もしも明日あのひとが崩御をしたらぼくたちはどのようなツイートをするだろうか

 記事タイトルは最近真剣に悩んでいることなんですが(だれかたすけてください)それとは関係なく短歌の連作について文章を書きます。

 

瀬戸夏子「巻頭言」について

 瀬戸夏子(1985~)は『そのなかに心臓をつくって住みなさい』という歌集を出している天才なのだけれども、彼(女)が所属している同人誌『率』の第7号(2014.11.24)は、「〈前衛短歌〉再考」という題の特集を組んでいて、その巻頭言でこんなことを彼(女)は書く。

 短歌を短歌たらしめたもの。

 それは連作という手法だ。

 うたの語彙の共同体がうしなわれ、一首を屹立させることはむずかしくなった。そこで、連作が生まれた。連作ならばプロフィール紹介ができる。地の歌がうまれた。確定された〈わたくし〉から発せられる声を信じることによって、自分以外の他の〈自我〉、そしてその歌を理解することができるという幻想。私は連作形式そのものを全否定しているわけではない。けれど斎藤茂吉の「母を恋ふる歌」以降、ごくごく少数の例外をのぞき、〈前衛短歌〉を経て〈ニューウェーブ短歌〉の穂村弘にいたるまで、連作自体が語りつがれているケースはほとんどない。

(瀬戸夏子「巻頭言」『率7』(2014.11.24)、もしくは

特集「<前衛短歌>再考」巻頭言/瀬戸夏子 - Privatter

 おりしもちょうどその夏にわたしは学生短歌会の合同合宿でさきがけて「連作の歴史」というものについて発表をする機会があり、このあたりの事情について調べていたため、瀬戸さんの文章を読んで、ああ、同じことを考えている人がいる、と、感動した。原文を読んでもらったほうがもちろんいいのだけれども、瀬戸さんの「巻頭言」の論から、わたしの議論に用いたいことを持ってきて、次のようにまとめてみる。

 短歌は革新的だ。

 短歌は短歌として成立した時点ですでに革新的だったのである。

(瀬戸夏子「巻頭言」『率7』(2014.11.24))

 短歌という形式それ自体が言うなれば〈革新的〉なものだった。しかし、〈近代短歌〉において、この〈革新性〉は見失われる。「写生」と「連作」。このふたつを軸とした、アララギ、特に土屋文明(1890~1990)を中心におくながれによって、〈自我〉の詩としての〈近代短歌〉が生まれた。その結果、短歌の〈革新性〉は見失われた。

 ここからは瀬戸さんの書いていないところなのだけれども、〈前衛短歌〉は「写生」と「連作」のうち「写生」を否定することにはいちおう成功したが、「連作」を否定することには成功しなかった。そればかりか、いまだに、あちこちの媒体で、「連作」は作られ続けている。総合誌で。新人賞で。結社誌で。自らがいちばん新しいと信じる(であろう)若い人たちの同人誌においてすら、「連作」はつくられつづけている。つまり、〈近代短歌〉はまだ生きている。

 「連作」をつづける限り〈近代短歌〉は終わらないし、〈近代短歌〉が終わるときには「連作」も終わるよ、ということについて次節以降に書きます。

 

〈近代短歌〉と連作のながすぎる蜜月

 かつて、明治時代、和歌は旧派と新派のふたつにわかれていた。このうちの新派が「写生」と「連作」というふたつの武器を得て、〈自我〉の詩としての〈近代短歌〉になっていく。〈近代短歌〉について穂村弘(1962~)はこんなことを書く。

 近代以降の短歌は基本的に、短歌の中の作中主体は作者なんだという思い込みが非常に強いジャンルなんです。(中略) それを明治時代に最初にやった人は画期的なアイディアマンで、具体的には正岡子規ですね。どういうアイディアかというと、短歌というのは一首一首を積み重ねることによって、一生をかけてひとりの人がひとつの人生の物語を書くジャンルなんだ、ということ。(中略) そのコンセプトで行くと、歌人はみんなひとつしか作品が書けない。

穂村弘「文庫版スペシャル・インタビュー 爆弾のゆくえ」『短歌という爆弾』(2013.11.11,小学館文庫)

 ここで言われていることは、短歌の積み重ねが連作をなし、歌集をなし、全歌集をなし、そのことで〈自我〉にもとづく「人生の物語」が完成する、それが歌人の唯一の作品である、という仕組みである。そしてこの仕組みを発明したのが〈近代短歌〉だった。ここで〈自我〉の補強のためにもちいられているのが、「連作」であり、「歌集」である。

 「連作」という制度の再発明*1はある意味では「写生」の発明以上に重要だったかもしれない。尾上柴舟(1876~1957)という人は「短歌滅亡私論」という文章を書いたのだけれども、そのなかで彼(女)は、「連作」によって従来の短歌は滅亡した、ということを書いている*2。このことを受けて岡井隆(1928~)は次のように書く。

 たしかに、一首独立を大前提とする古典和歌や、旧派の和歌を唯一のあり方とみとめるなら、和歌は連作によって滅んだ。

 和歌を、連作という剣によって一たん殺しておいて、近代短歌として、よみがえらせたのである。死と再生の物語が、連作を軸にして、展開したのであった。

岡井隆『短歌の世界』(1995.11.20, 岩波新書))

