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アパートの跡地について

 下宿先からしばらく歩いたところに、ちょっとした更地がある。小さな公園ほどの空間が、交差点の一角にどんと広がっている。先日まで古めかしいアパートが建っていた。現在一面には、まっさらな雪が広がっている。

 アパートがなくなり、交差点の見晴らしがよくなった。するとなぜだか、周囲の建物の見え方も変わった。どの建物もみょうに輝かしく思えるのだ。開放感がもたらした錯覚だろうか。雪の反射の影響だろうか。そのどれも理由として正しいのだろう。

 しかし私はそれ以上に、アパートの「喪失」を思っている。

 

 古いアパートだった。木造だっただろう。真新しいマンションが周囲にいくつか立ち並ぶ中で、明らかに浮いている建物だった。「ノスタルジア」という言葉を思い浮かべている。つまりは、そういう建物だ。

 アパートの住人はどのような人なのだろうかと、私は何度も想像した。想像はいくらでも弾んだ。様々な生活や物語が、私の頭には思い浮かんだ。もし私がここに住んでいたらと、夢想したことも何度かある。住居としての機能性は低いだろう。実際に住もうとは思わない。だからこそアパートは、「物語」の舞台になりうる「魅力」を、私に感じさせていた。

 秘密の空間のように思えていた。そこには物語がたくさん詰まっていた。

 

 それからそう遠くはないうちに、アパートは解体されてしまった。解体工事の途中だったのだろう、アパートが半分ほど崩されているところを私は偶然に目撃した。

 建物は半分ほど潰されていて、博物館の展示模型のように、断面が外気にさらされていた。それぞれの部屋が剥き出しにされ、道行く人々の視線にさらされていた。本来は秘められているはずのアパートの内側が、私たちの前にさらけ出されていた。当然、部屋は空っぽだった。

 そのとき私は、アパートがなくなることを実感した。それは奇妙な「喪失感」だった。そもそもアパートは、私のものでもなんでもないのに。

 

 私がアパートの住人を思っていたころ、アパートに住人などすでにいなかったのだ。だからこそアパートは解体された。そして「空っぽ」がさらされた。

 アパートに秘密など存在しなかった。

 私は何を想像していたのだろう。誰も住んでいないアパートから、私は物語を受け取っていた。空っぽのアパートから生まれた秘密の物語。存在しない物語。「牛の首」の怪談を私はいま、思いだしている。すべてはそういうことだったのだろうか。

 本当はすべて空っぽなのかもしれない。すべてとはなんだろう。私たちの想像。その原因。

 他愛もない空想である。

 

 今日、散歩がてら、アパートの跡地に立ち寄ってみた。アパートの跡地は、今も跡地のままだった。

 そこにはまだ、何も建っていない。