

 打ち込みの重低音は私の体を揺らした。熱さと冷たさの境界で揺れた。

 主役の居場所はどこにあるのだろう、と思った。

 私はそのとき、どこまでも傍観者でしかなかった。アイドルの少女たちが踊っていた。彼女たちは間違いなく主役だっただろう。ステージにおける主体だっただろう。きっとでも、それだけではない。

 ファンの彼らもまた主役だったのではないか。彼らは彼らの世界を作っていた。アイドルという主役を彼らが観るのか、彼らという主役が少女たちをアイドルにするのか、どちらが正しいのか私にはわからなかった。どちらも正しいのではないだろうか。主体が相互にねじれ合って、ひとつの「場」として共鳴していた気がする。

 ひとつの主体が、ステージの中で、情熱を燃やす、輝いている。その「主体」とは誰のことだろう。アイドルであり、ファンであるのではないか。それらの相互作用こそがひとつの「主体」になるのではないか。

 ライブとは「みんなでつくる」ものである。前述のTVアニメではそのように言っていた。

 ここに展開されている非現実は、まさにそれではないのだろうか。

 震えた。

 

 そして、ひどく危ういものにも思えた。

 誰が観るのだろう。誰が観客なのだろう。観客などそこにはいないのではないか。彼女たちがいて、彼らがいて、どちらも舞台の主体なのだから。

 非現実と現実との間には通路があって、それは自由に行き来可能である。その気になれば、私はファンの彼らに混ざり合うことができた。私もまた主体の一部になることができたに違いない。しかし私はそれをしなかった。ただ、観た。いわゆる現実の側から、観ることしかできなかった。

 現実に足をつけたまま非現実に参加することはできないのだろう。私は舞台に参加していなかった。

 彼らの、彼女たちの世界は完結していた。

 

 彼らは主役だった。彼女たちも主役だった。誰が誰を観ているのか、私にはまったくわからなかった。

 

 非現実の世界はどこに行くのだろう。

 彼女たちも彼らも主役である。それを疑うことはできないと思った。しかし非現実は終わってしまう。主役であり続けることはできないのだ。終わった後の世界には、もはや何者も住めないのだから。

 彼女たちはアイドルとして成功するのだろうか。それともいつか、アイドルをやめてしまうのだろうか。彼らはいつまでファンでいるのだろう。永遠につづくものなど何もないのだろう。誰もがやがては年老いる。あるいは死ぬ。

 いつまでも主役でいることはできない。

 終わってしまうことを私は思った。ステージで、誰もが笑っていた。笑顔に包まれていた。非現実感。奇妙さ。「楽しさ」がそこには存在した。だからこそ私は怖くなった。泣きそうになった。余計な心配でしかないだろう。現状、すべてはうまくいっているのだ。しかし、それでもと思ってしまう。今が頂点であるかはわからない。アイドルとして彼女たちはまだこれから、さらに成長をするのかもしれない。まだ彼女たちは登っていくのかもしれない。しかし。「しかし」が拭えない。

 悲しみを思った。

 予感、なのだろうか。

 観続けることが苦しくなった。

 

 途中、MCの時間になったところで私は会場を後にした。体が芯から冷えていた。震えていた。そもそも雪まつりに来ることが目的ではなかったため、防寒が十分ではなかったのだ。このままそこに留まったら、風邪をひいてしまう気がした。

 熱さと冷たさが混ざり合っている、札幌の夜。少なくとも、私の居場所はなかった。

 頑張れ、と思った。思いは誰にも宛てられていない。誰にも届かないだろう。誰を励ますわけでもない。つげ義春先生のとある短編漫画を思い出す。タイトルは忘れてしまったが。ただ、「頑張れ」という思いだけがあった。

 「楽しさ」が長く続くように。「笑い」が長く続くように。

 

 地下鉄の駅に向かって歩き出した。