 近代に入って「連作」がつくられるようになった背景には、メディアの変遷による発表媒体の変化もあった*3活版印刷が普及して、雑誌や新聞などが刷られるようになった。するとまとまった数での短歌の発表が可能になり、必要にもなる。そのとき「連作」は好都合だった。そしてこのような現状は、実際のところ、いまも変わっていない。*4

 〈自我〉といえばもう一方の「写生」ももちろん〈自我〉の補強に貢献を果たしている。「写生」とは単なるスケッチではない。「写生」理論を完成させたアララギの大歌人といえば斎藤茂吉(1882~1953)だが、その弟子の佐藤佐太郎(1909~1987)は「写生」についてこんな風に言う。

「写生」というのは漢字の熟語で、古くから用例があります。そして古いところではスケッチというような軽い意味ではない。「生を写す」、「生」は生命、いのち、生気等でそんなに軽く浅いものではない。「写生」はその生の表現ということになります。

(佐藤佐太郎「写生について」『短歌指導』(1964.1.5初版, 短歌新聞社

 さて、〈前衛短歌〉は「写生」については「幻視」「虚構」などの方法により対抗していった。では「連作」についてはどうだったのか。〈前衛短歌〉が試みたのは、「主題制作」という、ある特定の主題を題材とした*5連作だった。岡井隆の「ナショナリストの生誕」(『土地よ、痛みを負え』(1961.2, 白玉書房))などがその代表として知られている。*6

 「幻視」や「虚構」はいまも生き残った、では「主題制作」はどうだったか。ふしぎとその名前を聞くことは少ない気がする。気がついたらわたしたち若い歌人は、「連作論」をまったく聞かなくなってしまった。若い人に入門としてよく読まれる枡野浩一穂村弘の本は、「連作論」を語らない。それは〈反近代短歌〉という思想のあらわれなのかもしれない。しかしその結果、「連作が〈自我〉を補強する」などということを、わたしたちはまったく考えなくなってしまった。

 考えのない中に、わたしたちの連作に、〈近代短歌〉はいまも生き延びているといえる。

 そればかりか、「幻視」や「虚構」が生を写すものとしての「写生」に、ほんとうに抗い得ているかどうかも疑わしい。

かけがえのない〈われ〉が、言葉によってどんなに折り畳まれ、引き伸ばされ、切断され、乱反射され、ときには消去されているようにみえても、それが定型の内部の出来事である限り、この根源的なモチーフとの接触は最終的には失われない。一人称としての〈われ〉が作中から完全に消え去っているようにみえても、生の一回性と交換不可能性のモチーフは必ず「かたちをかえて」定型内部に存在する。それこそが少なくとも近代以降の、短歌という詩型の特殊性だとは云えないだろうか。

穂村弘「〈読み〉の違いのことなど」『短歌の友人』(2011.2.10, 河出文庫))

 どのように「虚構」を詠み、どのように「一首の屹立」を訴えたとしても、「連作」や「歌集」を媒介にして、「生の一回性」は忍び込んでくる、そのようにして〈近代短歌〉はウイルスのようにまだ、生き延びているのではないか。

 だから、決して、まだ〈現代短歌〉などはじまってはいない。

 

〈近代短歌〉と連作の終わり……?

 〈写生〉―〈自我〉ー〈連作〉というこの三位一体は、果たして解体されうるのだろうか?

 大辻隆弘(1960~)は『短歌研究 2014年11月号』に掲載の「三つの「私(わたくし)」」という論文の中で、読者論的な視点から短歌の〈私〉を次の三つに分ける。

レベル①「私」…一首の背後に感じられる「私」

 =「視点の定点」「作中主体」

レベル②「私」…連作・歌集の背後に感じられる「私」

 =「私象」

レベル③「私」…現実の生を生きる生身の「私」

 =「作者」

 この定義の上で大辻は、〈近代短歌〉の「読み」は「私①=私②=私③」という形に、〈前衛短歌〉の「読み」は「私①=私②≠私③」という形に整理できる、という。そしてさらに大辻は、二十一世紀に入ってから、『「私①」への興味だけが突出し、「私②」や「私③」にはほとんど興味を示さない』という「刹那読み」、『「私①」「私②」「私③」を強固に結びつけ、そこに「物語」を作り上げ、それに感動している』という「物語読み」のふたつの「読み」が流行してきている、という。*7

 ここでいったいなにが言われているのか。

 おそらく、このことは「私②」の衰退として説明できる。

 大辻の「三つの私」では、「刹那読み」はインターネット上で発表される短歌に結び付けて語られている。インターネット上ではメディアの制約により、歌集や連作の全文が引用されて読まれることはほとんどなく、一首のみでの鑑賞が中心となる*8。その結果、インターネットのメディア空間においては、「私②」は原理的に発生しない。図らずしも一首が屹立する、というよりは、屹立せざるを得ない。それがインターネットのメディア空間が短歌にもたらした効果ではないか。*9

 「物語読み」の流行は、「作者」が読者に接近したことを意味していると考えられる。作者の作品を読む前に、作者自身のブログやFacebookTwitterを私たちは読むことができる。さまざまな媒体が作者のひととなりを紹介する。同人誌レベルであれば文学フリマなどさまざまなオフイベントを通じて直接作者に会うことすらも可能である。そのような空間では、「作者」のキャラクターのみが強大化していって、「私①」や「私②」は「読み」から追い出されてゆく。

 メディア空間の変容が、わたしたちの「読み」を変化させている。かつて「連作」の再発見がメディアの影響下で生じたように、いま、なにかが変わり始めている。

 このように考えられるのではないか。

 活字メディアから双方向性のある電子メディアへの変化。すでにマクルーハンのころから言われて久しい、あまりにも懐かしい概念である*10。このようなメディア環境の変化の中で、〈自我〉と〈連作〉の蜜月は、どうやら脅かされはじめている。

 たとえば、イラストと短歌を組み合わせて投稿するさまざまなアカウントが、現在、Twitter上で、一瞬にして数百のお気に入り登録を稼ぎだす*11。このようにして短歌が読まれる媒体はかつて、おそらく存在しない。これらのアカウントは「連作」を用いない、結果的に、〈近代短歌〉に対する明確な否定となっている。

 短歌+イラスト、というこの発表形式が主流のものになるとは考えない。しかし、同じように、「連作」に、つまり活字メディアに依存しない発表形式はどうしようもなく増えていくだろう。そのようにして「連作」が払拭された時、はじめて、短歌は〈自我〉から開放され、〈近代短歌〉は終了するのかもしれない……。

 もし〈近代短歌〉の次の、〈ポストモダン短歌〉と呼べるものがありうるのであれば、それはこのような流れのなかで生み出されてくるはずである。そしてそこにおいてこそ、短歌の、瀬戸夏子の言うところの〈革新性〉は、再生をするのではないだろうか。*12

 

 

 と、いうようなことについて今春発行予定の『北大短歌 第三号』では書こうと思います。特集も充実。春の文学フリマで頒布する予定です。この文章を最後まで読まれたご親切な方、どうぞよろしくお願いします。

 

 

【2015.2.17 20:00追記】

 Twitterにて光森裕樹さんからいくつかのご指摘を頂きました(ありがとうございました)。光森さんのご指摘内容を備忘のため以下に転載しておきます。

 さて、光森さんのご指摘内容は大きく、1.「〈前衛短歌〉は連作を否定しようとした、ということが無意識のうちに前提とされているが、そのことについてもっと検討が必要ではないか」2.「メディアという視点から連作をとらえるとき、結社内の選歌システムなど、短歌の世界の仕組みの検討もまた必要となる」、という二点に要約できると思う。このふたつについて、光森さんに返答をするのではなく、自分自身の考えを整理する目的で以下に私見を記してみたい。

 まず1に関して。

 塚本邦雄は、一首で勝負することを主張して、二頁見開きに、たった一首の作品を印刷し、あとは余白か、効果的なカットを散らすだけ、といった発表様式を夢みて、わたしに語ったことがあります。その塚本も、一度だけ連作の誘惑に負けて、「水銀伝説」の大作を執筆しました。

岡井隆「第八章 主題制作と連作」『現代短歌入門』(1997.1.10, 講談社学術文庫

 〈前衛短歌〉は〈近代短歌〉の否定であるという先入観と、塚本邦雄のいわゆる「一首の屹立性」を重んじる主張(上に引用したような記述など)から、〈前衛短歌〉はその一部において「連作」を否定しようとした、とわたしは考えていたけれども、確かにこのことについてはもっと確認が必要だとおもう。*13

 次に「主題製作」と「連作」の混同について。わたしは「主題製作」は「連作」の一技法とのみ考えて(誤解して)いた。今回の指摘があるまでは気づかなかったことで、とてもありがたくおもう。たしかに、必ずしも「連作∋主題製作」とは限らない。たとえば一首のみでの「主題製作」もありうる。なるほど、とおもう。「主題」への認識を深めたい。*14

 『「連作」でできることは「主題制作」だけという論理にはならないはずです。』という光森さんの指摘部分に関しては、今回の記事内では触れなかったけれども、以前同じことを考えていた。以下はまだ仮説の段階になるのだけれども、たとえば千葉聡さんや石川美南さんの「物語性のある連作」。これは〈自我〉を脱して、小説に匹敵する「ポピュラリティ」を短歌に与える、という問題意識を持つ連作と、ひとまずは考えることができるとおもう*15。またたとえば、散文中にあるブロック体で強調された語句をつなげると一首の短歌になる瀬戸夏子さんの『すべてが可能なわたしの家で(20首)』や、詞書と歌の区別のない歌が多い斉藤斎藤さんの『NORMAL RADIATION BACKGROUND』シリーズなど、一首として引用することにほとんど意味のない、連作として読むしかない連作、もある。以上の「物語性のある連作」と「一首として引用できない連作」、これらは〈前衛短歌〉の「一首の屹立」の否定であり、かつ、近代の連作ではみられらなかったまったく別のことをしている連作だとおもう。「主題製作」ではない「連作」はある。*16

 ただ、これらの連作についても、光森さんの『歌を並べれば無意識的に”「生の一回性」は忍び込んでくる”かもしれません』のご指摘の通り、「生の一回性」からは免れ得ないのではないか、と考えている。その理由としては、いまは、「歌集」の存在をおもっている。「歌集」が出て、それが全歌集としてまとめられて、という回路が存在する限り、「生の一回性」からは逃れられないような気がする*17。短歌一首を短編小説に、連作を連作短編集に類比して考えたとき、短歌の特異性は「連作短編集集」という奇妙なかたちになる「歌集」にあるのではないかという気がするのだけれども、このことはよく検討する必要がある。

 次に2に関してなのだけれども、まず、この指摘内容はわたしの念頭にあまりなかったことなのでとてもありがたい*18。同時に、いまのところわたしから述べられることはあまりない。メディアが短歌表現に与えた影響を云々するとき、「短歌の世界の仕組み」の検討はどうしても必要となると考える。

 ひとつだけ未検討の私見を記す。旧派和歌が新派和歌になるとき「表現論的改革」と「流通論的改革」のふたつがあったとしてみる*19。前者のなかでは主に「写生」の理論が(加えて万葉調の重視などが)、後者のなかでは主にメディアの影響を中心にした「連作」が発生してきて、そのふたつが共同して〈自我〉の詩としての短歌の強化に働いたのではないか*20。では〈前衛短歌〉の運動はというと、それは「表現論的改革」を志す一方で、「流通論的改革」は志向しなかったのではないか。その結果〈前衛短歌〉の運動によって、表現論的には〈近代短歌〉は改められたけれど、流通論的には、つまり結社制度・贈答制度・雑誌メディア・新聞歌壇という制度面では、〈近代短歌〉の枠組みは保管されたのではいか。いまそして、これらの流通論的環境が改められようとしているのではないか。

 と、ここまで書いて私見がつきたので記述を終える。改めて光森さんありがとうございました。

*1:連作それ自体は『万葉集』のころから存在するが、制度として「連作」を整備したのは、アララギ歌人たち、特に伊藤左千夫だったという。

*2:まだその原文を読んだことはありません。

*3:『現代短歌大事典』や大辻隆弘「活字短歌の成立と近代短歌」『子規への遡行』などを参照。わたしはまだ読んだことがないけれど、前田愛『近代読者の成立』も参考になる。

*4:『中東短歌』(2014.10.10)の第三号では千種創一(1988~)が「短い歌と短い小説についての短い仮説」という評論を書いていて、そこでは中東の短編小説と日本の短歌の形式、社会的位置、などの類似性が語られているのだけれども、この評論も同じ問題系について触れている。いつか詳しくほりさげたい。「短編小説」という比較対象を得たとき、短歌は短編小説に、連作は連作短編集に喩えられる。では歌集は? 歌集こそが小説に対する短歌の特異性かもしれない……。

*5:つまり、〈自我〉を主題としなくてもかまわない

*6:一方で連作に頼らない、「一首の屹立性」が、塚本邦雄を中心に叫ばれもした。

*7:「刹那読み」がされる例としては笹井宏之と木下龍也の短歌が、「物語読み」がされる例としては大口玲子の歌集『トリサンナイタ』が挙げられている。

*8:たとえばTwitterに連作すべてを引用することはできない。

*9:そしてこれは活版印刷が普及する前の、口伝えで短歌がいい広められていたころに類似するのではないか。もし「連作」をインターネット上で扱いたいのであれば、わたしたち歌人著作権という自らの(近代的な)〈権利〉≒〈権力〉を放棄しなければならないのではないか。

*10:マクルーハン理論では活字メディアは視覚的・機械的・連続・構成・目・能動的・体系、電子メディアは触覚的・有機体的・同時・即興・耳・反動的・モザイク、などと特徴付けられるらしいけれど、マクルーハンの本はなにも読んだことがないのでいつか読みます。

*11:最も有名なアカウントが@syokupantopen。そのほか@hurry116、@poseidon_29なども多くのふぁぼを稼ぐ。前者はイラストと短歌の作者は別であるのに対し、後者は多くの場合同じであることは特筆すべき。

*12:要検討。なにかご意見のあるかたぜひご教授ください。

*13:がんばります。

*14:『現代短歌入門』を再読するなどします。

*15:エッセイと連作を組み合わせた河野裕子永田和宏『たとへば君-四十年の恋歌』なども「ポピュラリティを短歌に与える」という観点からは同じような連作だと考えることができる。

*16:以上の連作については学生短歌会の夏合宿の勉強会で同じことを述べた。これら最近の連作については、その技法をまとまって分析した文献がほとんどなく、調査が難しい。

*17:さいきん塚本邦雄の評伝『わが父塚本邦雄』(塚本靑史)が出版された。これを読んでから塚本邦雄の短歌を読もう、という読者はたぶん多い。

*18:『現代短歌入門』にも同じような言及があったのだけれども、ほとんど重要視していなかった

*19:松澤俊二『「よむ」ことの近代』を読んでいる途中なのだけれども、特に旧派と新派の比較について参考になるので、よく読む。あとこの考え事態は鈴木ちはねのhttps://twitter.com/suzuchiu/status/567571221609336832?lang=jahttps://twitter.com/suzuchiu/status/567572605377335296?lang=jaに着想を得る。

*20:「連作」の発生は表現論的改革、流通論的改革の両方の共同作業としたほうが適切な気もする。

ポップソング!

 ポップなことはよいことだ。

 「知」をどこまで信じるかという問題があって,「知」とは過去のことであり,「知」を体現するということは過去を体現することである。「知」とは「地」のことであって,また,「知」とは「血」のことでもあるのは,「地縁」は「血縁」に近似されるから。天からすでに打ち下ろされたわれわれ「肉」どもの,地をはいながらめぐる世代間の血のめぐりのなかで,蓄えられ循環し張り巡らされたものがいま見知っている知のめぐりであり,天界についての知はわれわれにありえない。

 ポップとは天界への「浮上」である。

 短歌や文芸が「知」をめぐる重厚なものであるのは過去の尊重であり過去の魂への誠実である。知っていることはより多くわれわれのめぐりへの感謝をなすことである。血縁への礼儀,地縁への礼儀が知の信仰の理由でもある。

 しかしだとして,ポップなものを書きたい気持ちがわたしにはある。地ではなく,未知の軽さへと浮上すること。

 われわれの感性は知を持たずとも「心地よい」ものを嗅ぎ分けることができる。その心地よさがポップさであり「快」なのだ。短歌をやっている人にだけわかる良さ,日本人にだけわかる良さ,人間にだけわかる良さ,はどこまで行っても知をめぐる良さなのかもしれない。そうではなく知になるてまえの,魂だけが知っているはずの良さを,そこぬけのポップを,つまりは天界における蜜を,書くことはできるのだろうかとおもう。知のめぐりに関係のない良さを。天の悦楽の記憶を。楽園の流滴を。

 ポップに,軽く,飛ぶ!

げもり

 札幌駅と大通駅をつなぐ地下道にセイコーマート(北海道を中心に展開するローカルなコンビニエンスストア)があるのだけれども、その店頭を少し離れた位置に三角コーンがポールでつながれながら5個ほど並べられていて、すこし立入禁止のようだと思った。お腹がへこへこに空いていてなにかパンでも買おうとおもったのだった。コーンの間にはふぞろいな間隔に真っ青な安っぽいポリバケツが置かれていて、なかにはうす茶色い水がたまっているのが見えた。水面に滴がぽつりと落ちた。天井の裂け目から雨漏りをしているらしかった。

 雨水が漏れることをわたしたちは雨漏りと呼ぶけれど、しかし外は真冬の北海道であり、降っているのは雪なのだ。だから漏れているのは雨水ではなく、地熱による雪解け水なのだろう。だとしたらそこで起きていたのは雨漏りではなく「雪解け漏り」なのだ、とわたしはおもった。「雪解けもり」はごてごてしていて、晩冬ガールの髪型っぽいなとすこしおもった。しかし、雪解け水とはたして断言できるだろうか。そうとはは限らなくて、たとえばどこかの配管から下水が漏れていたのだとしたら、バケツに溜まっていたのは「下漏り」だった。げもりは嫌だなとわたしは思った。

 よいパンがなかったので、その日は腹ぺこのままセイコーマートを出た。おおむねそんな冬である。

人間寿司

 寿司屋の夢を見た。

 回転寿司に入ると、まずわたしたちは入り口から一番近い席に座らせられる。店内は繁華街の飲み屋のように細長く、奥へ続いていて、その先は薄暗い。コートを脱いだので冬だった。

 目の前に若い賃労働者がい、彼が寿司屋特有の威勢良い挨拶を言う。お茶が出される。わたしたちがそのお茶を飲むと、椅子がごうごうと音を立て、店の奥へと移動を始める。

 人間が動く寿司屋なのだ。

 椅子が止まるとそこにはまた新しい店員がいて、店員として彼はわたしたちに寿司を出す。注文をした覚えはない。わたしたちにはみな同じ赤身魚が出されて、ここではそれしか扱っていないという。わたしたちが食べ終わると、またなめらかに椅子が動きだす。少し動いて椅子は止まり、そこにはまた同じような店員がいる。さっきとは別の寿司が出される。振り返って来た方を見ると店員によって皿が片付けられようとしている。そのさらに奥の席には次の客がいてお茶を飲んでいる。人間がベルトコンベア上につらなる様は、テーマパークのアトラクションのようでもある。

 効率化のために人間を回すことを寿司屋は覚えたという。人間を回すことによって回転寿司は、つねに握りたての寿司を提供すること、寿司を乾燥から守ることを可能にした。それはつまり寿司の尊厳の保証なのだった。人間の利便性を犠牲にして、寿司の尊厳を保証する、新たな倫理のあり方が回転寿司にも適用されているのだという。寿司と人間の権利を秤にかけその折衷案を模索するということ。それは新しい思想のかたちである。

 店内は大きなU字を描いていて、わたしたちは店の奥で折り返して入口へ向かう。会計を済ませる。おいしかったとわたしたちは言う。ありがとうございました、と言うための店員がそこにはいる。

 コートをはおり、追い出されるように店を出ると、わたしは目が覚める。

不安

 日記を書く。不安である。『詩客』に柳澤美晴さんが短歌時評を書いていて『短歌時評第109回男子VS女子』という記事なのだがそこで三上春海が言及されている。三上春海はわたしのことだ。

 12月19日の早朝、NHK札幌放送局が『おはよう北海道』の中でSNSを中心とした短歌ブームおよび北海道大学短歌会についての紹介を行い、わたしは北海道大学短歌会の会長であるから、その取材に忙しい日々を過ごした。その中でわたしはカミハルでも三上春海でもない本名で扱われた。映像として報道された。映像のなかに〈わたし〉がいた。それは誰だったのだろう。

 わたしは誰なのだろうとおもう。

 

 透明度 私のいない湖を見つめ続ける私の瞳

 

 という短歌を以前に詠んだことがあって、鈴木ちはねさんにはこの歌が高く評価されている。私がいないこと。わたしは、「私がいないこと」をモチーフとしてたびたび用いる。わたしの不在を好む。そう、わたしは〈悪〉であり、わたしがいないことは〈善〉であるという考えをよくわたしは用いる。でもわたしはいるのだ。映像のなかでわたしは三上春海ではない誰かとして、身体を持ち、発言をしていた。そこにいるものがわたしだった。

 時評の中で柳澤美晴さんが三上春海さんの文章について次のように言及する。

 

『でも、たかだか好きなものを語るのに、こんなに綿密な理論立てをしなければいけないのかという疑問がよぎったのは、わたしが女だからだろうか。殊に、冒頭からレヴィナスの文章を引用して、素晴らしい書物の代表として聖書をあげ、自分には語る資格がない(でも語りたい、語らせてください)と延々と事由を求める三上を見ると、世間の目を気にして言い訳を必要とする男の悲しい性を感じてしまった。社会的な裏づけがないと不安なのだ。』

 

 不安なのだ。それはほんとうにそうだ。「世間の目を気にして」と言われればそんな気もするが、でも、それにとどまらない不安をわたしが所有していることに気づく。「社会的な裏づけ」にとどまらない、地盤のなさへの不安がわたしにはある。「震災」という言葉で指されるものが新潟県中越地震ではなくなって久しい。13歳のわたしは、その震えのなかに揺れていた。震災はすでに忘却されかけている。でも、わたしの地盤はまだ揺れているのだ。

 「わたしがいる」ということを確かな地盤としてものごと始められれば、わたしの「好き」を語ることができるけれども、わたしにとってはわたしがいない。もちろん「わたしがいない」は嘘で、わたしはテレビに映されればわたしとしてただそこにある。でもわたしにとってはいないのだ。おかしくて狂ってしまいそうだ。ほかの誰かにとってわたしはただひとりのわたしでしかないのに、わたしは、出発点としてわたしをうまく据付けられない。

 〈聖書〉についてわたしが書くのはわたしが、震えのない基盤を求めているからだとおもう。わたしの不在をどうにかしてほしいからだとおもう。あるいはわたしは科学の、それも大地にかかわる科学の勉強をしていて、大地とはもちろん基盤のことである。わたしはわたしの基盤を求めている。「世間の目」「社会的な裏づけ」どころか、もっとゆるがない徹底的な基盤を求めていることに気付く。(もちろんわたしはわたしの基盤の不在ゆえに世間の目も気にしていて、だからわたしは他人からの評価をとても気にする、卑小な魂を持っている)

 

 堂園昌彦さんの歌集『やがて秋茄子に到る』および五島諭さんの歌集『緑の祠』を読んだ。絶対に譲れない自分の基準、つまりは美意識をもとに書くということがそこには発揮されていて、わたしにはそれは無理だとおもう。だってわたしには美意識がない。基盤がない。もしなにかをなそうとするばらば現在、「どれだけはっきりとした美意識を提供できるか」が重要であるとおもうのだが、どうだろう。不安なのだ。みんななにか、はっきりしたものを欲しがっているのだ。

 でもわたしにはそれがない。

 美意識を持たないわたしはなんでも書こうとするし、でもわたしにはなんでもをなそうとするための技量や蓄積をもたないから、なんでもを書くことはできない。器用貧乏にさまざまを書くばかりでとても貧しい。だからわたしは、「個性」を発揮することがない。

 という話をしたのは、「わたしがなにを書くべきか」が、わたしにはまたわからなくなっているからだ。もちろん「べき」によって自身を統御しようとするのは間違いで、自然に自然に、流れるものをそのままになせばよいというのがわたしの理想ではある。しかしそれでは、煩雑な下級品ばかりが生まれてしまう。わたしと同世代の書き手で、たしかな基盤を持っている人たちはそれぞれに道を見出してゆく。それを羨ましくおもう。わたしは基盤がほしい、美意識がほしい。自分の基盤をまず据付けてから、流出を開始するべきなのだとおもう。設計図なく思想なく部品を送り出す工場がわたしで、それはガラクタ工場と変わらない。

 でも、わたしは自分の美意識を見つけ出せないような気がする。わたしの世界はまだ揺れている。だからわたしは自分の「良い」をうたわないで世間の目を気にするだろう。そこそこに「いいね」と言われるようなものばかりを作るだろう。そしてそんなわたしを世界は必要としないだろう。ガラクタ工場を世界は必要としない。

 

 書きたいひとが増えている。そのなかでなにができるか。ニッチ探しにわたしは打ち勝てないような気がする。

山本さん

 山本さんにあったことは2回だけあって山本さんとインターネットを利用して声を交わしたことはそれよりも10回以上多くある。山本さんは天才である。山本さんについて書き始めているのはべつに山本さんについて書かなければならない喫緊の課題があるわけではまったくなくて、文章の練習としてなにかを書こうと考えたときにいちばんめにおもいうかんだ言葉が山本さんだったからというただそれだけの理由しかない。わたしは山本さんが好きである。天皇のほうが山本さんよりも好きで、もし山本さんと天皇のどちらかだけを撃ち殺さなければならないとしたらわたしはちょっとだけ躊躇をしてから山本さんの脳天へ銀の弾丸をぶちこむとおもう。それくらいわたしは山本さんが好きである。

 山本さんにおすすめされた橋本治の本をAmazonで買ってでもおもっていたとおり時間がなくてあまり読み進められないでいてとりあえずあとがきだけは読み終わったのでいまは本文を読んでいる。橋本治がチャンバラ映画について書いた本で山本さんがどうしてわたしにこの本をおすすめしてきたのかはまだうまく把握できてはいないのだけれども、把握するためにも読み進めたい。

 最近は短歌を書いていてとりあえずの短歌を書くのは簡単でツイッターにひゅんひゅんと投稿するとたとえばこういう歌ができる。

 

   あたし皇居。あたしのなかにいるひとは天皇。これからよろしくね。

 

   あたしたぶん前世がスカイツリーだし、ほんとはキスもしたくなかった

 

   もも色のぶたぶたぶたがやってきてピカソのように切り落とされる

 

   うさぎってかわいい。家畜じゃないし、あたしのことを軽蔑しない

 

   ひどいのよピカソは夢の中ですらあたしの耳を舐めまわさない

 

   アイスクリームがアイスクリームであることをやめようする ふざけるな夏 

 

   手をつなぐときに一瞬遅くなる歩みのように死んでゆきたい

 

 わたしが小説を書くほうが短歌を書くよりもわたしにはよいと山本さんに以前インターネットを経由していわれてそれはほんとうにそうなのだなあということをわたしはとみに感じつづけている。短歌をはじめたころからずっとかんがえている。しかしわたしは短歌を、十把ひとからげの短歌を書いている。小説を書かないのは小説を書くための体力とか構成力とかそういうのをなくしてしまったからでもある。たんじゅんにおもしろい小説が書けないからでもあるけれど。短歌を書くと小説が書けなくなるというのはわたしの場合はほんとうにそうで、文章の息が続かない。いまだって長い文章を書き連ねている内に体力がなくなりかけている。これいじょうなにを書くのかよくわからなくなっている。

 文体というのはもじどおりに体で文体がちゃんとしていないと、つまりは体がないともちろん文章は呼吸ができない。文体さえアレば逆に言えば文章はかんたんに息づくことができる。これはアレゴリーなのだけれどもただのアレゴリーと無視していいものでもないだろう。文体が文章を書かせるのだ。で、文体には長文にむく文体と短文にむく文体というものがありわたしの文体はもうだいぶ短文に慣れてしまったような気がする。長距離を走ることのできない筋肉ばかりが鍛えられてしまったかのようだ。あるいは長文をかかないのは単純に長文を書くための時間がなくなってしまったからかもしれなくて、わたしが学籍を失って新潟にみじめに帰ったならばわたしはまた長文の小説を書き始めるようになるのかもしれない。もちろんそれが優れた作品になるかはわからない。でも書く。長文の小説を書かなければならないとおもう。だからわたしはとりあえずわたしに小説を書くべきだという山本さんのことばを信じるし、山本さんにおすすめされた橋本治の本を読もうとおもう。

 山本さんの話だったけれど、山本さんの話は結局しなかった。そういうふうに、山本さんの話をしないというかたちでわたしはたぶんずっと山本さんのことを考えているしこれからも山本さんのことを考えつづけるのだとおもう。山本さんはそういうひとなのだとおもう。嘘だけど。

文学フリマの東京の2回目の感想

 2013/11/4(月)に開かれた第17回文学フリマに参加をするため11/3(日)から11/5(火)まで東京にいた。鈴木ちはねさんの家に宿泊をさせてもらったために宿泊費を浪費することなく往復の飛行機代約3万円とその他の雑費のみの負担で東京に滞在をすることができた。鈴木さんありがとうございました。

 今回の文学フリマでは稀風社として『稀風社の薄情』というリレーエッセイを掲載した薄い本を刊行し、また久石ソナ君が主催となった『詩歌の同人誌 ネヲ』という本に『でも これは僕の記録なのだ[15巻p.200]』という1万8000字程度の文章を寄稿した。だいたい前日までのブログに書いたような書くことができないということとそれでも書くということを書いた。

 ここでは文学フリマの感想を書く。

 

 文学フリマでは短詩文学のブースをよく回った。文学フリマのあとで山本さんと鈴木さんと一緒に浜松町の地下の喫茶店で山本さんはレモンティーを鈴木さんはコーヒーフロートをわたしはクリームソーダを飲みながら、短歌は社交界の文学ということをまず話した。『帰られせてくれ』というすさまじく優れた詩誌がありわたしはそれを山本さんに教えてもらったのだが、買って読んで2013年のハイライトだとおもった。限界まで自らを追い詰めて自らの足場を崩していくことで笑いにするという表現がありでもその先にはもうなにもないからそればかりをやってしまうのは危険だというようなことを山本さんはいい、わたしは「その先」は時代の変化によって勝手に生じるからいまの足場が崩れてもまたあたらしい足場ができるのでだいたいは大丈夫なのではないかということをいった。そういえば山本さんと鈴木さんはピンク色のシャツを着ていてかぶっていて面白かったし、わたしは高校生のころからずっと着ているぼろぼろの灰色のシャツを着ていた。わたしたちは三人とも眼鏡をかけていて文学フリマの会場ではわたしと山本さんが兄弟のようにみえると言われたけれども、たぶんわたしが兄にみえたとおもう。山本さんはでも年上でわたしは山本さんの名刺をもらった。個人情報をわたしは握っている。

 文学フリマの会場内では閑散としているところとひとが沢山いるところがあり、結局は「文学力」ではなくて「社交力」の場所なのだろうと毎度のことながら実感していて、この実感を毎回毎回やりすごしているわたしの下衆をわたしはどうにかしなければならないとおもう。よいものを作ればひとがたくさん集まるなどということはなく、よいものを作っているとおもわせたところにひとがたくさん集まるのである。場においては作品ではなくて作品の宣伝が重要だ。もちろん作品という名の土壌がだめであればそこから生えてくる宣伝だってろくな成長をしないのだが。しかし「社交力」を競い合って現代をコミュニケーションによって充足させてそうやって「安心」を売り買いすることになんの爆発があるのだろう。自分たちのことをすでに知っているひとにむけて文章を作って売って新たな衝撃がまったくないのがもうほとんど短歌といってイコールのような気がしてしまって、わたしはどうにかしなければならないとおもう。異文化に頭をつけて自らの脳をピクルスにしなければ文学は腐っていくのではないか。『帰られせてくれ』があまりにもすごかった。それにわたしやあるいはのんのんとしている詩歌の人間たちは気づけたか。わたしに素通りされるばかりの小説ブースをわたしはどうすればよかったのだろう。すでに評価されているものは勝手に評価されるのだからまだ評価されていないものにわたしは向かってしまいたいがそれはあまりにも難しいし自分勝手なような気がする。

 稀風社について書く。稀風社の『稀風社の薄情』の鈴木さんの原稿をわたしは感動しながら読んでいて、稀風社の営みについてもうすこしわたしは自覚的になっても良いのではないか、つまりいままでは特に稀風社を行う意図というものをわたしは持たずにいたのだけれども、稀風社の「戦略」について意図的になってしまってもいいのではないかと考えた。鈴木さんが『薄情』のなかで書いているとおり稀風社は歌会や相互批評や歌集贈答といった短歌的な文脈からは遠くはなれたところで開始されたサークルで、文脈とはまったく関係のないところでやっていて、でもそれだけでは行き詰まった。「文脈」をわたしの言葉で「中央」と言い換えるなら稀風社は「中央」にアクセスせずにただ短歌をやっていたサークルで、でも「中央」からの独立を保ち続けることはできない、なぜならば単純な物量の問題によって「中央」は「辺縁」を押しながらしてしまうからである。それでわたしは稀風社の社員でありながら北海道大学短歌会という組織に属してしまい、「中央」へのアクセスを開始し始めている。北海道大学短歌会は当然北海道という辺縁の学生短歌会で、その情報力はごく弱いのだが、しかし「中央」から認知されているという意味では確実に「中央」の一部ではある。北海道大学短歌会に入って「中央」の一部になることは稀風社や、あるいはその他の無数の「辺縁」的なサークルをわたしは無視しはじめるということなのかもしれない。穂村弘に会えることを特別とおもわないことをわたしはできはじめてしまっている。だからわたしは辺縁で人知れず作っているひとたちを無視し始めて、「中央」のインデックスがサジェストしてくる「期待の新人」を流動食のようにずるずると飲み干し始めるのかもしれない。

 未知なるものと出会うためには辺縁を冒険しなければならないとわたしはおもう。おもうけれどもそのことを正しく言葉にすることはできないし、いま、わたしはなにを書きたいのか忘れ始めてしまっている。少なくとも、北海道大学短歌会やその他の学生短歌会のようなありようよりも稀風社のようなありようのほうがわたしには適しているとわたしは考えるが、しかし稀風社のようなありようをいつまでも続けることは決してできないということをわたしは同時に考えているわけである。そう、稀風社を永遠にいまのまま続けることは決してできない。だからこそ打開策を考えなければならないということをわたしは考えていて、このことについてはもうすこしよく、考えてから書くべきなのだとおもう。わたしがなにをしたいのかをわたしはよく考えるべきなのだとおもう。そしてこれからなにをするべきなのかをわたしはよく考えるべきなのだ。考えるのだ。わたしは稀風社が好きである。しかし稀風社をいまのまま続けてはいけなくて、踏み出さなければならない。それがどこへかを、考えたい。取り留めがなくなった。たぶん続く。